- 真剣に取り組む心 P.1/2
- 真心は永遠不滅 P.2/2
2.真心は永遠不滅 P.2/2
お話がガラッと変わりますけど、昨日は中村さんと一緒にある書の会に行ってきました。
とにかく忙しくて、毎日出てるんだから、帰ってくるのはもう11時頃ですし、もう女の人って面倒ですね。同じ服着ていけないでしょう。
あの先生、1年中あれ着て歩ってる。なんて、これも神様に傷がつきますんでね。
だから帰ればすぐ翌日のこと、明日も出かけるんですけど、明日はどういう格好だなんて、すぐそのことも考えなくちゃならない。
とにかく一番大事なことは夜のお祈り。必ずあるんですよ。
だから私の寝るのは早くて、そうですね、1時20分頃になっちゃうかな。ちょっと遅くなるともう2時になっちゃうんですよ。そんな状態で毎日出かけてるんですから。
そういうわけで昨日も京王プラザで書の会だったんです。千年も前の書を展示してるんですよ。
やっぱり墨ってのは、もうすごいですね。あれ、やっぱり炭素ですか。だから変色しないんだそうです。
でもいい墨なんでしょうねえ、ホントにきれいな墨色でしたよ。すごくすばらしい字体でしたね。
ホントに、字そのものが生きてるっていうかな、とにかく千年も前の字がね、今だに、こう、生かされてる感じ。字が死んでないんです。
だから、それはやっぱりね、私が今皆さんにこうやって教えている、そういったことが、千年も前のその書の中にも、ちゃんと含まれているんだろうと思う。
要するに、字を書くって心を訴えるっていうかな、そういう気持ちで書いてる字だと思います。だから私はその字も生かされてるんじゃないかと思う。
ホントに心を使うってことは、もう千年も前から現在に至るまで同じなんですよ。だから自分の訴えたいことを真剣に思って、真心こめて書いた書っていうのは、もうすでに心が入ってるんですね。
だから千年経ってもその心が消えないんです。ただ書いたものなら消えるでしょ。心が入ったものは消えないんです。
ということは、心は永遠不滅なんです。要するに心をつかさどるところ、魂ですね。これは永遠不滅なんです。
だから千年も前に書いた人の字体の中にね、やはり魂が入ってるから、今見てもね、ただ書を見るっていうんじゃなくて、心が何とも言えない、落ちつき、また励まし、実にもういろんな心がそこに表現されてますね。
とにかく何百年、千年経ってもね、あなたがたに私に、すべての過去の人類に全部通じるってことは、心が入ってるからですよ。心が入らない書き物であれば、おそらくそれは全然通じないでしょう。
だから、これ前にも話しましたけど、字でも絵でも音楽でも、徹底的にその心が入ったものは素晴らしいですよ。魂が入ってるんです。今さっき私があなたがたに叫んだ、要するに真心が入ってるんです。
その勉強をあなたがたは今してるんです。私が教えてることは、その真心ってものがね、千年も前にほどこされた物に厳然として今でも生きてる。ここのところですよ。
私は、その今でも生かされてるような真心をあなたがたに持っていただきたい。そういう魂の次元になっていただきたいと思って、この霊照会の行事をおすすめしてるんです。
永遠不滅のその魂ですべてのことを運んだとき、これは永遠に生かされるんです。なくならないの。
それがね、その物質的な感覚で、要するに物質人間の感覚で物を考えたときは、そのものは結局、千年の後にまで残されません。
ここのとこなんです、私がホントに訴えたいことは。
だからやっぱりいかに真心を作るかということがね、私たち人類の未来に対してもどれだけ素晴らしいことかっていうことです。
先ほど行った鎮魂もそういう魂になるための行事なんです。だからどうか真剣に取りくんでいただきたいと思います。
それで昨日、二次会でお茶を飲む会がありましてね、5、6人でお茶を飲みました。
そしたら、中村さんも、あなた、いい勉強できたねって言って、はいホントに。やっぱり違うんだなあ。って言ってくださいましてね。
何が違うのって言ったら、いや、やっぱり先生の教えって本当にありがたいなって、つくづく、こういういろんな先生方のお話を聞いてると、わかるような気がします。なんて、中村さん言ってくれましたけど。
というのは、一人の女性の方がね、自分が世界の宗教を統一するんだって。そしてそのための団体を作ってると。
団体っていうけど一人もいないで自分だけで、もう20年前からやってるんですね。一人勉強でやってる。
言うことは、ものすごくすばらしくご立派なことを言うんですよ。鶴田先生はひとりびとりの悩みを助けてるから、あなたは豊かになるんだと。
私は国を救うんですと、国を救う人間は、神道でも言ってるでしょうと、天鈿女命(あめのうずめのみこと)様が神々様がお集まりの中で、一生懸命裸踊りをしたんだと。
そしたら神々様がワイワイ騒いで、それを聞いて何事が起きたんだろうと思って天照大御神様が天岩戸から顔を出した。それでそれがきっかけで天照大御神様がお出ましになったんだと。
私はその天鈿女命のお役なんだと、その時の裸っていうのは、着物も何も着ないことを考えるんじゃないんですよと、裸っていうのは文無しのことを言うんだと。
何も物を持たない人間、その何も物を持たない人間が神々様を動かす、私はそのお役なんだと。
鶴田先生は一人一人をお救い、これもとてもね、神経使ってわずらわすんで大変で、私は一人一人のそんなつまらないところに神経使わないで、国を救う大事業の方に神経を使ってるんだと、こう言うんですよね。
それで鶴田先生は個人を救うことに神経使ってるから、先生は与えられるんだと。
で、私は国家を救う立場だから天鈿女命様の神話のとおり裸なんだと、裸の人間がいろんな宗教の神様、宗教をひとつに統括する。
私はそういう使命で生まれてきてるんだと言ってるんですよねえ。面食らっちゃったけど。
で、あなた、あの時どう感じた?ちょっと立って言って。
先生はいつも何事も自然であれっていうふうにおっしゃってます。で、その方は、すごく、こう、どんな状態からも抜け出たような感じがするんです。
で、いいほうに抜け出てるんでしたらいいんですけど、なんかちょっと変わってるなって、言葉では言いづらいんですけども。
どんなことをなさるにしても、やはり一つの輪の中で、自分がその中で一体となってすすめていくというようなことが自然な方向だと思うんです。
ですからいつも先生は、自然な空気の中で自分の動きが一体となっている、神の教えというのはそういうようなことだってこと、おっしゃってる。
それとその方はお話してる中で、自分はこうだ、自分が自分がって出てくる。
それから、先生は神様のことを、ちゃんと何々の神様、神様を尊んでおっしゃってますよね。
その方は何々って、こうおっしゃる。神様を崇拝してらっしゃるんでしたら、やっぱりそれは人間として心得っていうのがあると思うんです。
そういうことだとか、行動だとか服装その他諸々に渡って、なんかすごく飛び出た感じがしたんです。
やっぱり自然の中での己自身っていうことが、とっても大事だなってよくわかりました
それからちょっとお話が飛ぶんですけれども、始めにショーを見せていただいたときに12の掛け軸があったんです。
その時私ものすごく重苦しく感じたんですね。確かにすばらしいショーなんですけれども、重苦しくて、でもすごいなあなんて思ったんです。
それでその時、先生はパンフレットをご覧になってない知らない前に、すごく目が鋭くてこういうような人が出てきてと、おっっしゃったんです。
パンフレットにそのとおりのかたが載ってるんですね。アッと思って、それでそういう人が出てきてとおっしゃったあと、なんかすごく重苦しいその重圧感が、ものすごく軽くなったんですね。
だからもう、何ていうんですか、素晴らしい、先生のパワーっていうんですか。そのことにとっても感動しました。
やっぱり先生はホントにすばらしいご霊力の持ち主だなってことで、もう、ちょっと先生がお言葉を発しただけでね、そこがグーッと清まってしまう。もうそのことにすごく感動しまして、ありがとうございました。
やっぱり感じとったの。さすがだね。無駄に勉強してないね。
いやね、あそこで12の書を拝ましていただいて、スッとその本人が目の前にサッと立った。鋭い目でね、すごく険しい目で。
あれっと思って、あ、出てるなと思うから、中村さん、あなた勉強してごらんよ。この書と書いた人の顔を霊視してごらん。こう言ったの。
そしたら、いや私、その書き物を見ちゃってる、顔も見ちゃったんだって言うのね。で、私はまだ見てなかったの、その時ね。
あ、そうなの。これを書いた人の顔が載ってるの?て言ったら、ええ、この中にあるんですって。
で、私にパンフレットを渡してくれて、どこに?って、めくったら、先生ここに顔が出てます。ああホントだ。あらホント、同じ顔なんですね。だからやっぱりありがたいなと、その時も思いました。
こうやってね、私は書いた人の顔も写真も絵も見てないのに、こう、姿が私の目の前にサッと立ったんです。で、目礼しましたからね。
だから、ああやっぱりありがたいもんだなあって、つくづく私は思わさせていただきました。
結局その瞬間なんですかね、中村さんが重苦しかったのが、サーッと消えたってのは。
とにかく千年前の、それが今日にくるまでの間には、険しい目でいる、その先生だけにね、いろんな人間とのわずらいがあったんじゃないかと思う。
その方が亡くなられたのち、のちですよ。のちでもその死を通していろんなことがあったんじゃないかと。だからそれが重苦しく、岡田さんには感じたんだろうと思うんですね。
それが、私の前にその書のかたがお立ちになった瞬間、ちょっと私にあいさつしたんですけど、そしたらスッとなったんでしょう、きっとね。だから安心していただいた、要するに除霊ができたっていうんですかね。
その書に対する過去のいろんな人と人とのトラブルとか、あらゆることがあって、その本人は非常にそれがもう辛く苦しく、いろんな思いを持っていたんだろうと思う。
それが結局、私と会えた瞬間に、なんか胸がスッとしたんじゃないんでしょうかね、その本人は。
その現象が今度は中村さんの方に見させてるわけですよ。だからやっぱり霊的なものをわからせていただくってことは、ホントにありがたいです。
それで、さっき言ったその女性の方は、霊能者でもなんでもないんですよ。それなのに国を救うんだ、国を救うんだって言ってるんですね。
で、鶴田先生、あなた様は、一人一人救ってるかもしれないけど、救ってるかもしれないけどって言ったって、これ救うってこと並大抵じゃないですよ。
今お話したように霊的なことがひらめかなけりゃ、奇跡ってものは起きてきませんしね。
病気でも医者がだめだっていう病気まで治していただくには、やっぱり霊的なものがなくちゃ治らないしね。
だから、私は国を救うんだ、なんて簡単に言ってるけど、人ひとり救うの大変ですよ、これ、はっきり言うと。
だからそういうことを、あんまり実感として、この人は考えてないのかな。そうするとひとつの精神分裂なのかなと思ったり、普通の状態じゃないですよね。
鶴田先生は一人一人救ってるかもしれないけど、私は国を救うんだ。なんて、そんな簡単にね、一人一人救うことも大変ですよ。
それが国を救うんだ、なんて、もっと高度な霊的なものがなかったら国なんか救えないと思うんですよね。一人救うんだって霊的なものがなくちゃ救えないんですから。
私にもし霊的なものが授かんなかったら一人も救えません、はっきり言うと。私の考えだけじゃ救えませんよ。神様が私をとおして救ってくれるんだから、そうでしょう。
そしたら国を救う人だって霊的な人間じゃなくっちゃ、やっぱりね。一人一人救うんだって大変なのに、国を救うって言うんなら、私より強度な霊的なものがなくっちゃ救えないわけでしょう。
それがね、ただそういうふうに自分の頭の中だけでもって救うの救わないのって簡単に片づけてるんですよ。だからそういう人たちが、どういう心境なんだろうな、あれで一生終わってしまうとすれば最低ですよ。
皆さんは一生懸命あがろうと思って真剣に取り組んでるわけですよね。そういう人は学ばないんだから。学ばないで自分の言葉に酔って生きてる。まず始末が悪いですよね。ホントにお気の毒と思います。結局、精神分裂のようなもんです。
あのかたね、鶴田先生は一人一人救うって言ってるけど、私は一人一人救うんですからって言った覚えないですよ、まだ一度も。
これ皆さんも聞いてない。私がね、一人一人救う。私が、あなたを助けてやったんだから、なんてことは言った覚えないです。
だけど救うときは、そんななまやさしいもんじゃないですよ。たったひとりの人を救うのだって自分の命を張らなきゃ救えませんよ、はっきり言って。
それでたとえば、今日鈴木さんお見えになってるから言うけど、とにかくご主人様のときも私真剣に、もうホントにこりゃなんとかして救わなくちゃならないと。
鈴木さんはもう藁をもつかむ気持ちで、だってそりゃあそうですよね、お医者様がもう身内を集めなさいって言ったっていうんでしょう。
そりゃあもう鈴木さんにしてみれば、あの時の心境はもうたまったもんじゃない。ああいう時はもう人間とり乱しますよね。これは当然のことです。
で、なんとか先生助けてくださいって、電話でおっしゃった時、もう私もその時は真剣でした。
ああ大丈夫よ、鈴木さん。絶対ご主人様助かりますから安心して、大丈夫だから。って言いました。先生よろしくお願いしますと。
絶対助けてみますから、とは言わない私は。
でも言っちゃったあとの私の気持ちっていうのは、もしこれで助かんなかったらどうするんですか。
先生、あんな言ったのに、結局助からなかったじゃないかって、こうなっちゃうんですよ。
ところがね、今さっきあなた方に真心教えましたね。ここのところなんですよ。私が鈴木さんのその時の心情を考えて、ああこの人、今ホントに落ち込んでる。もう藁をもつかむ気持ちなんだなあ。
その心に対してなんとかね、ホント少しでも落ちついた心になってもらいたいって思うから、大丈夫よって言いきれたんです。
ね、大丈夫だから鈴木さん、とにかく大丈夫、しっかりしなさいよ。ご主人様必ず助かるからって言う私の心境ってのはね、ホントに鈴木さんの心が少しでも安らかになってもらいたい。ただそれだけなんです。
私の霊能力で治るからとは言いません。ただ絶対大丈夫よ必ず治るからね、安心しなさい。これだけ言いました。
でもそれ言い切るっていうけど、そのあとはね、私は並大抵の心情じゃないんです、はっきり言うと。
もしものこと、やっぱりだめだったらどうするんですか。その時は私どうやってお詫びしたらいいんですか。
絶えず私はそういう真剣勝負の時にね、断崖絶壁に立たされた気持ちですよ。でもその心境を神様はくみとるんだろうと思う。その心境に神様は奇跡をくださるんじゃないかと思う。
私が自分の身をかばったら神様は奇跡をくださらないと思います。でも私は自分の身をかばわないで、とにかく何とか相手に安心させよう。ただそれだけなんですね。
だから神様が相手を思うその心に対してね、奇跡をほどこしてくださるんじゃないかと、それで助けてくださるんじゃないかと思う。
私が大丈夫よと言った言葉に、決して間違いなく、神様がそうやってことを運んでくださるのは、私が相手のことを真剣に思って少しでも安らげてあげたいなって気持ち、
それで言ってる、その心を神様がちゃんとくみとっていただいてるんじゃないかと思う。
だから、鶴田先生は一人一人救って、私は国を救うんですよ。なんて、そんななまやさしい簡単なものじゃないんですよね。
それをそんな簡単に国を救うんだなんて言いきれる人間って、ひとり救うんだって大変なのに、どんな心情なんだろうなって私なら思わせていただきます。
だから今でも、先生にお祈りしてもらったら、
40度の熱が翌日おかげさまで平熱になりました。
玉串の葉っぱがパラパラ散っていたのが、散らなくなりました。
夜泣きしていた子供が翌日から夜泣きしなくなりました。
そういう報告をうけるたびにね、うちの理事長や副管長なんかにも私の心情を訴えますよね。
なぜ私がお祈りすると、昨日まで散ってた葉っぱが散らなくなるんだろうね。なぜ私がお祈りしたら、夜泣きしてた子がしなくなるんだろうね。
翌日すぐ報告がくる。どういうことなんだろう、なんだろうって、よく聞くんですよ。
でも私がお祈りすると、そういう人智ではおこなわれない奇跡がすぐそうやって形にでる。なんてありがたいんだろうって、心から思います。
ありがたいなって思うけれども、私ごときになんの力もないのに、どうして神様はそんな奇跡をくださるのかなあ。
相手も喜ぶし本当に神様ってありがたいな。そういうことのくり返しなんですよね。
極端な話が、今神様が、おまえ、ここで死になさいって、もし言われたら、私は死ぬ覚悟でいますよ。そのくらい私は神様を信じてます。
だって神様は絶対に裏切らないんですもの。真剣に真心で取り組んだときには、その結果は必ずいい答えで、ちゃんと整えてくださるんですもの。
ここのところ、あなた方もよーくつかんだほうがいいですよ。
これからの毎日の生活でも、絶えずそこに心を置いたら、神様は奇跡をあなたがたにも与えてくれると思います。
だからどうか、そういう気持ちを養ってほしいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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