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- 求めざるして与えられる P.1/3
- 天之御中主大神様と八百万の神様 P.2/3
- 実らせるのも実らないのも、みんな自分で作ってる P.3/3
1.求めざるして与えられる P.1/3
毎回私の話は、耳にタコのできるようなお話ですけれど、でもこれ、とても大事なんですよね。
皆さんがこの話を聞かなければ、また今やってる鎮魂も、この前もお話したように、完全なる鎮魂をなさらないで終わってしまったら、もったいないなと思うから、やはりね、耳にタコができるほど聞くほうがよろしいの。
そうじゃないと、人間て愚かだから、今聞いた話がとてもいい話でも、ものの1時間もたてばね、こっちからこっちへ抜けてしまう。これがほとんどの人だと思います。
だから何回でもいいお話は聞いて、そして、それを身につけなければ何もならない。
なんていうのかな、心というのはね、ただその話を聞いて、じゃ、その作業を、ちょっとやったからって、すぐ高まるもんじゃないんですよ。
やはり何回も私の話を聞くと、たとえば今おこなった鎮魂もね、また真剣に行えると思いますね。
それがお話聞かないとね、皆さん、もうここへ来るときに、すでに、「ああ今日は何と何があるんだけど、早く帰れればいいがなあ」って、帰ることのほうにばっかり心が行ってる方が多いんじゃないかなと、見てますけれど。
私、自己宣伝するわけじゃないんですけれど、でも私が歩んできた道を皆さんに教えて、そして皆さんも私のように幸せになってもらいたいなと思って、いつも自分の体験の話をするんですけどね。
今、皆さんに教えてる鎮魂のあり方は、私なりに会得したものなんです。
私がある道場で、まだ修行している時、そこは南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と拝みながら精神統一するんです。そこへは10年間、私は無欠席でしたよ。これはまあ皆さん、真似できないかもしれないけど、ホントにね、真剣でした。
それで、何回もお話してますけど、その間にいろんな行があって、それも素直に受けとめて、全部やってのけましたけど。結局、私、何でもそうなんですけどね、中途半端で終わらすの嫌いなんですよ。はっきりと胸にうなずく答えが出るまでは、何としてもね、私はやめないんです。
だから、ここに見えられる方でも、最初はずいぶん一生懸命してるなあと思うんだけど、ほとんどの方が途中で、だんだんだんだんたるんでくる。
私だって、その時に休まなくちゃならない私用がいっぱいありますよ、はっきり言って。私も皆さんと同じです。だけどそれをすると後味が悪いんですよね。
ですから詩吟の時も、実は私、詩吟もやってるんですけど、このお仕事しながら習いに行ってました。
ところが私はね、やっぱり1時間やるだけの時間が私にないんですよね。それでもとにかく行かなきゃ気が済まないんです。だから、たとえ30分でも行って、やったんですけどね。
1時から始めて4時までやってる人っていうのは、まあ遊びが半分というような気持ちで皆さんやってなさるような雰囲気ですよね。皆さんが3時間やるところを、私はたった30分で皆さんに一緒についていこうと思うからね、その30分は真剣ですよ。
それで11年目にとうとう師範の免状をいただきました。だから看板を出してもいいんですけど、教える暇がないから出してませんけどね。
私は何でも取りかかったことに対しては、なんか途中でやめてしまうのは、自分の心が許さないんですよね。そのくらい私は自分に厳しいです。結局、私は厳しい性格が板についてるんですね。
今でもそうですよ。このお仕事に入って広尾へ来て、まるまる2年です。その間に私、休みませんよ。気持ちが悪いんですよね。その間にはいろんな用もあるんです。
それで自分だって生身の体ですから、体調を崩すことも多いけれども、でもやっぱり自分に与えられたことは、どんなことがあっても、それを行わなければ気が済まない。もう疲れて辛くてもね、やっぱりそれをやらないと気が済まない。
でも、それが終わったあとは、とっても疲れてるはずなのに、すごくさわやかになるんですよね。
やはり肉体ってものはね、心の在り方でどうにでもなるんだなってことを、いろんな面で体験しておりますけど。
だから私、思うんですけど、いやなこと引きずってる時はものすごく疲れますよね。たとえば悩み。
これどうしたらいいだろうと、明けても暮れても絶えず考えてると、ホント疲れますよね。それ、やはり心のあり方が非常に肉体を左右してるんだなってこと、そういうことでも言えると思うんです。
ですから、どんなに無理して疲れてても、心のあり方がね、自分でホントに、ああなすべきことをやったっていう、なんていうのかな、自分に対する厳しさのけじめとでもいいますかね。
そういったことをおこなったあとは、ホントはうんと疲れてるはずなのに、とってもさわやかでね、その疲れも飛んでしまうんです。
そういうことから考えますとね、やっぱり皆さんも、そこまで真剣に取り組めば、たとえば体がおお事の状態のときでもね、たぶんさわやかになると思います。
だけど今日は体の調子が悪いからって、調子の悪いほうにばかり気を取られて、鎮魂のことは二の次になっちゃってると、鎮魂やってもますます苦しくなるの。
ところがもう倒れそうに疲れてても、鎮魂やらなければ気が済まない。これをやることは、私の心を高めるひとつの大事な行事なんだと、いうふうに考えて真剣に取り組んだ方は、
たぶん鎮魂の前までは頭が痛くてどうしようもなくて苦しかった。それが鎮魂やったら、とてもさわやかになったと、いうことに必ずなるはずなんです。
だから鎮魂やって苦しくなる人っていうのは、鎮魂に対する心の持っていき方っていうんですかね、それがまるっきり違ってるんだと思う。
要するに鎮魂ってものを真剣に考えないから、自分の肉体にばかりとらわれてるんじゃないかと思う。
今、肉体がとても辛いけれどもここへ来たという方がいたとして、そうすると、辛くてもここへ来たんだけど、辛い苦しい。どうしても肉体にとらわれちゃってる。
それで鎮魂に入った時には、やっぱり苦しいことにとらわれながらやっていたんでは、結局、なお一層苦しくなっちゃうんですよね。
精神統一っていうのは座禅を組んで手を合唱してやる行事ですから、その中で、はぁ私、今日は体がとても疲れて重たいのにと思いながらやってるとね、そっちに方に統一しちゃうんですよ。体が疲れて重い方へ統一しちゃうわけ。だからますます重くなっちゃうわけですよ。
だからどんなに体が重いときでも、その重い方に心を持っていかないで、
今日はホントにこれでよかったなという鎮魂を修めさせていただくんだと、身が入った有意義な鎮魂をさせていただくんだと、いう心定めをして、
それで鎮魂に取りかかったならば、絶対に鎮魂のあと、サッとさわやかになると思います。それは私の体験なんですけどね。
だからどうかね、せっかくやる鎮魂ですから、惰性でやらないでください。
そして真剣に取り組んでいくと、自分の魂の次元がなんとなく高まってきてるなっていう意識が、わかってくるはずなんです。最初はわかりませんよ。だけどだんだんわかってきます。
ホントはね、この座禅を組んで鎮魂するっていうのは、続けてやると一番いいんですけどね。私がやったのは続けたんです。百日間続きました。それが一番理想的なんです。
今日は鎮魂の日でと、間があきますでしょう。だから、かえって皆さんはむずかしい鎮魂をしてるんですよね。間があかないで続けてやっていくと、早くに悟ることができるんですけどね。
鎮魂が有意義であるっていうことが、生活環境にも自分の考え方にも、いろんな面で出てきたり、すごく向上が早いんですけども、間を置くからまた元に戻るんですよね。
でも元に戻っても、またやることによって、だんだんだんだん少しずつ前に進んでるはずなんです。自分の心の次元がね。
それで、せっかくどうやらここまで来たのに、次の鎮魂の時に御用ができると、まあいいや、用があるんだからって休む。ますます間があいちゃう。
で、少し元へ戻るから、戻ったところで気をゆるめちゃってね。そうすると、この辺まで魂が高まってきてるのに、その次も御用で、いいやいいやで、また休む。
この「いいやいいや」って気持ちになるのも、この鎮魂を続けてれば、そういう気持ちにならないんないんだけど、どうしても、まあ続けられませんからね。
だからいいやの心が強くなっちゃう。そうすると、せっかくこの辺まで来てたのが、完全に元までは戻りませんけど、元近くに戻ってるんです。だからもったいないんですよね。
どうかね、昔から石の上にも三年って言いますけど、とにかく三年間は気を許さずに、少々いろんなことがあっても、これをやり抜こうというね、そういう心構えを私は作ってほしいんです。
今度の鎮魂の時は、ああいうことがあるからいいやっていうこと先に考えないで、鎮魂の当日まで、行くんだっていう心を作っておいてください。私は鎮魂、絶対休まないぞって心、作っていただきたいと思う。
そうするとね、行が積んできますと、ホントはその日にある用が、ほかの日にずらされて、その日に出られるようになりますよ。私の経験はそれなんですね。
だから結局、今度の鎮魂はこういうことがあっていけないなって、先にそういう献立しちゃうと行けなくなっちゃうんですよ。
だからそういうことがあろうがなかろうが、とにかく鎮魂の日は行くんだと、自分の日常生活のいろんな行事は後回しに考えて、心の問題を言ってるんですよ私は。心の問題を、考え方の問題を言ってるんですよ。
そういうこと後回しにしちゃって、その鎮魂の日は休まないよ。絶対私は出ます。って自分に言ってきかすんです。
そうするとね、最初からそうはいかないけれども、ある程度魂が高まってきますとね、その日に自分の方の私用があっても、それがほかの日にいくようになっちゃうんですよ。で、鎮魂にちゃんと出られるようになるんです。これは不思議ですね。
だからお金もそうなんです。何でもみんなそうですよ。先にね、ああこれがあれだけかかるからできないや。そう考えるとできなくなっちゃうんですね。
私はどうしてもこれだけはやるんだと、何としてもそれをやり抜くんだと、これはやるんだと、いうのはいいことはですよ、いい行いね。
その場合、先にお金計算しちゃって、ああこれ、できないけどどうしようかなあ困ったなあ、とかって考えてちゃ結局できないんです。やるんだと決めたら、遮二無二思いこんじゃうこと。念の世界なんです。
これは、鎮魂とか行事のことにかぎらず、世間のことでの一般の考え方でも私はそれが適用できるから言うんですけどね。
私たちね、一生懸命、この生活設計を自分で作ってるように思ってるんですけどね、確かに自分で作ってるんですよ。
だけどそれは、いつも言うように生活しなくちゃなんないからね、だから三次元のその生活状態のほうをどうしても優先的に考えちゃうんです。
そうすると、そっちの方のことを先に頭に考えちゃうから、大事な行、大事なことをおこなう方が、二の次になっちゃうから、考え方がですよ、私の言うのはあくまでも考え方ですよ。その考え方が二の次になっちゃうから、結局二の次になっちゃうの。
どうしても、これをやりたいっていうことを第一条件に考えてね、そして毎日のやらなくちゃならない生きるための生活ですね。
どうしてもやりたいってことを、その日が来るまで絶対ね、こういうことがあるから、その日は行けないやとか、こういうことがあるけど、そのお金はどうしたら作れるんだろうとかって、まだ結果が来ないうちに、お金のことやら、また時間のことやら、いろいろ悩まされるでしょう。
皆さんが生活してる里の行の中で、そういうことをずいぶん体験すると思うんですよ。それはね、大変だと思うことを先に考えちゃうから。だから結局大変になっちゃうんだと思う。
あくまでも、自分が心定めしたことを必ず徹してやるんだという考えを、お作りになってしまうことですよ。
そうするとね、最初は、なかなかそうはいきません。この鎮魂のことでも、やっぱりその時都合悪くなって、出られなくなってしまう。
その時には、今日はぜひこの鎮魂に出たいと思ってたんですけども、出られないで申し訳ございませんって、心の中でお詫びするんですよね。それでもう許されるんですよ、はっきり言うと。
だから最初からね、この日はいけない、この日はこういう事でだめだって先に考えないことなの。
もうとにかく鎮魂を最後まで徹底的におこなうんだと、私は全部やりとおすんだと、いうくらい、要するに心に迫力を持たせることですね。これがね、実は秘訣なんです。
たいがいは、自分でもう先に考えて設計しちゃうんですよね。
お金のことの場合でも、世の中で生活してる状態で、えーこれだけないと困っちゃうんだけど、ああだとかこうだとかって考えるから、ますます困っちゃうんです。
そういうことにとらわれないでやるべきことをやるんだっていう信念で、そうすると案外、お金もスッとどこかから入ってくるんですよ。これは不思議なもんですよね。
私、いやというほど、そういう体験してますのでね、こういうこと言うんですけど、
結果においては、要するに、心がそこまで到達したら物は与えられるし、時間も与えられるしね、体も与えられる、健康な体になれるんです。
だからどうかね、先に三次元の生活の中で翻弄されるようなことを頭に入れないこと。
それよりも自分がこの心の修行に、魂を高めようということに取り組んだならば、それを第一条件に考えていくんです。いつもいつもそれを頭に置くこと。そしてそういう考えを作っていくこと。最後の最後まで。
たとえば三次元の生活状態の中で、この日はあの日は、こういうことがあるから大変なんだけど、行けるかな、行けないかもって考えないで、もうその日も行くんだって考えちゃう。そうするといいんです。
ところがね、ほとんどの方は、この日はこういう都合があるからいけないからなあって考えちゃうから、結局行けないことになっちゃうんですよ。
この辺をどうかね、皆さん悟ってほしい。これはもう悟りになります、はっきり言うと。
人間の生活っていうのは、こうやって三次元で生きていく姿っていうのは、結局、絶えずその悟りへの心を作るために、人間が惑うようないろんな物が、目の前にぶるさげられるんですよね。
それをなで斬りしてるだけの人間になれればいいんですよ、ホントはね。
だけどなかなか、ちょっとむずかしいかもしれませんけど、まあ私はやってきました。それでこんにちがあって、求めざるしていろんな物が与えられる状態になってきてます。
すべて自分の思いどおりですね、人生ってものが。だから、そういう体験をしてるから、皆さんにこういうこと、いつもお話するんですけどね。
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