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物質の世界は魂を禊ぐところ 1992年9月16日

  
  1. 人間は生まれること自体がもうすでに信仰-①     P.1/3
  2. 人間は生まれること自体がもうすでに信仰-②     P.2/3
  3. 伏見様のお働きがとても必要な時           P.3/3

1.人間は生まれること自体がもうすでに信仰-①     P.1/3

まぁいつもですけれども、ここのところ特に忙しくて、13日はここの会、14日は帝国ホテル、そして昨日は高円寺の氷川神社で講演しましてね、それで今日なんです。


もう毎日続いてるんですけど、歳を考えるとそんなにハードに動ける歳じゃないんですよね。


帰ってくるのは大体11時半だからね。それからお仕事がある…お祈りがあるでしょ。で、寝るのは2時ですよ。


それにもかかわらずね、今があるんだから、やっぱりありがたいなってつくづく思わせていただいてます。


今日は大阪の方が見えてるんです。この方は赤ちゃんが全然出来ないで、それでご主人ともうまくいかなかったんですよね。


それでうちに見えられて、いろいろと因縁調べをして、その因縁の切り方も教えてあげました。


そしてあれは…100日目ぐらいの時に、毎月のものがないと、じゃあいよいよだというわけで、それで出来たのが一番最初のあの子なんですけどね。


それがね、医者に診てもらってもどうしてもできないし、困り果てたところを、あの時はテレビですか?本ですか?どちらかな…とにかく見て、で、見えられたんです。


結局赤ちゃんが出来るまでは、ご主人といろいろトラブルがあって、別れようかとまで、そこまでいったんですよ。


そういう内容も全部霊感でわからせていただきましてね。こうでしょ、ああでしょって…いやぁ先生そのとおりですってわけで、じゃあこの因縁切りをしましょうと、それでいろいろお教えしたんですね。


その結果が、赤ちゃんが出来てから、ご主人が、なんかだいぶ人間が変わっちゃってね。


で、ご夫婦すごく仲良くなっちゃって、それで、いやぁ鶴田先生すばらしいな。こんなことってあるかな。そう言ってくださったそうです。


そういうの聞くとね、やれ良かったなと私もホッとします。そしたら今度二人目もまた出来たからね。


だから良かったねぇって、そういう方が他にもいるんです、うちはね。


山川さんもそうだ。山川さんだって一番最初のきっかけは、子供さんがいないっていうことで、私のテレビを見てた妹さんが、こういう先生のところに行ってみたらって、それで来たんですよ。


で、いろいろ因縁調べして、それで最初の奈桜ちゃんが出来て、次に…あれは3年ぐらい経ってからですか?…


「6年です。」


6年経ってから次の、…奈桜ちゃんの名前よく私は覚えるんだけど、一番最初だから。


「あの、香菜です。」


そうだ、そうだ、次は香菜ちゃんなんです。やっぱり二人のお子さんを授かってるんですよ。だからありがたいですよね。


山川さんは仕事の方も、どんどんいろんな面で栄えてます。


大阪の田沢さんも、多分そうだと思いますよ。ご主人のお仕事の面も守られてるんじゃないですかね。


それで田沢さんは今日満願の二千日のご挨拶をしたんです。それで、

「先生これでもう因縁切れたでしょうか」って言うから、

過去のご先祖の因縁っていうのは、まぁだいたい薄くなってきてるけれども、だからもういいって言うんじゃないのよって言ったの。


信仰って言うとなんか別の世界に入ったような気になるんですよね。そうじゃないんですよ。


この信仰の道っていうのはね、人間が正しく歩む道のことなんです。要するに真理の道ね。この道を歩むことを神様は教えてるんですよ。


だから「おぎゃあ」と生まれると同時にね、その道を歩むことに専念しなきゃいけないの。


絶えずそこに心を使えば、あなた方のこれからの人生のいろんな障害が全部ストップかかるんですよね。


それを心にないまま過去のいろんな先祖の犯した罪を背負ったまま歩んでる。だからいろんな災いが起きてくるわけですよね。


だから先祖の因縁をここで絶ち切ったから、もういいんだということじゃないんですよ。


断ち切ったと同時に今度は自分が子孫にそういう因縁を残すまいとして努力しなくちゃいけない。


信仰というと今は新興宗教がたくさんあるから、あっちがいいの、こっちがいいのって言ってますけど、そうじゃない。人間はもう「おぎゃあ」と生まれること事態がもうすでに信仰なんです。


冷静によく考えてみてください。なぜ人間がこの世に生まれてくるんでしょう?


そういうこと哲学的にいろいろ考えてみたらどうですかね。客観的に自分の生き様ってものを見つめると、あぁなるほどなって、本当にこれは自分で勝手に生きてるんじゃないんだなってこと、わからせていただくんです。


要するに、人間って生かされてるんですよ。自分たちで勝手に生きてるんじゃない。


それは何で生かされてるかと言うと、生命の元親があるわけ。その元親様をとおして私たちは生かされてるの。


その生命の根元、宇宙には大生命があるわけ。それを宗教の道では「神」と言ってるわけです。


要するに生命っていうのは生きる命ですよね。そうでしょ、あなた方、今現在、生きる命なんです。


これはね、生命っていうのは永遠不滅、でもこの肉体はなくなっちゃうんですよ。


神様が生命のお宿として与えたのが肉体、要するに物質なんです。


この私たちの肉眼で見える三次元の世界ね、これ物質の世界なんです。この物質の世界も神様が与えてくれたんです。


じゃあ何故、神様が物質の世界を与えてくれたかと言うと、私たちの生命の根元である魂ってものを絶えず禊いでいかなくちゃならない。


禊ぎっていうと、そうですね、なんて言ったらいいか…修行、…修行も重っくるしいかな…、でもね、業を修めるって書くんですよね。


要するに今生きてる世界っていうのは物質の世界だから、そこで物をとおして起きる心があるわけですよね。


たとえば、お金が欲しい、名誉が欲しい、それと健康な体が欲しい。みんな物質なんですよ。


この物質をとおして出来た心というのが、実は苦しい心なんです。


この世に生まれた時、物質ってすぐ与えられますね。その中で私たちが神様からいただいた生命の根元とでもいうか生命の本体、そういったものを絶えずこの物質の欲の世界の中で持ち続けていく。


要するに人間は清めようって努力をするわけ、禊ぎをするわけです。わかりますかね…この辺が。


それをしなければ死んでこの肉体を離れた魂が、大霊界の、要するに宇宙の大霊のもとへ戻れないの。

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