- 神様の道しるべ P.1/3
- 自分を認めないで人事をつくす P.2/3
- 神の子である自分を成長させる P.3/3
1.神様の道しるべ P.1/3
どうも本日はご苦労様です。
いつも偶然ってことはない、全部必然だって申し上げてますけど、私は必然ってことを、ハマるって言葉で表現するんですけど、ピシッと合いますからね。
それでこの間、川田正子さんの会で、野口雨情さんの孫娘にお会いして、そしたら、私は鶴田先生に会いたかったんだと、
今日この会に来たのも、先生にお会いするために、来させられたようなものなんですと言って、とても喜んでくださったんですよね。
そこへ偶然にも、林田さんが(会員さん) 縁があって、ご旅行なさったんですけどね。それで随分、雨情さんのおみやげ物を、今だいぶいただきました。
そうしたらまた不思議と、今日、新聞に雨情さんのことが載ってるんですよ。だから「不思議」ってことは、やっぱり全部必然なんでしょうね。
たとえばこの間の、私が出たテレビ番組にしたってね、はっきり言って、あてるとかあてないとかって問題じゃないんですよね。
名前も住所も何も言わないで、守護霊を見てくださいと。まあこれは名前や住所を言っても、同じだと思うんですよね。
結局何も言わなくてもね、相手を無心にジッと見つめてるとスッと閃いてくるものがあるの。
ここで言いたいことはね、皆さん何かこれからやろうっていう時に、必ず大丈夫かな、こうかな、ああかなっていう考え方が必ず起きると思うの。これで皆さん失敗してるんですよ。
もう少し自分を捨て身になることなのね。で、果たして大丈夫かな、こうかなっていう、そういう気持ちがまだあるというのは、いつも申し上げるようにね、物質の世界の心なんです。
今少しね、自分ってものを、要するにこの物質人間の己ってものを捨てるんですよ。そうすると、大丈夫かな、こうかなって考えないんですよね。ま、表現で言えば、まるで無知のような表現になっちゃいますけどね。
それで結局、なんにも相手が言わなくたって、ちゃんとハマっていくようにお答えが出ますでしょう。
これは私の頭脳じゃないんです。やっぱり神様のお計らいですかね。神様のお計らいをしていただくには、そこに自分があっちゃいけないんですよ。
皆さん、自分というものがすごく強いから、そのお計らいがなかなかしてもらえないんじゃないかなって私は思うんです。
だから自分を完全に捨てきれれば素晴らしいんです。これもそういう人間になるためのご修行ですよね。
皆さん捨てきれないでしょう。毎日の生活がついてまわってるから、どうしたってとらわれてますよね。
とらわれてる心でいると、何かひとつのことが起きると、そこに大丈夫かなって、またすぐとらわれますよね。
だからいつになっても進歩ないんですよ。で、失敗の繰り返しが多いんです。
皆さんそれぞれ毎日の生活の中に、歩む姿勢があるでしょう。道があるでしょう。
それを物質を通しての自分というものを意識しながら、毎日の生活を見つめてる状態っていうのは必ず失敗するんです。この辺のところが、もう悟りになるんですけどね。
宇宙にはひとつのルールっていうか道っていうかね、それがちゃんとあるんだと思うんです。
だから肉体人間の自分っていうものを意識しないまでの存在に、自分の魂がなれるとね、不思議と、ちゃんとその道にスパッと入れる。
今までにも、悟りを開くっていう言葉が、よく出てたと思いますけど、私は、その自分の魂の次元になれる人、悟りを開くってそういうことじゃないかなと、実は思わせていただいております。
そういうふうに、やっぱりとらわれることが、我々人間、ほとんどの人の姿ですよね。
これをとらわれない己を作っていったなら、絶対に神様が道しるべを与えてくれるんです。人智の力では何もできないんだけど、
神様の道しるべっていうのは、人智ではできない知恵をちゃんと与えてくれるんです。
極端な言葉で言いますと、まず自分ってものを捨てることですよ。自分を捨てるっていうのは、肉体をとおした自分を捨てるの。
それだけ信念を持てる人間を作っていければ、これが修行なんですよ、はっきり言ってね。そうすると案外すべてにとらわれなくなるんです。
たとえばこの間のテレビの仕事にしたってそうですよ。そういう中で私がもしとらわれたら、ああいう答えが出ないんです。私が当たったとか当たんないとかじゃないんです。
私の心がね、そのひとつのことにとらわれないから、神様がちゃんと正しい答えを授けてくれるんです。ここのとこなんですよね。わかってもらえるかな、これ。
どうしても皆さんとらわれちゃってるんですよね。だから実は霊照会の修行は、とらわれない自分ってものを作るための、そういうことを私は皆さんにおすすめしたいんですよね。それが本当の幸せになる道だから。
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