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とらわれない心~神様に認められる自分に 1989年3月29日

  
  1. 自分を生かす心を作る         P.1/3
  2. 悩みがない時こそ努力する       P.2/3
  3. 神様に認められる自分に        P.3/3

2.悩みがない時こそ努力する     P.2/3

今、私、電車の中でのことで説明しましたけど、あなたがたも生活の中で、


たとえば子供の関係とか、お金の関係とか、夫の関係とか、そういう中で、そういうことはいくらでもあると思うんですよね。


それにジーッといつまでもとらわれてたら、ますます悪い方向にいくんじゃないですか。


だからそれをとらわれないで、もうとにかく私は一生懸命、毎日の生活に信念を持って、そして神様を絶対に忘れずに、神様と同行二人というぐらいに考えて、神様は絶体悪いようにしないと、少しでも神様に対する姿勢を作る。


そして、盲信ではいけないですね。家庭の人間から盲信してるように思われたんじゃ、本当の正しい神の道じゃないですよね。だから絶えず幅広く心を使っていくことが、私は修行だと思うんです。


その幅広く心を使っていくことで、少しでも悟りへの道に近い己ってものが、そこにできてくるんだろうと思う。


だから決して、どんな苦しみでも、やだやだと思わないで、その苦しみにとっぷりと浸かって、もうひとりの自分を作ってみて、客観的によーく冷静にみつめて、


そしてその苦しみの中で自分がどういう姿勢をとったなら相手が変わるかなと考えてもいいし、そのとらわれない自分ってものを作ることに心を持っていきなされば、おのずから、そういう心が生まれてくるんですよね。


悩める者は幸いなりって言葉がありますけれども、その悩みが自分ってものを作っていくんです。


自分ってものを、悩みが作っていくはずなのに、その悩みの虜になって、悩みに負けて、それで一生終わってしまうというあなた方でないように。


悩みはむしろ自分を少しでも一歩前進させるための、自分の今の状態なんだなっていう考え方ができるようになると、しめたもんですね。


悩みを客観的に見つめて取り組んでる姿。そういう己ってものを作らないといけないと思う。


ここへお見えになる方は、悩みがあってお見えになる方がほとんどだと思う。


でも、その悩みが少しでもある程度解消してきますと、人間ってのは、もうホントに、楽、楽、楽、楽という心がどうしても、ズーッと先祖から伝わってきていて、切れないんですね。


そうすると、悩み事があるときのほうが一生懸命なんですよ。悩み事がなくなると一生懸命じゃなくなっちゃうんです。


今度は自分の都合をいろいろ考えてくるんです。それは負けの姿勢なんですよ。


何事もなくなったときにこそがんばる。そうすると、今度はホントにね、何も考えないでも、楽な楽な姿勢にいけるんです。


だからひとつの波があるんですよね。ここへ来て問題が片付いて何も悩みがなくなった。でもまだいくらかある。そういう状態のときに、たいがいちょっと気がゆるみますよね。


そうするとこれがかえってまた逆戻りするんですよ。 逆戻り完全にした場合、今度はなかなか元に戻らない。


その逆戻りをしない程度に、ある時点で反省して、「あ、こりゃいけない」ブレーキをかけること、自分の考え方に。


こりゃ間違ってるな。これ初心ですね。初心を忘れてるわけですよ。私たちは一番最初ここへ来たとき、どういう気持ちで来たんだろう。


あ、そうか、その気持ちにもう一度戻らなくちゃいけない。今少しよくなってきてるかもしれないけれど、その時の気持ちに徹底的に戻ってね、


この姿勢をくずしちゃいけないんだ。自分に厳しくなんなくちゃいけない。


それでその厳しさを保っていくとね、もうある時点まで行くと、今度はそんなに厳しくならなくても、今度はホントに楽な姿勢で行けるようになるんですよ。


それまでの辛坊ですね。

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