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とらわれない心~神様に認められる自分に 1989年3月29日

  
  1. 自分を生かす心を作る         P.1/3
  2. 悩みがない時こそ努力する       P.2/3
  3. 神様に認められる自分に        P.3/3

1.自分を生かす心を作る       P.1/3

魂が高まってくると、
こうありたいなあ、と思うとそうなるし、ああやりたいなあ、そのとおりになる。


それがね、ああやりたいな、こうありたいなっていうのが、欲望でなく、
自然の意識っていいますかね、ただ瞬間、ああなりたいって瞬間に思った状態。


たとえば電車に乗ってね、いつも私、だいたい前が空くんですけれども、
でもたまに前がズーっと腰かけてる場合があるんですね。


きのうなんか、そうなんですよ。


用事を済ませた帰り、遅くなってしまって、案の定、電車混んでいて、もう足が棒みたいになってて、立っていられないくらい足が痛いの。


でも誰も譲ってくれる人はいないんですよね。誰か立たないかなあと思うと立たないです。ここのとこですね。


私もやっぱりあなた方と同じように、まるっきり悟りに入ってないんですよ。やっぱりとらわれがあるんです。


それで、いてもたってもいられなくなって、前に腰かけてた女の子に


「お嬢ちゃん、どこまで乗るの?」って、


「うーん…」なんて言っててね。


それでお母さんのほうも、それに対して答えないんですね。


私はね、聞きたくてしょうがないんですよ。この人どこで降りるんでしょうと、大船まで乗っていったんじゃ何のために立ってるのかわからないからね。


そうすると、そんなときこそ先生、霊感を使って、この人はどこで降りるのか調べたらいいじゃないか。なんて思う人がいるかもしれないけれど、


霊感てものはそういうところへ使うもんじゃないんですよ。やっぱり霊感っていうのは、皆さんのお役に立つために使うんであって、


自分のためにね、自分がラクするために使うものではないってこと、私はわからせていただいておりますのでね、だからそういうことは絶体考えないんです。


それで、ああ足が痛い、ホントに困っちゃったなあと思いながら、吊り革にぶら下がりながら靴を脱いでモジモジしてたんです。


今まであなたがたには、私の前はすぐ立つなんて話したでしょう。昨日はそうじゃないんですよね。いつになっても降りないんですよ。


あれだめですね。早く降りないかなと思うと降りないの。あなたがたと同じような体験を昨日はしました。


それで、もうあきらめたんです。痛いのは痛いんだと思ってね。あきらめて、もういいや、大船まで立っていこうと腹を決めたんですよ。そうしましたら前の人たちは立たないけど、その脇の人が立ったの。


だからやっぱりとらわれちゃだめですね。この人たちどこまで乗っていくのかなあ。早く立ってくれれば、腰かけられるのにな。


そんなこと考えてたからだめだったんだ。これはいつも皆さんに教えてるのになって、もう一度ね、自分ってもの振りかえって、ホントにきのうはいい勉強させていただきました。


人間、死ぬまでとらわれないで一生いける人っていないと思うんです。でも、そのとらわれたことが、かえって次に生かされる、答えになってくるわけでしょう。


前の人が立たないかな、立たないかなと思ってとらわれてたら、とらわれた結果がだめだった。


それで今度は、もういいや大船まで、もう立ちっぱなしでいけばいいって腹を決めたら、向こうの人が立って腰かけられた。


そういう勉強をしました。絶えずどんな状態でも、自分を生かす心を生み出す方法ってものがそこに生まれてくるはずですよね。


だからずいぶん苦しい難儀の状態でも、そこで自分がどういうふうな心を作っていったならば、この状態が少しでも一歩前進するか、要するに生かされるか、というふうに考え方を切り替えていけるような人間になったら、すばらしいですね。


これが私は悟りへの道だと思うんです。人間、生きながらに完全なる悟りは、お釈迦様みたいになれませんから。

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