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本当の幸せ感  1988年12月4日

  

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  1. 本当の自分を高める -鎮魂-    P.1/6
  2. みんな不可能のない人間になれる、素晴らしいものを持っている  P.2/6
  3. 管長先生お話          P.3/6
  4. 会員 前田さんお話       P.4/6
  5. 会員 安田さんお話       P.5/6
  6. 人の幸せを願う時の心境     P.6/6

1.本当の自分を高める -鎮魂-    P.1/6

この鎮魂の行事は、誰でもできる、見た目ではとても簡単のように見えて、実はとても奥深いもの。


なぜ奥深いかといいますと、この肉体の中に本当の自分がいるんですよね。その本当の自分を、どんどん高めていく作業なんです。


なぜ高めなくちゃならないかっていうと、やっぱり人間は幸せじゃないといけない。自分の魂が高まらないと幸せになれないんです。


高まるということは、いつも言うように、親神様に近づくこと。自分たちの親は神様である。その親神様に、私たちの魂が近づくんです。


この大宇宙の中に、私たちが人智では想像できない、科学でも医学でも計り知れない、素晴らしい力が無限の力がホントはあるんです。


私たちの魂は、その大宇宙につながりを持ってる。そのつながりを持ってる魂を活性化させるのが、この鎮魂の作業なんです。


だけど肉眼で見えてる形というものは実に単純で、こういう小さなお子さんでも誰でもできる、そんな姿勢だから、すごく軽んじてしまうこともできる。だからね、とても簡単と考えれば簡単。


ところが、とても奥深いものに、だんだんと突っ込んで考えていかれるようになれば、素晴らしいんですよ。


魂の次元が高まるには、段階っていうのがあって、まだそこまで考えがいかないうちは、たとえば、富士山の頂上あがるにも、一合目からあがるでしょ。


それと同じように、この魂を高める作業もね、一合目から始まって、2合目、3合目と、あがっていくわけです。


だから、合数の少ない時には、自分たちの行いが非常に単純化して見える。こんなことをしてて幸せになれるのかしらって。


私たちの肉眼で見える、今のこの行事、実に簡単でしょう。何回も繰り返し言ってますけど、お子さんもできるんですから。


ところが、はっきり言いますと、お子さんね、大人になると、だんだんだんだん魂が汚れてくるんです。というのは、肉体人間を少しでも満足させようと思う意識に左右されるから。


そして、その中には偽りもね。最初のうちは、なんとなく言えないなと思いながら、仏の顔も三度とか、泥棒にも三分の利とかって言葉がありますけどね。


最初のうちは偽ることを、なんとなく心のどこかに引っかかてるんだけど、それを何回も続けてるうちには引っかからなくなってしまうんです。引っかからなくなってしまった状態というのが、完全に魂が非常に低下してる状態です。


だから、生まれてきた時の魂の状態っていうのは、今、皆さんが成長してる魂の状態よりも、もっと清らかなんです。むしろ皆さんよりも、このくらいのお子さんたちの方が、実は非常に清らかなんです。


だから精神統一にもわりに入りやいんです。疑いもなく真剣に、素直に、そういう心でもって受け止められることできるんですよね。


ところが大人になっちゃうと、こんなことしててホントによくなるのかしら、こんなことして無駄じゃないかしら、それよりも私は、実際はこういう目的があるんだけど、


その目的をなんとか完成させたいと、もうその行よりも自分たちの心の修行よりも、目的の方が頭にチラついちゃって、どうしても完全な精神統一が、非常に難しいんですよね。


ところが、このくらいのお子さんのうちはね、人生の経験で魂が汚れてないから、非常に素直に入っていけるんです。


そして、とらわれないで、あ、これをやりなさいって言うと、とにかく真剣に、それに取り組んでいける。


だからホントはね、こういうお子さんのうちから始めると一番いいですよ。そうすると、学校の成績もよくなるし、社会人になっても素晴らしい人間ができあがると思うんです。


大人の人を仕込むの大変ですよ。ここで私の話を聞いて、また修行してね、ああそうだ、私はいいことしたんだと思いながらもね、


また肉体人間の我にかえった時には、ああもこうもって、いろいろとらわれて、それでこういうことをやること自体、やらなくても誰からも責められない。


というところで、非常に自由ですよね。だから自分の気の向く、おもむくままに、なさる姿勢になっちゃうんですね。これがとても残念です。


たとえばある方が目的を持ってたって、今日あたりも見えてない。ああ、あの人、目的あるのに、今少し真剣になりゃいいがなって、私の方はわかるんですよね。


ところが本人はわからない。未来のこと、わからない。わからないから、まあいいや、いいやって、自分の肉体人間を通したところの意識を尊重してしまう。


それでいつになっても堂々巡りしてて、いつになっても幸せになれない。そういう人生を繰り返して、この世を去ってしまうんです。


そんな人生の繰り返しでない、皆さんになってもらおうと思って、私は一生懸命になって取り組むんですけども、なんにせよ、その非常に見た目が単純化した作業ですから、皆さんをなかなか引っ張っていくのが、とても大変です、はっきり言って。


だからどうか皆さんね、聞く時だけじゃなく、またやってる時だけじゃなく、とにかく今日一日は二度と来ない。いつも言うように、二度と来ない一日を、自分が夜寝るときに、


今日一日ホントに悔いのない人生であったか、今日一日はこれでよかったんだ。そう納得するような一日の繰り返しを、私は歩んでほしいと思う。


だけど、その繰り返しが、見てますとね、どっちかっていうと、何回も繰り返すように、肉体人間の意識の満足感の方にとらわれて、自分では気がつかないけど、いつの間にか、そっちの方を完成することにばかり集中しちゃってるんですね。


そうすると肝心の魂を高める作業の方は、二の次三の次になって、それで肉体人間に、要するに物質化した意識に振り回されて、それが満足いくことを絶えず求めて、そして一番大切なことはどうでもいいと、誰も文句も言わないしね。


それで結局、目的は達成しない。それで終わってしまうのになって思える人が、ホントにいるんで、情けないなと思いますけどね。


どうかね、もっと真剣に、石の上にも三年ってことがあるから、三年間はとにかく一日も休まずにやってのけようかなと、いうくらいな真剣さってものがあって初めてね、魂ってものはだんだん高まって、親神様に近づいて、そして自分たちの思い通りの人生ってものが展開してくんですよ。


どうかお説教と思わないで、事実のことなんですからね。まあこうやって話してても、上の空で聞いてる、一つも心に留めない。


それでね、ホントに憐れな毎日毎日の生活を営んでる姿を見てると、気の毒だなと思いながらも、どうしようもない。これはね、魂の次元での生活だから。


と思いながらも、どうかね、私の心を揺すぶるだけの修行をして、続けていただきたいなと思うんです。


線香花火の火をつけて、パッパッパッパァっといつの間にか消えちゃったっていう、そういう修行じゃなくて、私から見て、あの人、よく続けてるな、さすがだな。というようなご修行の姿勢を、皆さんが作ってほしいと思います。


ま、ひとつがんばって、人ごとじゃないの、みんな自分の幸せにつながるんですからね。どうか真剣に取り組んでみてください。お願いいたします。

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