どうも皆さん、本日はご苦労様です。
昨日、夜中の2時頃のテレビで、神様を信じますかって聞いてみる番組、見ましたか?
会員:少しだけチラッと、いろんな方にインタビューしていた…
そう、インタビューね。いろんな答えがありましたけど、神様を信じますか?ってインタビューを受けて、若い方でしたけど、
神様って知らないけど、私は信じたいと思います。
これいいですよね。本音ですよね。一番感じいいなって思いました。
いろんなこと言う人がいる中で、全然、神っていうことを意識しない人たちの答えとしては、
非常に正しい、すっきりとした、いいお答えだなと思って聞かせていただいてましたけどね。
もし、信じます!って答えを出した場合、それでもいいんですよ。でもその人が果たしてどこまで神様を知ってるかと。
皆さんはもうね、信じたいじゃダメですよ。私が今言ってるのは初心者の場合です。
そして、神を信じますか?っていうような番組ができるということは、
今、人間に欠けてるものが、何か満たされないものが、いろんな面であるという空気が出てるんじゃないでしょうかね。
どうですか?皆さん。こんなに世の中が煩わしくなってくると、何かこの自分の力不足っていうかな、
世界中を見渡しても、いろんなこと起きてますでしょう。何が起きてるのかな、なんだろうって、
そういうふうな不安感っていうのはないですか?特にこの頃は、それを感じますね。
もっとも自分の悩みに精一杯で苦しんでいる人は、これから何が起きるのかな。なんて考えないで、
自分の家庭の中が、こうあればいい、あああればいい。それだけを求めてるのかもしれません。
そのほうが比重が強いかな。どうでしょう。
私の場合は、そういう悩みは一切ないから、やっぱり閃きもあるからかな。そっちの方が非常に不安ですよね。
で、答えそのものも、もうすでに3分の1が生かされるということを、何となくわからせていただいてるので、
ああだんだん、そういう次元に近づいてきてるなって、ヒシヒシと感じるものが、毎日毎日あるんです。
それで少しでも、私を通して教えられてる方々が、その3分の1の方に、ホントに入ってくれればいいと思っているんです。
私の考え方っていうのは、私個人の悩みは一切ないですから。人の悩みね、そういうことしか考えてない。皆さんのこと考えてるんですから。
皆さんが、過去世の先祖、前世の悪い想念が消えて、そして鎮魂なされて、魂を高めることによって、
自ずからそういった悩みに引きずりまわされない己になれるんじゃないかなって、
そして私の考え方になれるようになるかなって、そういうふうに考えさせていただいておりますけどね。
これは、先生だからなれるんだとかっていう問題じゃないと思うんです。誰にでもなれるんですよ。
ということは、いつも申しますように神様平等だから、私たちに同じものを与えてくださってるんです。
ただ私たち受け止め側の方が、なんて表現したらいいかな。要するに純粋じゃないのね。
結果においては、平等でない姿を人間が作ってしまっているんです。神様は平等に私たちのことを考えてくれてる。
ということは、子供さんお持ちの方はよくわかると思いますけど、
長男が可愛くて次男が可愛くない。娘は可愛いいけど、息子は可愛くないとかって、そういうことないでしょう。
みんなやっぱり平等に可愛いんじゃないんでしょうか。
特に出来の悪い子ほど、その子に一番気持ちが行きますよね。
なんか心配になって、可愛くなってという考え方が起きるんじゃないかな。これ神心なんですよね。
要するに、神様は少しでも人間を幸せにしようとする。この世の中を少しでも幸せな世の中にしようとする。
皆さん、そういう心を、神心を、自分では気がつかないままに、神様からいただいてるんですよね。
私なんか、次男が生まれて40日目のときに肺炎を患いましてね。医者が重体だから入院しなければ、坊ちゃん死にますよ。とまで言われました。
ところが私、その時お金がなかったんですよ。お金がなければ入院させてくれませんから、家へ連れて帰ってきました。
そして、その時の気持ちとしたら、何とかしてこの子を助けたい。そうなると人間って、非常に冷静になるんですよね。
何でもそうだけど、人間って真剣になったときに冷静な判断ができてきますね。冷静な判断ができてこないで迷うときは、まだ真剣さが足らないんだと思う。
そして、どうしたら一番いいかなってこと、まず考える。助けたいということに基づいての考えが冷静に閃いてくるわけですよ。
そしたら、肉体の命がなくなるのは心臓が止まることでしょう。その心臓を弱らせないようにすればいいって、まず考えたの。
肺炎ですから、熱に浮かされて、苦しいから泣くんですよね。
泣くとそれだけ心臓が弱るでしょう。だから心臓を弱らせないようにするために、泣かせないようにって考えたの。
まずグズグズいいかけたときには、おっぱいを口に含ませるんですよ。
熱のあるモウロウとした子供の状態だと思うんですけども、
おっぱいに気を取られて、こう、吸いながら、またスヤスヤと眠るんですね。
ああ、よかったなあ、寝てるなと思って、そーっとおっぱいを放して、
今度は自分が寝に入ろうとすると、またグズグズ言いだすんですよね。
そんなふうで、私、一週間一睡もしないことがありましたよ。
それとシップです。冬ですからね。
温シップだと、もしそれが冷たくなったときに、子供はまだ40日目でね、話せないときだから、わからないでしょう。
だから危険だなと思って辛子のシップをしました。
辛子のシップだったら冷え込むことはないから、だんだんと熱を取るんですよ。
で、痛くなれば子供は泣くでしょうから、そしたら取ればいいんだし、
そういう非常に冷静な判断を次から次へとさせていただいて、処置していくことができたの。
それができるのも、我が子を助けたい一心からだからできるんじゃないですか。
そういう一心になったときの自分の行いっていうのは、己ってものを省みない行いができるんですね。
もし悩みがあったなら、そこまで真剣に冷静に、ただ困った、困ったじゃなくてね。
困った言ってるうちは、まだ悩みはそこまで追いこまれてないんです、はっきり言うと。
医者は重体で危ない、生か死か、そこまで言われたときにはね、私の経験ではホントに助けたいって気持ちが真剣に起きましたね。
だから、これは子供の病気のことで、人間の生きる姿勢の真理のひとコマを、皆さんにお教えしてるつもりでいるんですけどね。
だから何でもそうだけども、たとえば経済的に追いこまれてるとか、それも私は経験があります。
で、今のは肉体的ですね。その場合そういうわけで、自分が一週間一睡もせず、一睡もしないことが別に苦にならないんですね。苦にならないから別に倒れもしないんです。
もうその状態っていうのが奇跡なんでしょうね。だから一心が奇跡を呼ぶんですね、人間は。私はつくづくその時そう思いました。
そして病気ってものも、1週間戦うと、はっきり答えが出てきますね。そうしてだんだん子供が快方に向かいました。
それで医者が、もう重体だったから毎日来てくれましたからね。そしたら最後に褒められました。
生まれて40日目の赤ちゃんですから、それが肺炎をおこして、もう重体なんですから、
お母さん、よく助けましたね、これはもうひとえにお母さんの一心ですねって、
お母さんの一心がなかったら助からなかった、ご立派ですねって、その時医者に褒められました。
褒められるためにやってるんじゃないんだけど、とにかく一心でしたよ、私は。
それで医者からね、ああもう大丈夫ですよって言われたときは、
よかった!とうとう私この子の命を助けることができたわと、ホッとしました。
そしてその時ね、なんか私にはちょっと不思議な閃きがあるなってことは、わかってたけども、そんなに意識してなかったんですよ。
さほど今皆さんをお導きするような霊感があるなんてことは、考えてないときです。
だからむろん、神様を特別に信仰してるわけじゃなくて、でもそれにも関わらず、やっぱり私は神様にお祈りしました。
どうかね、私の命を10年縮めても、この子の命を助けてくださいって、真剣にお祈りしました。
まだ神様の「か」の字も考えてないときですよ。
ということは、普段は神という存在を意識してないかもしれないけども、
そこまで追いこまれたときには、人間は何か偉大な無形な力ってものを信じる心を持ってますね。
いよいよホントに追いこまれたときには、神様を知るんですよ。
信じたいじゃなくて、もう信じちゃうんですね。信じるからこそお願いできたんじゃないですか。
だからホントに追いこまれると、人間は開眼ができます。真実を知ることができます。
追いこまれるってこともね、私は心豊かにするためには非常にいいことだなと思ってます。
追いこまれない人間っていうのは、心がとてもさもしいですね。
で、追いこまれた人間ほどね、心がホントに豊かになってくんじゃないかな。そういう体験をしてるから。
その祈りも教わったんじゃないのよね。ただ助けたい一心でもってね、私の寿命を10年縮めてもいいから、この子の命を助けてくださいと、
なんかそういう祈りをすることが、人智では及ばない何かの力が、そこには働くんじゃないかなっていう意識があったから、そういうお願いができたんだと思う。
特別に信仰してるからしたっていうんじゃない。
そうすると人間は、本当に苦しいところに追いこまれたときには、どんな人間でも神の子であるから、結局はそこに行くんじゃないかと思う。
そうするとやっぱり、そこに行ったときに初めて、神を意識するってことは、神があるって証拠ですよね。
それを、神があるの、そんなのないとか、こうだとかって理論してるうちは、まだそこまでいっていない証拠なのよ。
本当に徹底的に追いこまれたときに初めて神を知るの。
だから、そういうことも頭に置きながらね、とにかく自分の魂は、
大宇宙の生命体の一素粒子、要するに神の分け御霊である、神によって生かされているんだ。
それを絶えず心の中に思うことですね。
思いながら、どうしようか、こうしようかじゃなくてね、徹底的にその悩みに突っ込んで考えたときに、
今、話した子供の病気の時と同じように、冷静な正しい判断力が生まれてきます。それ神様が与えてくれるんです。そういう心を。
だから、真剣に取り組んだ時に初めて神心を、皆さんは知ることができるんですよ。そういう体験を私はさせていただきました。
たぶん皆さんもいろんな体験があると思うから、この話も当てはまることがあると思います。だからこんな話をさせていただきますけど。
とにかくそういう心になるのも、今、なさった鎮魂、これ精神統一ですね。これは皆さんの親と一つになる、いっときの時間です。
そのいっときの時間を、眠気が催したとか、肉体現象のどこかにとらわれて、精神統一が、あまりできてなかったっていうんじゃもったいないですよね。
完全に精神統一に入れた時間をたくさん作るほど、皆さんの霊性は高まるんです。
要するにパワーが高まる。だからどうかね、この鎮魂もホントに真剣にやってほしいと思う。
私の経験ではね、精神統一ができたきには、肉体の重み、肉体の意識っていうのが感じなくなる。
だから、ああ足が痛いとか、手がどうだとかっていうのは、まだ完全なる統一に入ってない証拠。
完全統一に入ったときには、この肉体、物質化した己から離れた、本当の本体の己になれる。その状態だから肉体の重みを感じないんです。
せっかくやるんですから、そこまでの鎮魂をひとつ経験してみてください。実にすばらしいから。
この経験の積み重ねによってね、だんだん魂が、神様からいただいた魂に復元してきます。
そうなるとホントにこの世でかなわざることなし。六根清浄の最後のお言葉にございますよね。
ホントはこの世の中でもって不可能はないんですよ。皆さんの魂の次元は不可能のない、それだけすばらしい物をいただいてるんですよ。
それを不可能にしちゃうのは自分なんですよ。世の中不可能はないんです、はっきり言って。
それはそこまで魂を高めたときに不可能がない。それだけの魂を持ってるんですから、どうかね、鎮魂によって、その魂をもう一度呼びもどしてくださいよ。
それと、ガラッと話変えますけどね。まあ、おすがり信仰から入っても構いませんよ。みんな悩みがあるんですから。
でもおすがり信仰から入って、今、私が話した真理を、いつになっても切り離して考えてたんではいけませんよ。
おすがり信仰しながらね、ホントに人間が歩むその真理の道を身につけることに努力してもらわなければ、いつになったってその人は救われませんよ。
結局私というものを通して、すがらなければいられないっていう状態じゃしょうがないでしょう。
おすがり信仰を否定してるんじゃないんですよ。その状態でありながらも、早く魂が高まって神の子の魂に復元できるように、修行をしていくと、おのずから不可能がない自分になっていくんですよね。
そういうことを私は体験してますから、確信を持って言わせていただきます。絶対皆さんもそうなれるんです。
だからどうかね、せっかくやる鎮魂ですから、ホントに活かされた鎮魂やってみてくださいね。これとっても大事なんですよ。
ただここへ来て、座って複式呼吸して、そしたら足が痛くなった。やれ、どこが痛くなった。たぶん最初はそうでしょう。それだと完全なる統一に入ってないんです。完全なる統一に入るように努力してみてください。
そのためには真剣になること。私が子供の病気のために、それだけ真剣になったでしょう。その真剣な心でやる時、その状態に神様と一体化できるんですからね。
その一体化になった心を持たせていただいたから、医者が頭をひねって、お母さん、こんな重体の子供をよく治しましたねって、とにかくそこまでの心を作るだけの魂の次元になったら、絶えずいろんな面で、不可能が可能になるんですよ。そこまで皆さんが真剣になれないからだめなんだ。
そういうわけで、いつも申し上げるように、私は体験からね、そういうことをいろんな面でわからせていただいてる。それで目を開かせていただいたの。
そうすると皆さんも体験してる。同じ立場なんですよ。だから皆さんも目を開く人間になれるはずなの。
とにかく一心岩をもとおすって言葉があるけど、
その一心に真剣に取り組むんだと、その心がとっても大事なんだと、
その心がなくてはいつになっても魂は高まっていかないんだと、
その心があってこそ、だんだん神様からいただいた自分の魂が復元されるんだと、
いうことを、よく心に置いてね、そしてこの鎮魂に取り組んでほしいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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