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見えない世界がホントの世界 1990年3月14日

  
  1. 肉眼で見える世界は、魂のみそぎ     P.1/3
  2. 魂の次元で生きる            P.2/3
  3. 見えない世界がある           P.3/3 

2.魂の次元で生きる    P.2/3

だから私なんか、その例ですよね。もう三十何年前かな、医者から、心電図を見て、もう絶対治らい。


今日死ぬかもしれない。突然死ぬかもしれない。5年生きるかもしれないし、10年生きるかもしれない。そういう心臓です。


だから少しでも生きながらえるには、絶対安静にしてくだいって言われた。そのくらい医学的には、もうむしばまれてる心臓なんです。


だけど私がこうやって存続してるのはね、そういうことにとらわれない、要するに私は魂の世界で生きようと思って、こうやって努力してるからじゃないかと思います。


それはどういう生きざまかっていうと、人間にはね、生まれながらにして、それぞれ顔が違うように、それぞれの使命感っていうのが必ずあるんですよ。


その使命感にお気づきになって生きることっていうのがとても大事なんですよね。


だから私が心臓を悪くして、その時に目覚めたことは、どうせ悪い心臓で治らないんだったら、一生その中に入ってて、一日でも肉体を生きながらえさせるということ考えるよりも、


たとえ一年でもいいから、人間として生まれてきて、ああよかったなという生きざまを残したいと、こういうふうに考えたの。


だから医者からはもう絶対安静って言われたけども、寝床をたたみまして、


そしてこれからの一生は、一年生きられるかもしれない、半年かもしれない。もっと生きられるかもしれない。


とにかく、その生きるってことを頭に置きながら、何年生きられるかわからないけれども、その短かい時間でもいい。


とにかくこの世に生まれてきて、本当に神の子としての存在の人間らしい生きざまを残してみましょうと。


その生きざまはなんであるかというと、今言うように、肉体人間にとらわれた自分ってものに絶えず心を配ってると、


あ、心臓が悪い、もうだめなんだ。だから絶対安静にしてなくちゃ、少しでも生きなくちゃって思う。
私はそういう考え方、もう捨てたんですよ。


そしてね、たとえ半年でもいいから、本当に最後だけは、この世に生まれてきて、ホントにまともな生きざまを残したいなと思ってね。


そのためには、少しでも世の中のお役にたちたい。人のお役にたちたい。そして偉大なる神様のお役に立ちたい。


で、最後の終止符はそういう生きざまだけでも残されれば、私はこの世に生まれてきたかいがあったんだと、いうふうな私は考え方なんです。


だからもう寝床もたためたんです。道端で死ねば、それが私の死に場所、電車の中で死ねば、それが私の死に場所、畳の上ばかりが死に場所じゃないよ。人間なんて考え方なんですね。


そういうふうに考えるようになってから、それまでは車に乗っても、ものの5分で、もう酔っちゃって、


電車に乗れば、その時は戸越公園ってとこにいましたけど、そこから電車で浦和まで行くのに、4、5回降りなければ酔っちゃうんです。


そんな私だったのが、そういう心に切りかえたら、何に乗っても酔わなくなった。


ということは、もう自分の肉体にとらわれない己になっちゃったわけですよね。
そんなつまらない肉体にとらわれてたって、つまらないよって、バカバカしいよって気になっちゃったの。


そして死ぬ時に、少しでも、

ああホントによかった。

最後だけでも、まともな生きざまができた。

ホントに満足な生き方ができた。

そういうことでこの世を去ろうなと、いう考えに切りかえられたこそね、私は今日があるんだと思うんです。


そして少しでも皆さんのお役にたちたい。

悩んでる人のお役にたちたい。

なおかつ神様のお役にたちたい。

ということで、ズーッと来たんです。

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