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真心で 純粋な心で   1989年6月14日

  
  1. 真剣に取り組む心    P.1/2
  2. 真心は永遠不滅     P.2/2

1.真剣に取り組む心    P.1/2

皆さんの魂を引きあげるこういった行事、この三次元の世界を生きるための諸々の生活がありますので、その中でおすすめしているので非常に大変な状態だと私も思いますし、あなたがたも思ってなさると思います。


でも結局この行事にかかわらず、こういうことだからちょっと控えよう、ああいうことだから控えようということができない状態、その人間の姿勢って、この世の中にそんなことはいっぱいありますよね。


たとえば今の政治を見てもそうですしね。とにかくその行事というものは、それぞれの人のご都合を考えていると何もできないんです。


だけど自分も歩んできた道なんですけれども、いつも申しあげますけど、それぞれの行事がある中で一生懸命正しい姿勢を作ろうという心、そういう心になることが実は神様にとおるんです。


たとえば今日どうしても行かれない。ホントは私は鎮魂をして早くに自分の魂を神様からいただいた元の魂に復活したいんだけど、どうしてもこういう状態で今日は行けないな。


その行けないなっていう時に、なんかこうさびしい。なんか行けないってことがとてもやるせない。


そんな心情でその行けないことに対して心を使ったとき、これはもうすでに心を使ってることになるんですね。だから考え方なんですよ。


たとえばこの行事の日は用事があるから行けない、しょうがないや。と思うのと、なんとか都合をつけて行って私の魂を引きあげたい。


先生がいつも石の上にも三年ってことおっしゃってるから、三年間はとにかく石にかじりついてもやってみたい。


そういう本当にやりたいっていう真実の心ですね。これが大事なんです。


だから私が今皆さんに教えてるのは、まず神様からいただいた魂の復活を考えてるんですね。


その魂の復活というのは今言うように、自分で一生懸命努力する心を作ることも魂を復活させるひとつの手立てにもなるんです。


だけど一生懸命鎮魂やりたいと思ってもできない。とにかくそのかた、そのかたによってみんな立場が違って非常に十人十色でね。


一日も休まずに来られるかた。来られない中にも来てるかた。来られるのにこの間も行ったし今日は休もうかって簡単に考えて来ないかた。


ここのところですよね、ホントに。もう何回も繰り返しますけど心なんです。皆さんの心が神様に受け取ってもらえるんです。


だからどうかね、その辺を誤解のないように。どうしても首に縄つけてでも来なさいと言ってるんじゃないんですよ。

人から来なさいと言われて行くっていうことじゃなくて、自分がやりたいという心ですよね。そういう心を育てていくってことがとても大事なんです。


やりたいって心も真心だし、やりたいけど行けなかったときには、心の中に、なんかやるせない、ホントに申し訳ない、そういう心が湧くんじゃないでしょうか。これも真心じゃないんですかね。


そういう心を神様が尊ぶんです。その日はこういうことがあるから行けないやって、先に自分で心を決めちゃった場合、その日行かなくても苦にならない。この状態じゃ真心じゃないんです。


やっぱりその真心を、真の心ね、絶えずどんなときにでも作ろうとして努力することが大事なんです。


だから前者のように、その日こういう用事があるんだけどなんとかして行きたいな。これ真心ですよ。


でも行きたいなと思うんだけど、当日になったらどうしても行けないというとき、その真心の行けない状態っていうのはどういうことかというと、行けないんだから、しょうがないやってことはないんですよ。


ああ申し訳ないな神様に。私は先祖からの因縁がまだまだ深くて、行きたいけど行けないとろにいるんだな。とか、いろんなこと考えると思う。これは私、真心だと思うんです。


行けないことにたいして、自分の姿勢を徹底的に追及して、なんとか行けるようにしたいって真剣に考えること、これはもうすでに神様にとおるんです。


それをね、この間行ったから今度の日はもう行かなくもいいとかって、適当に自分で行事に行く日程をコントロールする。これ真心じゃない、はっきり言うと。やっぱり自我ですよね。


自我の心のあるうちは神様はおさがりになりません。真心を作ってこそ、たとえここへ来られないまでも、そういう心情で来られないときには、神様ちゃんとお許しになるんですよ。


自分で設計して行かれないやというのと、どうしても行きたいけどホントに都合がつかなくてというのでは、行ったり行かなかったり同じ姿勢でも、神様に申し訳ないっていう心が自ずから湧いてくる、そういう心をあなたがたに持ってほしいと思う。


真心を神様は受けとめるんですから、行く行かないの姿勢に心が入らなくちゃ何もならない。心が入って初めて神様に認めてもらうんじゃないかと思う。だから自分で設計した行く行かないは神様は認めないんじゃないかと思う。


皆さんいろんな都合があって、お勤めの方は休んでまでは来られませんわね。そうするとお勤め休んでまでは来れないからしかたがないんだって、こういう考えはいけないんですよ。


その時に、ああ自分はお勤めをしないと食べていけないし、神様申し訳ございませんと、本当は私その日も鎮魂を修めたいんだけど、どうしてもこういう仕事が絡んでいてできないんです。


神様申し訳ございません。という心がほとばしったときには、来ないでも神様はちゃんと来たことにしますよね。その辺なんですよ私が言いたいことは。

どうかね、ここへ来る来ないを自分の腹芸でもって考えないでください。絶えず真心でとおしてほしい。


いろんな事情があることを神様ちゃんとわかってるんだし、ただし自分のほうから神様わかってるんだって、こういう都合のいいこと言わないでくださいね。


神様は確かに皆さんの心の底までわかってるの。すべてご承知なんです。でもそれは神様がご承知なんであって、こちらサイドで神様わかってるんだってことを言うってことは、自分を認めてる言葉になっちゃう。


それは神様を冒涜してることになりますよね。自分を認めてるんだから。自分の行いってものを認めた言葉ですよ。


神様だけはご承知よ。なんて、自分の行いってものを完全に認めてることになるでしょう。こういう言葉はいけないんですよね。


確かに神様はご承知なんです。全部わかるんです。わかるんだけれども、こっちサイドで神様はわかってんのよじゃ、あまりにも思いあがり過ぎ。そういう心はなくしてほしいんです。


とにかくこの行に対してね、一生懸命、謙虚に、真心を持って真剣に取り組むこと。


なんでかんで私は伺いたいっていう心が強くて、行きたいなって思ってると、神様はたぶんね、まあすべてに言いあたらないけれども、その日何か都合ができてても、その都合が先伸ばしになることが多いんですよね。それで行けるようになることがよくあるんですよね。


でもお勤めの方の場合はもう決まったお仕事があるんだから、そういうわけにいかないですよね。


だけど、やっぱり絶えず申し訳ないと謙虚に自分ってものを置いて、勤めがあるから当たり前って心にならないで、


私は神様からいただいた魂の復活をホントに考えさせていただいてるんだけど、どうしても仕事があってやむを得ずホントに申し訳ないなって心から思う気持ちであれば、もうこれは完全に来たことになるんですよ。


だから何回も繰り返しますけどね、どうぞ真心を作ってほしいんです。それを神様がお受け取りになるんです。


どうかそのつもりでね、皆さんも行に励んでいただきたい。自分で行く行かないを設計しないこと。とにかく行きたいという情熱をとことん最後まで持ちつづける。


そうするとその真心が神様にとおったときには人智では計りしれないいろんな現象がね、必ずよい方向に出てくるんです。


肉眼では見えない世界が一番大事な世界なんです。私が何回も言うように、心だって見えないでしょう。そうじゃない?


言葉ではね、いくらでも偽ったこと言えるんですよ。だけど心の中は反対にそうじゃない。これじゃいけないんです。


やっぱり言葉も心で思うことそのままに言わなくちゃいけないんですね。一番罪なんです、はっきり言うと。


たとえば私に向かってですよ。心の中でそうじゃないこと考えてて、とてもきれいごとを言う。いかにも真心のこもったことを言う。


私が言った言葉で、先生すっかりご機嫌よくなっちゃって、ホント喜んでるわ、ああよかったって、心はさほどでもないんだけど、要するに言葉に美を飾るわけですね。


でもせっかく美を飾って言ってることに対して、それってあなた違うでしょう、あなたこういうふうに思ってるんでしょ。とは言えないから、ああそう、ご苦労さまっていう言葉で返してますよ。

だけど私は心の底まで読み取れる人間ですから、偽りは絶体きかないんです。


でも、あなたがたの心を神心にさせていただくのが私の念願ですから、そういうことがわかったからって一々一々むき出しに吐き出してたら、あなたがたがついてこられないでしょう。


皆さんを、いい子だいい子だっていうような調子でね、進めていかないと気持ちよく来られないでしょう。


だから私は全部心ではわかるんです。ただそれを外に表現しないだけです。そういう私なんですから、皆さんこれからね、決して偽りのことは考えないこと。


ありのままを言ってほしいんです私は。ありのままを言った言葉が私にさしさわるような言葉であってもいいんですよ。


その方がむしろ正直っていうかな、純粋なんです。人間はね、やはり純粋な心を身につけなくちゃいけません。


どうかね、たとえ先生を不愉快な思いにさせるだろうなと思っても、ありのままおっしゃんなさいよ。


そうするとそこでいい知恵がまた浮かんでくるから、そしたら私がいい知恵を授けるから。


そういうことでね、私は絶体ごまかしきかないんだってことを頭に置いて、皆さんおっしゃったほうがいいと思います。

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