Instagram

8日清祓い 1993年12月8日

8日清祓い

今日は8日、天之御中主大神様にお下がりいただく日ですね。


本当は、あなた方皆さん、神様なんですよ。神様の分け御霊をいただいてるんだから神様なんですよね、はっきり言って。


だから本当は神様にならなくちゃいけないのよ。それがなれないんだね。せっかく神様の魂いただいてるのに。


神様の心にさえなれれば、あなた方も本当にね、不可能のない人間になれるんです。


この世で不可能なしと、六根清浄の祝詞、最後に入ってますでしょ。
無上霊賽神道加持(ムジョウレイホウシンドウカジ)と、うたってね、あれ、そうでしょう。だから、ああいう心ができることが神様の魂の心なんですよね。


目に諸々の不浄を見て心に諸々の不浄を見ず、

耳の諸々の不浄を聞いて心に諸々の不浄を聞かず、

鼻に諸々の不浄を嗅いで心に諸々の不浄を嗅がず、

口に諸々の不浄を言いて心に諸々の不浄を言わず、

身に諸々の不浄を触れて心に諸々に不浄を触れず、

意に諸々の不浄を思いて心に諸々の不浄を思わず、


これを皆さん、1日1度、必ずおあげになるといいです、六根清浄ね。


そして、そら読みじゃなくね、ただの歌詠みするような気持ちで、パパパパっとやってないで、ちゃんとそれを心に留めることですよね。


ひとつひとつ噛み分けて、
目に諸々の不浄を見て心に諸々の不浄を見ず、


ああ、そうか、目に諸々の不浄っていうのは、この3次元のことを言ってる。


この肉眼で見える世界で、いろいろ不浄を見ますよね。でも心に諸々の不浄を見ずって言うんでしょう。


その心ってのが自分の魂の心なんですよ。
わかりますか?
この3次元の不浄を見ても、自分の魂の心には、その不浄を見ずということなのね。


それら一切に身につくようになれば、あなた方が不可能のない人間になれるんです。


自分のそれこそ、こうありたいとか、ああありたいとかって思うことが、欲でなかったらですよ、ちゃんとそのとおりになるんです。


だからね、私が今このお仕事させていただいて、皆さんの幸せを絶えず願ってるわけですよね。


やっぱり神様の教えっていうのは、自分をまず幸せにしようということを二の次に考えなくちゃいけないんですよ、本当言うと。ひとの幸せを願うことが神心なんですよね。


そうすると私は実際にそれを、まあ行わせていただいてるから、だから私がお祈りすると奇跡が起きて、


おかげさまで先生、治りました。おかげさまで何事もなく終わりました。そういう答えが返ってくるのは、やはり自分事の願いじゃないんですよね。


神様に人の事に対して真剣に自分の心でお願いするわけでしょ。だから、これは愛なんですよ、はっきり言ってね。


自分をこうしてください、ああしてくださいじゃないんですよ。人の悩みを、少しでも解いてあげてくださいって、これは愛なんですよね。


だから神様、受け取ってくれてますよ。神様が受け取ってくれるから奇跡が起きるんですよ。そうじゃないですか。これは私だけじゃないのよ。あなた方もできるはずなんです。

神様から平等に、私も皆さんも神様の分け御霊をいただいてる。みんな神の子なんですよね。


だから神の子の心を使えば、みんながこの3次元の世界でもね、心のどん底に落ちないで、毎日毎日絶えず感謝、ありがたいということでね、一生を暮らすわけ。


そうすると、この3次元の世界は消える世界でしょ。見える世界ってなくなる世界なんですよね。


私達、この肉体、これなくなるんでしょ。そのなくなる時に、ありがたいありがたいの気持ちで暮らしてきて、そんな心情を作ってなくなったら、死ぬとき清々しい気持ちでこの世を去れるんじゃないかと、


過去を振り返ってみると、私の生き様ってよかったなって思える気持ちでこの世を去るっていうのは、人間として最高の生き様だと、私は思うんですよね。


私達の魂の親様は、そういう生き様を願ってるわけですよ。


今日は、その親神様、要するに天之御中主大神様がお下がりになる日。


私のところでは、神道の天之御中主大神様。


キリスト教だとゴッドとか、仏教だとお釈迦様とか、ただ名前が違うだけで、教えはひとつなんですよ。


前にクリスチャンの方が来てね、牧師さんの話を聞いてても、ちっともわからないけども、鶴田先生の神道の話を聞いてね、キリスト教の、あの説明がよくわかるってどういうことなんですかねって聞かれましたけど、これは真理がひとつだからですよね。


その牧師さんは、その真理を自分に身につけないまま、学校で教わったことを、神学を学んだそのままを、皆さんに教えてるわけでしょ。


自分が身につけてないんですよ。だからそこにちょっとトンチンカンな教えが出てくるんだろうと、私は思うんです。


やっぱり、その教えっていうのは自分が実際に肌で体験しないとね、そうじゃないと本当のことは教えられません、はっきり言うと。


頭で覚えたことは、なかなか魂の次元にまでは届きにくい。私もね、皆さんを教える前に、いろんなところへ行きました。


そうするとやっぱり、それ、非常に感じましたね。クリスチャンにもなったことありますから私もね。


牧師さんのお話が、なんかつまらなく聞き取れることもあるし、ああこれ真実だなって聞き取れるときもある。牧師さんでも全部がその真理をきわめられる方っていうのは、まず稀なんでしょう。


だからはっきり言うと、牧師さんがお釈迦様、またイエス・キリスト、こういう方々と同じような心情で教えられるといいんだけれども、そこまでの魂の次元に、牧師さんたち、またお坊さんたちがいってないんですよね。


だから結局、ちょっと訳わからなかったり、表面的なことしか言ってないのは、それは自分の肌で体験してないからだと思うんです。


だから、なにも神学を学ばなくても、クリスチャンにならなくても、本当は肌でそういうことを身につければ、今、簡単に私が説明したとおり、


私達は親神様の子であると、要するに親神様からの分け御霊をいただいてるんだと、分け御霊をいただいてるってことは神の子なんですよね。そうすると神の子になるように自分達が努力すればいいわけです。


3次元の横の世界に振り回されないで、神様からいただいた魂の次元に真剣に取り組む、そういう魂で毎日の生活を生かそうと努力なさることが大切なんですね。


そうやって努力することが、また修行でもあるけども、修行っていうと、うんと重っ苦しく感じるけども、決して重っ苦しいことじゃないんです。


そういう修行をすることが本当の生き様なんですよ。この見える世界にとらわれて生きるのは本当の生き様じゃないんです。


本当の生き様っていうのは、この見える世界にとらわれないで、今、自分の心をいろいろと動かしてる魂の次元ね、この魂の次元が神様からいただいた魂なんだなって真剣に考えて、


神様からいただいた魂である以上は神様とおんなじような心を使うように努力しなくちゃいけないんだなっていうふうに考えることなんです。これがご修行なんでよね。


そうすると、いつのまにか1年2年と経っていくうちにね、過去を振り返って、今の自分ってもの考えたときにね、富士登山じゃないけども、今まで1合目にいた人が、


あれ、私はいくらか上がったのかしら、考え方が少し変わったな。そういう体験してる人もいると思いますよ、どうですか。


私は富士登山の10合目を説明するのに一番わかりやすいから言うんですけども、

ああ、私の今の心境は2合目ぐらいまでにいったなとか

今度は3合目ぐらいまでいったなとか

今度4合目にいくように努力してみましょうとかって

修行って言うとウンと辛く感じるけど、そういう心遣いで自分ってものを高めていけば、むしろ楽しいですよね。

前に理事長(ご子息)が言ってくれましたけど

うちのおふくろさんって雨の日もありがたい、天気の日もありがたいって言う人なんだなってことがわかったって言うけど、ここのところなんですよね。


とにかく無理にありがたいと思ってるんじゃないの。本当にありがたいんですよ。


天気は天気のよさがあり、雨は雨のよさがあり、大自然のすばらしさってのはそこにありますよね。


じゃ、台風のよさってあるのなんていいますけどね。これさえ、やっぱり台風を受けることによって、なお一層に自分達が、その台風の起きる時期っていうものをね、余計に頭に刻んで、


そして防備することを考えたり、これもやはり修行でしょう。これは自然に生まれてくる知恵ですよね。


そういうふうにすべてが私達のためにあるんですよ、この大宇宙は。すべてが私達を生かすためにあるんですね。そういう気持ちで受け止めなくちゃ。


だから、「あ、今日は神様お下がりの日だから」っていうお心で、よっぽどのことがない限りは、やっぱり直接自分で四垂を大事にお持ち帰りになって、


要するに神様を、自分が自分のところのお社に運ばせていただきますというような、そんな心境ですること自体が、もうその時点から神様が働くんです。


そういう心でお迎えすれば、神様ちゃんとお働きになってくださる。


そうするといろんなことがね、ちょっと自分でも不可能かなと思うことも可能になっちゃうんですよね。


これは私いやというほど体験してるから、こんな話をさせていただくんですけど、せっかく受ける四垂でしたら、どうかそういう心でお受けになっていただきたいと思います。


今日は四垂いただく日だ。あ、じゃ、四垂いただこう。


なんか、なんて言ったらいいんだろうな。ちょっと何か物をもらうような簡単な気持ちでね、


それで持ち帰って、神棚にあげればいいんだ。なんて、そういう何となく心遣いっていうものが、確かに見失ってると思うんですよ。


だからもう一度今日からね、心を入れ直して、そんな謙虚な厳かな心で神様をお迎えして、そして神様にうちのひと月を守っていただくんだなっていう心境で、神棚にお祀りする。そういう心で神様をお迎えするってことがとても大事なんだということ。


そこから自分の幸せにつながり、自ずと神様からいただいた魂の次元の心にさせていただけるんだなと思ってね、どうか今日を出発点として、ひと月間、そういう自分ってものを作ってください。


そしたら、この世に不可能のないあなた方になれるんですから、だからどうか真剣に取り組んでみていただきたいと思います。お願いいたします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

コメント

タイトルとURLをコピーしました