- 本当の行 P.1/4
- 里の行 P.2/4
- 気は、休むこと必要ないんです
苦しみを解消するには二つの道がある P.3/4 - 高まった心は、霊界へ持っていける P.4/4
3.気は、休むこと必要ないんです 苦しみを解消するには、二つの道がある P.3/4
この人生で、毎日生活の中で、もう一刻として休みがないんだと、もうホントに気の張りつめだで、結構なんです。それが修行なんです。
よく気を張り詰めてると体によくないとかね、変な、その表現がありますけど、絶対そういうことないんです。
人間は一息いれたときに病気するんです。そう思いません?皆さん。
何か大きなことをやって、たとえば結婚式だとか、どなたか亡くなったとか、そういうひとつの、うちの中の大きな出来事があった後ですよ。
必ず一息いれますよね。一息いれるから、そこでいろんな病気がでてくる。
だから人間っていうのはね、一生死ぬまで一息入れちゃいけないんです。かえって、一息入れないほうが病気にならないんです。
ところが、ほとんどは、普通の常識的な考え方でいくと、おお事したあとは一休みして、なんていうことが、普通の常識的な言葉なんですけども、
私が体験したところによりますとね、一息したときに、必ずといっていいほど、人間は病気します。
たとえば風邪ひく場合でもね、必ず気に、たるみがあるときに風邪ひきますよ。
一生懸命、目的があって集中してるときはね、風邪もひきません。とにかく病気もしません。
だから、そういうことを考えたときに、人間は、やっぱり絶対に、一生死ぬまで、そういう考え方をお持ちになって、いっときとして、気を休めてはいけないんです。
物質人間が、その息を引きとるまで、とにかくいっときとして気を休めてはいけないんです。
張りつめた気を休めなくちゃいけないってことをよく言います。これ反対です。絶対に休めてはいけません。
気というのはね、無限なんです、はっきり言って。休むこと必要ないんです。
気っていうのは、私たちの本体ですよね。要するに魂です。宇宙の生命体の一分子です。
そうである以上は、気を一息入れるってこと、間違いなの。やっぱり気を一息入れちゃいけないんです。
最後まで、この世を去るまでね、人間は張りつめて生きなくちゃいけないんです。
張りつめて生きるということは何かっていうと、要するに今現在、それぞれがいろんな自分たちの悩みがあると思いますよ。
人間関係、物質関係、肉体関係、あらゆる、そういう悩みがあると思う。そういう悩み、イコール修行の糧ですよね。
悩みがなかったら修行にはならない。悩みがあって、初めてその悩みの中で自分の心をどう処すべきかっていうのが修行なんです。
自分はどういう考え方にもっていこうかと、いうことが修行じゃないんですか。
私が過去においてお金がないときに、天井裏眺めちゃ千円札が見えて、目を覚ますと千円札がちらついてた。
ところが、しまいには、人間ておかしなもんでね、つらいことが徹底したときには、もう最後は投げたくなるんですね。投げたくなるからいいんですよ。
これも私ね、神様のなせるわざかなと思います。絶対にね、一生懸命悩んでるうちは、まだまだ序の口なんです、はっきり言って。
悩みもね、もう最終回になると投げたくなります。まあいいや、どうでもと、いうふうな、ちょっと投げたいような気持になります。そうなればしめたもんです。
だからもし自分が、今徹底的に悩みがあるとして、ホントにもう、胸の中をかきむしられるような、とにかく考えただけでも寒々するような、そんな気持ち。
そんな気持ちで自分がいる状態、その状態っていうのは、悩みがまだまだ最終回にいってないんですよ。
それを徹してね、何でもいいから、そこから絶対逃げちゃだめ、私の経験では。
今現在の悩みから逃げてはだめなの。徹底的にドップリとその悩みにつかること。
そんなのずいぶんつらいなあって、あなたがた、思うかもしれませんね。
結構じゃないですか。つらいなあで結構なの。
自分が徹底的に、これ以上もう我慢できないところまでの辛さを味わったときに、神様はちゃんと、その辺でもって救ってくれるんですよ。
それで、その悩みから、瞬間ちょっと投げる気持ちになれるんですよ。これを私は、やっぱり神のお救いじゃないかなあと思うんです。
だから、私たちが人生の中で修行してる道中で、絶えず神様は私たちを見守ってくださってるんですよ。
見守ってくださって、それで自分ではもう我慢できない、これ以上の苦労はできないよと、自分では思うかもしれないけれども、
まだまだまだだと、神様がくだしてるうちは、その苦労に一生懸命葛藤してね、
それで、自分ほどの苦労はない、世界中で一番、自分が苦労してるんだ。というところまで考えが及んでね、
私ぐらい憐れはない。この世にこんだけ人がいるけれど、この中で一番苦労してるのは私だ。
みんな、ひとりびとりがそう思うんですよ。
その苦労に取り組んで、自分だけ苦労してるんじゃないのよ。みんなひとりびとりが、その苦労をソッと捕まえて、自分が一番苦労してんだって、おそらく全部が思ってると思う。
自分が一番苦労してるんだと思ってるうちは、ホントの苦労じゃないの。ホントの苦労ってそんなもんじゃないんです。
本当の苦労が徹したとき、今度は神計らいがあるんですよね。
神様が投げさせてくれるんです、その苦労を。
その苦労から心を切り離してくださるんです。その瞬間から救われるんです。
苦労を徹して、徹して、徹しておこなったとき、必ずといっていいほど神様が、そなたの心を見届けたって、ここのとこなんです。聖書のあのアブラハムのコーナーですよね。
だからせっかく鎮魂で、少しでも魂を高めることをして、魂を高めるということは、神様からいただいた魂に復活させることですよ。
神様からいただいた魂に復活させることが、あなたがたの幸せにつながるんです。神心ですからね。
神心があなたがたに身についたら、この世に苦労も、なんにも怖いもの、何ひとつない。
そういう心を身につけるために、この鎮魂もその過程ですよね。
それと毎日の生活の中にも、そういう過程があるはずじゃないですか。そういう苦しみ、イコール、それが修行の糧なんです。
その修行の糧、何回も繰り返すように、この世の中で一番苦しんでるの私だ。なんて思ってるうちは、まだホントの苦しみじゃないんです。
それはまだ神様に許されてないんですよ。自分を認めてるの。
ところがもう自分を認めないところまでの苦しみになったとき、初めて神様がスパッと気を抜いてくれるんですね。
その気を抜いてくれたときには、もういいやって、もうこれに集中して悩んでることがもう辛くなった。どうでもいいや。というくらいな、投げやる気持ちになれるんです、人間ってのは。
そんなに苦しいことが、なぜ投げられるんでしょうかね。これが要するに、神心なんです。神様が与えてくれるんです。
どうか、これをいいヒントにして、今現在いろんな、それぞれ大なり小なりの、人間関係、物質関係、病気、あらゆる悩みをお持ちだと思います。
その悩みは、要するにあなた方の魂の次元を高めるために、要するに神の子としての存在に復活させるために、この三次元の世界にあるんだということを頭に置きながらね、徹底的に悩むこと。絶対逃げちゃいけません。
そうすると必ず、その悩みからサッと抜けられるときが来ます。それは神様が抜けさせてくださるんです。
そのときに自分の魂の次元が、悪い想念が、その過去世の先祖の悪い想念が、その辺である程度切れるんです。
そうすると、スッと神心に近づいていくわけです。
そういう体験の何回もの繰り返しによって、初めて自分の魂ってものが、どんなことが来てもどんな時にでも、絶対ゆるぎない、
それこそ私が今度、「死ぬのは怖くない」という本を出しましたけど、その死ぬときにも、決して怖くないような心情が、自ずからできてくるんです。
これはね、人から言われても、なかなか身につかない。自分で作っていくものなんです。
だから、この三次元の物質の世界のものを作った場合は、この世に置いていきますよね。
ところが、心の世界、要するに魂の次元で作ったものは、あの世に持っていくんですよ。
この世で作ったものは、どんなにお金をかけたって、もう無限に作ったって、ここにみんな置いていっちゃう。だからつまらないですよね。
結局、その苦労があるから、自分の魂の禊ぎにもなるんです。私たちに与えれた魂を高めるためのひとつの作業でもあるんです。要するに行です。
行を修めるひとつの糧ですよね。それがあるから行を修められるんですから。その行を修める過程の中で、絶対に後退しないこと。
そのひとつのことに集中して、切り離そう、切り離そうとしないで、徹底的に、とっぷりとつかるという心になってもいいし、
また反対に、その悩みから脱却するためにはね、まず、悩みって自分でしょ。自我なんです、これ。だからそこに気が付いて神心を作るんですよ。
神心とはなんですか。他に心をおよぼすことでしょ。自分のことにとらわれてないで、自分のところにうんと苦しいことがあれば人の幸せを考えることですよ。
人の幸せに夢中になって真剣になって動くことですよ。そうすると自分の苦しみがなくなっちゃうから、消えちゃうから。
徹底的に人の苦しみに飛び込んで、人の苦しみに飛び込むことは自分は苦しくないんですよ、不思議と。すごく、こう、さわやかなの。人の苦しみを助けるんだから。
そっちのほうに心を持っていけば自分の苦しみは消えていくんですよ。
さもなければ、徹底的に自分の苦しみの中に、とっぷり浸かること。とっぷりつかれば、いつかは投げるときが来るんです。もういいや、そういう心、必ず生まれてきます。
そのどっちかで皆さん、考えてみてください。
これは私が自分の長い人生の生活の中でつかんだ、まあ真実って言うと、おこがましいですけれども、悟った行のひとこまなんですけどね。
これがあなたがたのよい修行の糧になればと思って、今日はこういう話をさせていただきました。
今、霊照会でおこなってるこの作業は、これからも永遠不滅である私たちの、魂、心、これの活性化なんだと、今までいろんな悪い想念を置かれていってるから、いろいろと悩み事がとても多い。
でもそれはまた置きかえれば、卵が先かニワトリが先かと同じで、悪い想念を置かれいったことが、また修行のひとつの糧になると、材料になるということになるんじゃないですか。そうすると、やはり避けてはだめですよね。
徹底的に、今、私が申し上げたように、その想念に負けないで、その苦しいことの中に、とっぷり浸かって、ドンドンいいわ、来なさいよと、いうぐらいに自分ってものをね、その苦しみに投げだすことですよ。
そうしたらいつか、サッとね、その苦しみから切り離されるときがくるんですよ。
そうじゃなかったら、その苦しみがあるときは、自分の苦しみは考えないで、他人の苦しみを考えることですよ。
あの人がもっと幸せになったらなって、そっちのほうへ心を向けて一生懸命行動することですよ。
そうすると、自分の苦しみはいつか心に止まらなくなって、なくなってしまうから。
苦しみを解消するにはこの二つの道。私が歩んできた道の中でね、体験してることは、このどっちかです。
とっぷりつかるか、さもなければ、自分のことはこっちに置いといて、人のために真剣に心を注ぐことです。
私だって、この三次元の世界に生きている間は人間関係のいろんな苦しみっていうのはついてまわるんです、はっきり言うと。
でもおかげさまで、今の私の場合は、あなたがたの悩みでいっぱいなんですよ。自分の悩みで苦しんでる暇がないんです。だから自分の悩みで苦しんだこと一度もない。
人の悩みばっかりで、あの人どうなったかな、この人どうなったかなってね、もう夜寝る前、朝起きると必ず、その人の顔が浮かんで、
あの人、この間あんまりいい霊示がでてなかったけど、どうかな。
あの人、この間、ばかにしょげてたけど、どうしたかな。
あの人、うまくいってるかな。
とにかく絶えずね、人の悩みでいっぱいなんです。
夜のお祈りするときには、私生活と共ですからね。帰ってから、もう遅い時間ですよ。
着物を脱いで、あとは、まず翌日のやることをして、お風呂を入れて、それから、夜のお祈りに入るんですからね。
2階のお茶の間で、これは自宅のことを言ってるんですよ。皆さんは神様っていうと、ここの御神前にしかいないくらいに考えてる方が多いと思いますけど、そうじゃないんですよ、神様は心の中にあるんです。
お茶の間で、主人がテレビ見てるときでも、私はもう夜のお祈りに入っています。かなりたくさん、積んでありますけど、人のお祈り、それを全部やってのけるんです。
だから自分のことなんか考えてる暇ないんですよ。そのくらい私は人のことで忙しいんです。
おかげさまで自分の悩みは何もないんです。だからホントにありがたいなあと思いますし、自分の周りが、すべて思いどおりになっていくんですね。
そういうことで、今あなたがたに話したように、この両者のどちらかでもって、自分ってものを作っていけば、必ずといっていいほど、自分の悩みは解消していきます。
これは私の秘訣を皆さんに今お話したんですからね。私のはあくまでも学問じゃない。実際に体験した中でもって皆さんにお教えしてるんです。
そのどっちかで、皆さん、ひとつ体験してみてください。
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