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里の行・山の行 1991年1月10日

  
  1. 自然の生活の中で統一      P.1/3
  2. 本来の己の復活         P.2/3
  3. 知恵を絞って神を伝える     P.3/3

3.知恵を絞って神を伝える    p.3/3

このお話ね、いつも同じようなということになってきますけど、というのは、やっぱり真理って限りなくあるわけじゃなくて、


ただ、いろんな角度から、あらゆる方面から、この真理をお話しているだけですから、同じような話になってしまうんですけど。


それでこの間、つくづく思ったのは、見てますと最後まで御神前に残って後片付けをしてお掃除をしていく人は、いつも決まってるんですよ。


すぐ帰る人もいつも同じ。これじゃあ誠にもって何のために私の話を聞いてるんだろうなって、もう寂しくなりますよね。そういう人たちには、今度言いますけどね。


でも私の知らないところで、目に見えないところのいろんなお掃除をなさってる方もいるそうですね。ご立派、それが大事なんですよ。それ隠匿っていうんですけど。


見てもらってるから一生懸命やるんだっていうんじゃ隠匿にならないんですよね。


誰にもわからないでも、それをやることによって、ただ自分の心が清々しくなる。そういう心が隠匿を積むんです。


だから、お話が終わった途端に、三次元の自分に戻っちゃって、はい失礼しますっていうんじゃ、何のために、私の話を聞いてるんだろうなあと思うんですよ。


先生のお話聞いたけど、私はうちが大事だから帰るわと。まあ、御主人様とかいらして、いろいろ家庭の中を暗くしてはいけないけれども、


そこのところをね、やはり御主人までも誘導できるくらいな信仰心をお持ちになれると素晴らしいんですけどね。


御主人様が来なくても、ああうちの家内は、我々が救われることを代表して一生懸命になってやってくれてるんだなと、思わせるだけのね、心情ができてこなければ、いつになったってだめですよ。


真剣にその里の行を行じなければ、ただ話を聞いて、ああそうか、そうだなって思いながら、お話が終わりになって、今度は、やれ本番になると、


さて三次元の本来の自分の姿に戻っちゃって、自分の一番楽な方を考える。人間てね、自分の一番歩みいいことをやるんです。これじゃあ、憐れですよね。


おうちを大切にしなくちゃいけないんだけど、そこのところ、少し知恵を絞ってね、うちの人間にも、ホントに神様があるんだなと思えるように、


たとえば、こういうお話を自分だけ聞くんじゃなくて、うちの人にも話す。話すにもチャンスがあるんですよね。


スッと入っていけるような状態の時に話さなければ、こいつは年中霊照会のことばっかり言ってると、かえって煩わしく聞こえちゃうんですよ。ここのところなんですよね。


何かいいことあった時に、これはこうなのよって、相手に話がスッと入っていけるような状態の時に話すと、


なるほどなあと、一生懸命になって神様にお運びしてるから、やっぱり違うのかなって、ずいぶん変わったなって思わせるようにね。


そうすると、うちの人たちも、私たちも少し反省しなくちゃとか、少し変わらなくちゃとかっていう気持ちが起きてきますから、


そうなれば、何もコソコソ夜逃げみたいに出てくることはないしね。


だから家族中が救われなくちゃならない。そのためにはやっぱりここへ来る方はそれだけに里の行の重みがあるんですけどね。


皆さんが神様のところへ足を運んで、おうちの人間が、たとえば御主人様が納得して、うちの家内が一生懸命、行を積ませていただいて、


だから我々までこうやって幸せになれるんだというふうな心ができる。


そういうふうになる修行を皆さんがなさる内に、今度は御主人様本人が自分もこれやらなくちゃいけないんだっていう心を起こせるところまでいったら大したもんですよ。


そうなってこそ人類は救われる。


もうね、神様のところに来て修行することを、コソコソやってたんじゃ何にもならないんですよ。


どうかね、里の行を生かしてください。自分だけやってればいいんだっていうんじゃなくてね。


ここに来てる人だけが人間じゃないの。おうちいる家族も人間なんですよ。すべての人間がそういう心にならなきゃだめなの。


だから、なるたけ家族の人にもそういう心を持っていただけるように誘導していかなくちゃ。それはあなたが家族を救導したことになる。


どうかね、そういう修行もしてください。


私自体は、もう三十年近くやってますけど、毎月の神様の行事を一日も休んだことないんです。具合が悪くて行かれないってことは、ただの一度もないんです。


それは、私がやはりそういう心を使ってね、真剣に自分の身を捨てても意識のある限り、


とにかく人のお役にたとう。神様のお役にたとう。そのくらい真剣勝負で、私は歩ませていただいてる。


そのお蔭なんでしょうかね。これ、ホントに私はありがたいと思ってます。


じゃあ私が健康な体かというと、そうじゃないんですよ。もう医者から印籠渡されてる体なんですからね。いつ死んでもおかしくないと。


その私が何十年間こうやって生き続けてきた。これだけでも奇跡なんです。


こうやって皆さんの前でお話させていただくだけでも、これ奇跡なんですよ、はっきり言って。


奇跡ということは神様が働いてるから。私じゃないんですよね。


神様がお働きいただいてるから、そういう現象が出るんじゃないんですか。私には何の力もありません。


いろんな私の生活の中に、いつもいいことばかりないんですよ。ずいぶん苦しいこともいっぱいありますよ。


私だって毎日生活してるんですから、いろんな煩わしい行がいっぱいあるんですよ。


でもその中で、こんなに神様を信じてるのに、何でこういうことになんだろうってことは一度も思ったことありません。はっきり言って。


どんな悪い現象が出ても、絶対に神様のお役にたって、皆さんのお役にたって、そして少しでもホントに救われる人類になってほしい。神様どうか人類を救ってくださいという気持ち、それ一途なんですよね。


どういうふうな苦しいところに追い込まれても、絶対神様のせいにしません。


これはやっぱり三次元の世界だから、神様が自分を引き上げてくれるたびにね、あらゆる行を私にさせていただけるんだなと、悪いことはそういう行に切り替えちゃうんです。


そうすると、その悪いことも全然苦しくなくなってくるんですよね。


皆さんね、そういうふうに絶えず苦しいことも行に切り替えて取り組めば、かえって自分ってものがいつのまにか成長してるんです。


どうかそういうお心で、真剣に行に励んでいただきたいと思うんです。お願いいたします。よろしくどうぞ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

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