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心と心の触れあいが大切 1992年12月26日

  
  1. 自我にならないことの難しさ      P.1/3
  2. 悩みの虜のなったら …… 
    駆け引きではなく心の世界で      P.2/3
  3. 生活は魂の次元について回る      P.3/3

1.自我にならないことの難しさ     P.1/3

どうも本日は皆さまご苦労様です。
今日は今年最後の行事ですね。平成4年振り返って、皆さんずいぶん変化がありましたね。


この事は平成3年の時に私は申しあげたつもりなんです。やはりそのとおり、政界から財界からいろんなところ、相当の変化ですよね。


なんか来年も、やはり私に来る感じでは、いろんな変化があるような気がいたします。


いつも私の話は決まってますけれども、どなたでも平等にいただいてるものがある。それは神様からいただいた分け御霊。


そういう魂をいただいてる私たちは、神様の子であるということですよね。


その魂の発露がないから、こんな世の中になっちゃってる。その魂の復活を徹底的に考えていただかなくちゃならないところへ来てるんですよ。


神様からいただいた魂の発露を徹底的に促した時に、いろんな面で、日本は無論すべての国、とにかく世界が救われるということです。


世界が救われると言ったって、個人的に考えて自分のことが大変なら何てことないじゃないっていうふうな狭い気持ちになりがちでしょう。皆さんどうです?


世界はどうでも自分がよけりゃいいとかね。ところが世界がどうにかなっちゃったら、自分もどうにかなっちゃうんですよね。


だからやっぱり、個人の幸せっていうのは世界中が幸せにならなきゃ、個人も幸せになれないんです。


そういう意味から考えても、やっぱり私たちはどうしても神様の子であるってことを自覚しなくちゃいけないんです。


神様の子であるってこと自覚する以上は、やっぱり神様の御心を私たちは受け継がなくちゃいけないわけですよ。その御心を受け継ぐことによってこの世界は平和になるんですね。


だけどいろんな会で、こういう話を、やはり人間変わらなくちゃいけないっていう話をしますけど、どうしても人間っていうのは自分の範囲しか見られないんですよ。


その時は、ハァなるほどと思っても、1時間も経つともう自分の前の事しか考えてないんです。そうやって絶えず求めることばっかり。だからいつになっても同じこと繰り返しちゃうんです。


そうですね、生きたお話を、要するに体験したお話をするとわかりやすいんですよね。キリスト教でも懺悔がありますでしょう。


だから懺悔の意味で、体験のお話は内容そのものがはっきりしていて、その方がわかりやすい。


23日に横浜支部がありましてね。その時私、クリスマスをしていただいたんです。まあこの歳になってツリーまで用意されて、ケーキのろうそくの火まで消して、私つくづく幸せだなと思いました。


この歳になってですよ。他人の皆さまがそういう献立をしてくれて、おめでとうございます!って言ってくれる。


あの時はホントに、私この歳まで生きてきてよかったなって、つくづく思いましたよ。


だからやっぱり人間って、なんて言ったらいいんでしょうね。最初苦労しても、だんだんとそれが磨かれて、積み上げられて、そして最後にそういう大勢の人にツリーまで飾られて、


皆さんがそれぞれ私にメッセージを、そうですね、あれ30枚ぐらいありましたかね。全部読ませていただきました。


ホントに私、よいお仕事をさせていただいてよかったなと、つくづく思わせていただいております。


そういう気持ちで皆さんが私を見つめ、また教えを守ろうとしてなさるんだけれども、世の中がすごく住みづらいから、どうしても回りにとらわれてしまうんですよね。


これはまあ、やむを得ないのかなと思いますけれど、それではいつになっても幸せってものは掴めないんで、はっきり言って。


だから私が何気なく発する言葉っていうのが、自分ではそんなに意識しないんですけどね、会員さんで特に鈴木さんあたりは、先生が言葉かけてくださった時はおろそかにしちゃだめよ。なんて言ってね。


たとえば、鈴木さん、お母さんお元気?って聞くと、えっ、先生そう感じます?なんて言って、すぐおうちへ電話したら、お母さんがよくなったとか、必ず結びつくんですよね、私の発言ってのは。


そういうことから考えて、こういう話をしてるんだけれども、実際に行動になると、そこに三次元の考えが出てきちゃうんですね。


そうするとこれまたいいお手本だから私も話させていただきますけど、本人もいい勉強したと思います。


それで23日ね、私その時たまたま金の鎖を持ってたの。ところがすごく光る鎖なんです。光っていうのはパワーなんですよ。


で、何気なく、特に考えなく、隣りにいた明美さんに、あなたこの前おゆずりしたのも、とてもすてきだけども、これ普段するのにいいから、どう?取っといたら。って言ったんですよ。


そしたら、ええ、でもちょっとどうのこうのって言ってね。私は別に売るのが目的じゃないんですよ、実を言うと。そういう言葉がスッと出ちゃうんですよね。


だからそのスッと出ることにつながることを、今、私はお話するんですけど、もう一人の方にも言いましたけど。


で、三次元の世界でのね、自我で受けとめてたから、私は引っ込めました。


だけどその後で、担当誰だったかな、その霊示でね、明美さんのところに新しい石塔が見えたと。

それどういうことなんでしょうか?来年がお婆さんの十三回忌なんですけど、それに関係あるんでしょうか?

石塔はあるんでしょう?

亡くなった時に作ったのであります。

新しい石塔って言うのは死を意味するでしょう。

ああそうですか。じゃあ誰か死ぬんでしょうか。

その時私が言った言葉がね、これもいつも話しますけど、よく燃えてるなあって行ってみたら自分の家だったんでしょう。


俺は火事が大好きだ。なんて言ってね、喜んで火事見てた人が家帰ってみたら自分の家が燃えてた。ここのところなんですよ。


新しい石塔が見えた。これは新しい仏が出るってことです。だから今、あなたに光を見せたのよ。要するにパワーが足らないのよと。


ああそうですか。じゃ、買えばいいんですか。って言うから、その心がいけないの。買えばいいんですかってのは三次元の心なの。


そうじゃなくって、そうやって新しいお墓ができたのが見えたってことはね、新しい仏ができるってことなんだ。さあ大変だ、どうしたらいいでしょうかと、いうふうな質問の方が大事なの。


そしたらそれに対するお答えを私がさせていただけますでしょう。


それに対して何らかの形でその時にそういう大きな問題が起きないように、亡くならないように教えますよね。


そうすると、そこにはやっぱりどうしても金銭が絡んできますよ。その金銭がホントに真心で捧げられた場合、これは死ってものは消せます、はっきり言って。


それと同時に、買えばいいんですねじゃない。その時には私があげます。やっぱり人間っていうのは心と心、愛情のふれあいが大事なんですよね。


そういう意味合いで私はものを言ってるんですけれども。こういう御教えをしててもなかなか皆さんに通じないですね。そのたびに寂しいなと私は思います。


だけど結果において、なぜこういう話するかと言うと、その答えがちゃんと出てるんです。

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