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どんな時も同行二人の心境で 1994年8月24日

  
  1. どんな時も神と自分と一体          P.1/4
  2. 三次元の世界での自分の価値         P.2/4
  3. 自然の法則に乗った生き様          P.3/4
  4. 自分の生き様にありがたいなと思えるように  P.4/4

1.どんな時も神と自分と一体          P.1/4

どうも皆さん、本日はご苦労様です。


新しい方ね、何を見て来たの?

「日本の霊能者」という本を見て。

ああ、あれはいっぱい出てるでしょう。何で私を選んで来たの?

一番霊能力がおありになると書いてあったので。

そういうふうに書いてあった?

はい。

一番霊能力があるって…?

はい。

そうかなあ・・・じゃあ、あなたがそう感じたんだ。だって本ってものはね、たくさん霊能者を載せた場合、出版社側はその人だけ一番あるってこと書けないのよね。そうでしょ。だからあなたがそう思ったんだ、それはね。だからありがたい。どうもありがとう。


そうですね。今日はウィークデーだから人の集まりが悪い。確かに、もうホントに人生ってのは難しいね。つくづくそう思いますね。


私、今度の本ね、皆さん読んでますか。読んでみてどうですか。なるほどと思っても、果たして私と同じように実行できる人が何人いるかしら。


本で読んでると、まあ人間っていうのはいいことと悪いことはよくわかるから、感激して読んでるでしょ。


でもそれを、じゃあ自分もこういうふうに実行してみようという気持ちで真剣になれる人となれない人とができてくると思うんですよね。


だけど過去を振り返って考えると、結局あれだけの道を歩んだからこそ今があるんだなって私は思わせていただいてるんですけども。


まあ、見えてる方で古い人は、わりとわかってると思うんだけど、まあわからない人もまだいるなと思って見てますけどね。


今日あたり、お勤めのある人はまた別として、なんとか都合つければ来られる人でも来ていない。


なんかね、やっぱり私のあの本をどういう読み方してるんだろうというふうに思いますけど、結局人間は己に厳しくならないといけないんですよ。


己に厳しく。これができてないんですよね。


今日見えてる方はできてると思います。己に厳しいから来られたんだと思う。だけどどうしても三次元の生活そのものを一番最初に考える。


最もお勤めしてる人はお勤めやめてまで、お勤めを休んでまで来られません。これはもう当然のことですよね。


そういうことじゃなく、たとえばお勤めの人にしてもホントに神様を知ろうとするんだったらば、ここへ来なければ神様に会えないっていうんじゃない。


お勤め先に行ってその時間帯を見てね、あ、これから鎮魂が始まる時間だなと、そういうところにちょっと意識を持っていって、周りの人にはわからないような雰囲気で心の中で真剣に自分も鎮魂をなさるといいんですよね。


形をするから鎮魂じゃない。心の状態が鎮魂になることがホントの鎮魂なんです。


ですからホントはね、その時間は鎮魂の時間と自分で決めたら、普通にしていようが何していようが、電車に乗ってても道を歩いててもお勤めの時間でもね、それは形で表すんじゃない、ここまで来いというんじゃない。


私は皆さんに心の世界を教えてるわけですよね。だからどういうところにいてもホントはその心境になれるはずなんです。


その心境を貫いたときに初めて奇跡が起きるんです。


勤めがあって行けないからもういいんだって、普通は考えてしまうんだろうなと思うんですけども、勤めがあろうが何があろうが行った先でも鎮魂はできるんですよ。


お勤めしてる時に時計を見て、あ、今鎮魂の時間だなと思ったら瞬間ね、仕事の合間を見て、瞬間でもこの宇宙の気と自分の気を一体化する。


鎮魂ていうのは親神様の魂と自分の魂がひとつになる行事なんですからね、どこにいてもそれはできるんですよ、はっきり言って。


まあ行動的にここへ来られることができれば、行動にまで運ぶんだから、これ一番確かな、なんていうのかな、姿勢ですよね。


だから姿勢を100点満点で考えていけば、ここへ来て真剣になって精神統一することが100点に近いわけですね。


でも仕事をしててここへ来られない。それでもその時間になったらば、真剣に宇宙の神様と一体化する、そんな心境を瞬間でもいいから作る。これもやっぱり己に厳しいわけですよ。


だからここへ来なければできないんじゃなくて、神様はどこにいてもいらっしゃるんですよ。神様と自分は一体化してるってことなのね。その心境を絶えず持ち続けるってこと大事なんです。


じゃあうちにいてもできるんだったら、ここへ来なくもいいやって、これがまたいけないんです。この辺ですよね。やっぱりここへ来て鎮魂することが100点満点です。


そういうふうに自分を厳しく作っていくことが神様に認められるんです、はっきり言って。


ところが極端に悪い方で表現すると、たとえば今日はここで当番 がある。仕事の都合でここへ来られない。それで当日断ってくる。


そういうことしてたらね、何のために来てるかわからないんです。それじゃあ神様は動きませんよね。


そなたの心を見届けたって神様から認められる姿勢を作らなければ、神様は働いてくださらない。奇跡は起きないんですよ。


だから私は新しい人には、それ言うんですけどね。


最初はわからないから、いついつは何々があってこうなんで、今日これから行ってもいいでしょうかって、こう言うから、うーん、そうですね。とは言いますけど。


だけど、なるたけなら、ちょっとでもいいから、もしできるならした方がいいんじゃないの。せっかくやる作業であったら、とにかく最後まで真剣になってやってみたらどうですか。


石の上にも三年ってこと言うから、三年の間は真剣にね、たとえ何があろうと、とにかくこれは抜けられないってくらいに自分で誓うことが大事なんですよ。


そうするとその結果ってものは必ず出てくるんだから。ま、新しい人には、そう言いますけどね。


神様に心がとおった時にいい結果をもたらすし、神様に心がとおらなけらば悪い結果をもたらす。


だからいい結果を作るのも悪い結果を作るのもみんな自分なんですよね。人じゃないの。神様じゃない。自分なんです。


絶えず自分と神とは一体であると、同行二人っていう言葉がありますけど、これは神様と自分が一体ってことなんです。


やっぱり同行二人の姿勢を作らなければ、神様から救われる人間になれないんですね。どこにいても絶えず同行二人っていう心境は持ち続けなくちゃいけない。


そのためには仕事をしていても、電車に乗っていても、買い物していても、どういう中にいても絶えず神と自分と一体であるということを真剣に考えて、そして神様に対する心遣いってものも心の中に留める。そういう心境を身につけるってことが、とても大事です。

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