こころの在り方  1990年3月8日

  

1.神様は不浄なものは一切受け取らない           P.1/4
2.神様は未来を見通して指示を与えてくださる        P.2/4
3.気がつかないうちに自分に都合のいい神様を作っている   P.3/4
4.ひと事だと事務的になる                 p.4/4

2.神様は未来を見通して指示を与えてくださる      p.2/4

ですから、ここでも玉串をお供えする日(浄霊祈願祭毎月8日 四垂神入れの祭事のことです)を清祓いって言いますけど、清める日なんですね。


清まったところじゃないと神様はさがらないですから、不浄な心を一切持たないで、清まった心でここへお見えにならないといけない。


うちの中で、いろいろと何かいさかいしたり、それで、あそこが足らない、ここが足らないと、いろんな不足ばっかり思うような心でここへ来て座ってもだめなんですよ。


ここへ来て座ったら、座ったこの時間だけでもいいから、そういう不浄な心一切思わないこと。


徹底的に己に厳しく謙虚な気持ちでここへ来て、純粋な気持ちで絶えず真剣に話を受けとめる。


そういう状態の自分でなければ救われない。そういうところじゃないと神様はおさがりにならない。


おかげさまでここでは、二十何年前に天之御中主大神を祀れという神示をいただいて、いただいたっていうことは、


おまえの今までの所業は、われが認めるぞっていうことで、祀れということを言っていただいたんだと思う。


ですから大神様のお使いをさせていただきたい、少しでもお役に立ちたいと思って私は真剣に、このお仕事に取り組ませていただいてます。


それだけにね、やっぱり自分の身を張って真剣勝負ですよ。そのくらいの気持ちで私は皆さんが救われるといいなと思ってやってるんです。


だから、ここは占いじゃない。私は霊能者ですけど、当てる当てないのそんな心情で霊感を使ってるんじゃないんです。


だけど確かに表面は当たるという言葉になるんです。だけどその奥の方は、そうじゃない。神様がおさがりになっていれば、当たるのは当然なんです。神様に不可能はないんだから。


そういうところへ伺うのに、占い屋さんじゃないですから、ホントに謙虚な気持ちで己に厳しく、真剣に自分の姿勢っていうもの作っていかなければ、いつになったって救われませんよ。


ああ今日は大神様の玉串いただく日なんだ。大神様のと、そこまで考えてないかもしれない。あの玉串あった方が守られるんだから、今日はとにかく行かなくちゃな、とかね。


それで他の日の行事は、玉串に大神様さがってるんだから、まあできるだけで行けばいいや。なんて簡単に考えちゃってる。


それじゃいけないんですよ。神様はこれからの未来を見通して、私たちに指示を与えてくださるんですからね。


神様そんなに甘くはないですから、やっぱり少しでも心を作るという気持ちにならなくちゃね。


いつもお話してる五つの心、素直になること、愛をもつこと、信じる心を持つこと、それで謙虚に、己に厳しくと、


こういう心を作ろうなっていうことが、だんだんと自分たちの魂が神様からいただいた分け御霊に近づいてくる。


分け御霊に近づいていけば、いつも神様が手を差しのべてくださるから、世の中に不可能がなくなってくるんです。


何でも自分の思い通りの世の中になっちゃうんですね。だから不幸はなくなっちゃうわけですよ。ホントは幸せなんです。


この間も映画でね、ここは叶わないことはない。天国は叶わないことないんだよって、こう言ってましたよ。


野球の映画ですけどね。外国の映画です。天国って遠くに方にあるんじゃないんですよ。ここが天国なんです。人間が地獄にしちゃったの。


だからそれを考えて、再びこの三次元の世界も元の天国に戻すように、私は皆さんに鎮魂もおすすめし、いろんな行もやりなさいよってご指導してるわけなんです。


というのは、そういう行をしないと、いつになっても心が養えないで、毎日毎日一番苦しいことを絶えず頭に置きながら悩んで暮らしてる。


どうしようか、こうしようか、どうなのか、こうなのかって、それじゃ情けないじゃない。


そういうことを三次元の物象の世界で考えたって、自分たちの存在は必ずなくなっちゃう世界ですからね。


それ考えたら、毎日いやな暗い気持ちで過ごすよりも、いっそのこと、私は神様の子なんだっけな、神様の分け御霊いただいてるんだ。


そしたら神の子にふさわしい神様から喜ばれるような自分にならなくちゃな。


そのためにはやっぱり神様がおっしゃる素直な心、愛を持つ心、信じる心、そしてなおかつ謙虚に己に厳しくと、そういう神様が与えてくれた心の修行も重ねていかなくちゃなと、


それを真剣に取り組んだときにね、必ずといっていいほど、自分では気がつかないままにずいぶん高まっていくんです。


自分の周りのいろんな悪い状況ってものは、過去世の先祖の悪い想念を置いていかれたので、いろいろ病気とか出ますよ。


その悪い状況は悪い想念を引きずってるんですから出ますよ。でも自分が清まって魂が高まってくれば、その悪い状況は浄化されて必ずいい方向に行くんです。


だから、そういう心を作った人間を決して神様は不幸にしない。


信仰っていうのは、だだおすがりする信仰じゃなくてね、神様から認めていただけるような魂の次元の自分を徹底的に作ること。これがとっても大事なんです。


これができないで、ただおすがり信仰でいったんでは、一度や二度は叶えていただくけど、あとは振り落とされますよ。


どうか叶えていただくと同時に、油断しないで真剣に、自分を作ろうという気持ちに切りかえて取り組んでいただかないと、今のいろんな悩み事はいつになっても解決しません。


それと現象にとらわれてるうちは、人間っていつになってもそういう心ができないんですよね。


たとえば私を通して一生懸命神様に好転するようにお願いしても、やっぱり先祖が悪い想念、また前世の悪い想念を引きずってますから、叶わない時もあるんですよ。


それは結局、まだまだ皆さんが神様からいただいた分け御霊の魂に近づいてないんです。


少しは近づいてるかもしれないけど、とにかく近づいてないんです。おすがり信仰だけで完全に近づいてない人もいます。


それで、お願いしてるのに叶わなかったっていう考え方になると、これは信仰じゃないんです。欲なんです。だからそういう心境の人には神様さがりません。


たとえば、もし自分が夜の御祈願をお願いして、私を通してお願いしたから叶うんだって簡単に考えていたら、


自分の悪い想念がすごく大きくて、私がお願いしても、その本人に自覚させるために神様がお願いを聞いてくれないっていうのもあるんですよね。


先生に夜の御祈願をお願いしたのに、今度は叶わなかったと、私のせいにしちゃうんです。


それはそうじゃないんですよ。私は真剣に確かに叶うようにお祈りしてるんだもの。頼まれれば真剣に命がけでお祈りしてるんですよ。


それが叶わなかったってことを自分の反省に切り替えていければ、次は叶う。自分の反省に切り替えないといつになっても叶わない。


その辺ですね、いい結果をもたらすには自分の反省ってことを絶えず心に置いておかなくちゃいけない。

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