こころの在り方  1990年3月8日

  

1.神様は不浄なものは一切受け取らない           P.1/4
2.神様は未来を見通して指示を与えてくださる        P.2/4
3.気がつかないうちに自分に都合のいい神様を作っている   P.3/4
4.ひと事だと事務的になる                 p.4/4

1.神様は不浄なものは一切受け取らない   P.1/4

いつも申しあげることですけど、人間っていうのは慣れぐらい怖いことないんですね。慣れに慣れてしまうと、それこそ元に戻るっていいますかね。


この間も新しい方が何人か見えましてね、ずいぶんあっちこっち歩きましたけど、やっと本物のところへ辿り着きました。


先生どうぞよろしくお願いします。そういうふうに言ってくれましてね。


そういうときの状態っていうのは、真剣に信じておこなっていける姿勢ができるはずなんですけれども、やっぱりできる人とできない人がありますね。


やっと本物のところにたどりつきましたと言ってたなと思うと、ものの半年も経つか経たないうちに、急にパッと変わる人。


そうかと思うと、そんなことは言わないけれども、簡単な気持ちで見えられた方、実は近江さんの紹介で見えた方なんですけどね。


近江さんは、いろんなテレビ番組に一緒に出てましたでしょう。そういうので、鶴田先生はよく当たるんですよと言ったんだろうと思うんです。


よく当たるんですよって言うと、なんか易者さんのイメージになっちゃうんですけどね。


だから最初は占いのところへ伺うような気持ちで来たらしいんです。若松さんって方ですけど。


ご主人様のことで見えたんですけど、それで霊査いたしましたら、いろんな因縁が出まして、その因縁切りをしていただいてるわけです。


とにかく一生懸命やりますというようなことを言ってたんですけど、いろいろご説明をいたしますけど、最初のうちはなかなかわからないですよね。


だいたい霊査をすると、因縁が浮いて出ますから、いい結果になっていく人の方が多いですけど、


因縁が深い人の場合は、やっぱりその因縁を浮かばせることで、かえってね、現象的には悪い結果がでることがあるんですよ。


たとえば腫れ物でも、表面だけの腫れ物だったら、すぐ膿が出るけれども、中の方に潜んでるとなかなか治らない。


そのなかなか治らないものを治すには、どうしてもその悪いものを上へ出さなくちゃならない。


そうすると上へすごく膿が出てきて、見た目には悪い現象に感じる場合がありますよね。


なんだ治療してもらったら、かえって化膿してきて、こうなった、ああなったってこともあると思うんですよ。


それはそうじゃなくて、奥の方に潜んでる悪いものを表面化させただけで、それでだんだんいい方向に、実は進んでるんです。


だけど素人の考えでは、その現象ですぐいい悪いを判断しますからね。だから悪い形がでると、ああかえって悪くなったっていうふうな考え方になるんだろうと思うんです。


それと同じようなことで、霊査して因縁を出しますとね、奥の方に潜んでたものが浮いて出ますので、結局悪い現象が出ることが、たまたまあるんですよね。


だからそういうことも相手にご指導させていただいて誘導しなくちゃならないので、結構、人をお助けさせていただくっていうのは、とても大変だなってそのたびに思います。


相手にホントに納得させていかないと、せっかく霊査してもね、それ無駄になりますのでね。


霊査を無駄にしたんじゃ神様に申し訳ないし、なおかつ因縁が余計に浮いて出て、そのままだと、かえって悪い状態になる。


というところで、霊査したあとは、私もすごく真剣なんです。だからいろいろ聞くんですよ。


そうしましたら、ヒョロッと若松さんが見えましてね。たまにお話すると、まあ、その答えがね、非常になんていうか現実的なことをおっしゃってる方なんですよ。


その後はどう?と聞いたら、


ええ、おかげさまで、問題はちょっと片づきましてって答えが返ってきたんです。


ああ、よかったですねと、「はい」っていうわけです。


そういうふうにね、ひとつ問題が片付いた時は、神様に感謝心を表現するわけなんですけど、ありがとうございますと思ったり言ったりは、上から下までみんな一様に言えますよね。


でもそれだと三次元のありがとうございますっていう表現にならない。


私たちが三次元の物質化されたこの世の中に生かされてる以上は、ありがとうございますっていう真心を表現する時、


どうしても形で表現しないと、神様は三次元の感謝として受け取らないんですよ。


そういうことを初めての人にわかるように説明していくというのは並大抵じゃないですよね。


だからきっと、皆さんがそれを説明する時は、なかなかうまくできないんだと思うんです。それで相手も聞き逃しちゃうんだろうと思う。


そういうわけで、そういういい現象が出たのであれば、やっぱり物質の現象の世界の姿勢でもって感謝心というものを表さないと、神様に通らないんです。


ホントにありがたいから、このありがたい気持ちをなんとかして形で表したいっていう気持ちであれば、これ受け取ってもらえるんですけどね。


こちらから教えられて、もし「あ、そうですか。えーッじゃお金かかるんだ」って考えたときには、もうだめなんです。


だからこの辺が、十人十色、顔が違うように心がみんな違うでしょう。その人の心に合わせてのさじ加減っていうのがあるんです。


単刀直入に言ってスッと受けいれる人と、なんだ、じゃお金かかんのかしらって簡単に考えちゃう人と、この辺がね、絶えず物質がまつわるために、感謝心を教えるのがとってもむずかしいんです。


だけどその感謝心ができなければ、次の段階で、今度は問題が片付かなくなってくる。


だからどうしてもそれは教えなくちゃならない。むずかしいからいいやって放っておく問題じゃないんです。


皆さんも自分たちが教える立場になったなら、やっぱりその相手を少しでも好転させなくちゃいけないぐらいの責任感を持って、


そういう言いづらいことも、とにかく知恵をしぼって、相手が、なるほどそういうことだったのかというふうに納得いくように、その感謝心を説明しないとね。


それが納得いかないで、なんだ、やっぱりお金かかるのかって、そんなふうに考えさせるような表現をしたら、これはかえって相手が墜ちていくし救われない。


救われないと神様に傷がつくし、神様に傷がつけば、その指導者もやっぱり神様からお叱りを受けますしね。だから指導者っていうのは、私を含めてとてもむずかしいんですよ。


私なんかこうやって指導をさせていただく立場で、真剣に指導してるつもりなんだけど、それが正しく相手に伝わらなかった時には、もうホントに申し訳ないなと思うのと同時に、


いつでも自分は間違ったら裁かれなくちゃいけないんだっていうくらいの信条を持ってないとできないんですよ。真剣勝負ですからね。


とにかく自分に相談かけられた人は、捨て身になって、なんとかしてこの人が幸せになっていただければいいなっていうことを原点において指導していかなくちゃならない。


そしてお金っていうものを不浄にするかお宝にするか、その説明をしてあげないといけないんです。


だから三次元は物質の世界ですから、ありがとうございますって言葉と同時に、その思うことを物質でもって真心を表現しないと通らない。物質がなければ、かえって教えいいんですけどね、非常にむずかしいです。


その三次元の世界を作ったのは神様なんだし、要するに三次元のしきたりというか、そういうものがあるんです。


それで相手がいかに純粋に、なるほどそういうものだったのかと、納得してお供えしたものは、これお宝になるんです。


お宝になるっていうことは神様が受けとめたってことなんですね。


それで、なんだ、お金かかんのかっていうような思いであげたお金は、不浄なものになってしまうわけです。


神様は不浄なものは一切受け取らないですから。

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