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雨の日もありがたい   1992年5月17日

  
  1. 魂がいかされる生き方    P.1/3
  2. 捨て身の使命感       P.2/3
  3. 霊的な目覚め        P.3/3

2.捨て身の使命感   P.2/3

私はおかげさまで、あなたがたよりはそういう修行をしてきたつもりです。だから結局すべての現象が絶えず霊的に運ばれていくんですよね。


いつもツキのいい人間で、私、こうやって歩ませていただいてるんです。


それは今そこにいる理事長が、うちのおふくろさんって、雨の日もありがたい、天気の日もありがたいと言ってると。


それはね、わざを言ってるんじゃないんです。その心境になっちゃうんですよ。


ホントにその心境になるような現象なんですね。だからその悪いことが必ずいい結果になるんですよ、私の場合は。


おかげさまでね、この物質も自分で買おうと思うんじゃなくて、全部相手を助けて私にまわってきてるんですよ。宝石とか、そういったものがね。


古い人は、よくそういう話をするから存じあげてるかもしれませんけど、かつては浴衣1枚で過ごした私がですよ。


今は宝石にしても、これもね、お金があるからパッパパッパ買うっていうんじゃないんですよ。


貧しい生活した人間ってのはお金を与えられても、もったいなくて使えません、はっきり言うと。


ですから自分の我が事に対してはなかなか使えないですよね。少しでもお役に立つことには使いたいなと思ってます。


だけど、自分の身を飾ることとか、自分を、こう、喜ばせることにお金使うということになれないんですよ。もうそういう人間になっちゃってるんですね。


だから旅行しようの、何しようの、それでお金を使ってしまえのって言うけども、なんかこう、無駄なお金は使いたくないっていう気持ちがすごく強いんですよね。


どうしてもいかしたお金を使いたいって頭がしょっちゅう働きます。ですから結局、遊ぶお金は使えないってことになって、何か仕事をやろうかなと、で、その仕事も私のことだから神様のお役に立とうという気持ちが、まず第一条件ですね。


それで神様のお役に立つような仕事で、なおかつ宗教くさくない、そういったことでも人の心を誘導できるんじゃないかな。


人間の本質ってものをどんどん引き出すことができるんじゃないかな。そういうふうに私は今考えてるんです。


だから宗教から、また一般社会の歩みの中から、神様からいただいた分け御霊をどんどん引き出すことに私は専念させていただきましょうと、そういうことに使うお金なら使いましょうよと、いう考えでおります。


皆さんね、なんて言ったらいいんでしょうね。絶えず己を捨て身になって、自分の使命感ってものを徹しなさいよ。


そうすると結果において、必ず悪い結果がいい現象になる。雨の日もありがたい、天気の日もありがたいっていうのは、無理に雨の日がありがたいって言ってるんじゃないんですよ。


雨の日じゃなきゃ見られない景色が見られるんですよ。この前、もう三年ぐらいになりますかねえ、伊豆へ行った時、私はわりとね、お天気女って言われまして、旅行はいつも天気なんですよ。


ところがその時に限ってね、雨が降ったわけ。それで帰ってきたらうちの理事長(ご子息)が、おふくろさん、お天気女が雨降ったねえって、こう言われたんですね。


そうなのよ。とってもよかったよって、こう言ったの。もう素直なもんですよ、ありがたいから。


そしたら理事長は「えっ」と思ったって。ね、雨の日に行って何がいいんだよって、こう思ったらしいんですよ。


あれは、北川かな、行ったんですけども。雨の日だったんですね。そこのつるやホテルに泊まったんです。


そこは海原のところに露天風呂があるんですよ。そこまでは、そうですねえ、50mぐらい歩っていくんですよね。それで、チョッチョッと階段おりると、もうそこがすっかり海ですよね。


で、海のところに砂利が、こう、敷いてあって、その脇に露天風呂ができてるんですよ。着物脱ぐところもできてましてね。


私は朝お風呂入るの好きですから、誰も入らない時ね、朝早く起きて行くんですよ。


そして傘を持って、ま、雨の日ですからね。帰りに雨でも降ったらと思うし、また行く時は不思議と雨降ってないんですよ。でも帰りのこと考えて傘を持っていったの。


それで、その露天風呂に一人で入ったんです。そうしますとね、海原が、こう見えるんですよね。


と、こう見ていながら、ああこの海原の向こうはアメリカかな。なんてことを考えたりしてね。それで見てるってのは、すごい優雅ですよね。


そういうふうに徹して自然に浸れるんです。それで波打ち際ですから、波の音がバサァバサァって聞こえてくるわけですよ。それがなんとも言えない光景なんですよね。


そのうちにザァァァっとスコールみたいな雨が降ってきたんですよ。


で、一転にわかに前が全然見えなくなっちゃった。雨で煙っちゃって今まで見えてた景色が全然見えない。


前が見えないんだけれども、なんていうのか、お風呂場からすぐの足元のところに、ドブーン、ドブンって波が押しよせてくるんですよ。


またこれのすばらしさったらないんですよ。


それでね、こっちの方に森が見えてたのが、それまで消えちゃうんですよ。


それでもう、その時の瞬間っていうのはねえ、ザブーンって波が来て真っ白でしょう。


そうすると、なんかこう、この大宇宙にね、スパッと自分が入った感じになるんです、木もなければ何もないから。


ただウワァーって雨で全然前が見えない。ぼやけて真っ白に見えるんです。ザザァって真正面滝でしょう。


波打ち際の波がボカン、ボコンって見えるだけで、だからその中にこうやっていますとね、この自分ってものが宇宙の大自然の中にスッポリと入ったような感じになるんですね。


この感覚ってのは、皆さん今鎮魂なすったでしょう。精神統一ができるとこの大自然の中に自分の魂がスパッと入る、これがホントの鎮魂なんです。


鎮魂を完全に、統一ができた時にはね、もう肉体の感覚ってのはなくなるんですよ。魂の存続だけが意識されるんです。


そうするとね、肉体の足が痛いの、肩が重いの、どこがどうなのっていう肉体の感覚が一切なくて、魂だけの存続になるんです。


そうすると、魂だけの存続になりますと、この大宇宙、生命体ですね、この中に自分の生命がサッと入っちゃうんです。これが精神統一ができたってことなんです。


そういう時間を積み重ねると、私たちは神様から分け御霊いただいてる、その神の子としての恥ずかしくない魂の状態に復活するわけですね。


だから鎮魂っていうのは、そこまでいかないと神様からいただいた分け御霊になかなか復活していかないんです。


そういう意味で、今の海の話も雨の日の話も、私、スポッと入ったでしょう。だからどういう所でも精神統一ってのはね、でもまだ素人のうちは、まだまだあなた方の状態はね、結局、魂がある程度神様からいただいた分け御霊に近づいてないとね。

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