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物質の世界は魂を禊ぐところ 1992年9月16日

  
  1. 人間は生まれること自体がもうすでに信仰-①     P.1/3
  2. 人間は生まれること自体がもうすでに信仰-②     P.2/3
  3. 伏見様のお働きがとても必要な時           P.3/3

2.人間は生まれること自体がもうすでに信仰-②     P.2/3

よく丹波さんが精霊界って言いますよね。要するに浮遊霊の集まるところですけど、神様の魂をいただいているにも関わらず、三次元の欲の世界で欲に凝り固まって出来上がったそんな心の場合は、神様のもとに帰れないんですよ。


そしてそこの浮遊霊のところで止まっちゃうわけ。


そうすると、その浮遊霊っていうのはもともと神様の魂をいただいてるから、その世界で生前のことを悩んでるわけ。


「人を泣かせてきた」
「人を殺してきた」
「人を蹴落として自分が偉くなった」
「神様に随分いろいろお願いしたんだけど御礼もなにもしてない」
「随分人に世話になったんだけどひとつも感謝してない」


そういう思いを残してる霊が、浮遊霊で止まるんです。神様のもとへ行けないんです。


だからあなた方が悩んでるわけ。それで結局、先祖の、前世の、そういう悩んでる魂を鎮めるのを浄霊というんですね。


それを当霊照会では「浄霊祈願」という祈願の日を設けてます。


じゃあそれで先祖の霊を清めればいいのかっていうと、それと同時に自分自体も絶えず清めに入らなくちゃいけないんです。


「おぎゃあ」と生まれたと同時に、神様は真理ってものを、生きる道を私たちに教えてくれたの。


結局その生きる道を教えてくれてるのが宗教という名前をとってるわけですよね。


だからたとえばですよ。キリスト教でその生きる道を教えられた人はキリスト教が最高にいいと思っちゃうわけ。


最高にいいと思うその気持ちは三次元の心なの。三次元の世界で教わったその宗教が、あぁ立派に人間が生きることを教えてくれてる、これこそ本物だって思うわけ。


そうすると仏教でその道を修める人は、ここは本当だって思うわけ。


で、まぁいろんな宗教ございますよね。そうすると、そこが本物だ、ここが本当だって、みんな思っちゃうわけ。


これがいけない。「本当だ」と思ってしまうその心が自我になってる。だから宗教戦争になってしまうんです。


今いろんな新興宗教がいっぱい、神様が大祓いしようと思って、ひとまとめにしようと思って、いろんな新興宗教いっぱい作ってますよね。


それで、ここが本当だ、ここが本当だと言ってね。それで悩んで迷っている人たちが、ここ行ってよくならない。じゃっあっち行ってみようかな。で、そこ行ってもよくならない。じゃっこっち行ってみようかな。これを迷える子羊って言うんですよね。


それはどこへ行ったってダメなの。自分を変えなきゃダメなんですよ、はっきり言って。


ある宗教団体に行けば良くなるっていうんじゃないんですよ。自分に本体があるんですよ。幸せになるもとは自分にあるんです。


それを正しく教えてくれるところが正しい宗教の場所とでも言いますかね。


だからそういうところの門をたたく人が神様の分け御霊としての本当の人間が出来上がるわけ。


ですから神様からいただいた分け御霊の己に復活することに専念することが、人間は生きてる間必要なんです。


自分は神様の子なんだよと、要するに神様からの魂の分け御霊なんだよと、絶えず持ち続けること。


で、自分で勝手に生きてるんじゃないの。要するにこうやって生まれてきた、この生命体を与えられたってことは、その元から考えたらね、生かされてることなんです。そこを考えなくちゃいけないんですよね。


いろんな会合に行きますと、過去の戦争見つめてみるとだいたい宗教がからんでる。その戦争は必ず宗教から生まれてくるということを言う人がいっぱいいるんです。


ね、戦争には宗教がつきものだって、宗教戦争だって言うのが多いんですよね。


そうじゃないんです。それは宗教の真理は正しいんだけれども、その正しいのをいつの間にか自我で捉えてね、それで言いあってるから、こっちが正しい、あっちが正しいってことになっちゃうわけ。


自分のところが最高に正しいって思っちゃうわけ。それじゃいけないんですよ。


昨日もその話をしてきました。早い話がですよ、創価学会で真理を極めた、こりゃ立派ですよ。


で、キリスト教で真理を極めた人、立派です。


仏教で真理を極めた人、神道で真理を極めた人、結局、極めた人が立派なの。


だから神道がいいんだ、仏教がいいんだ、これ以外に正しい宗教はないんだって思うのは、もう自我になっちゃってるんですよね。それじゃダメなの。


自我の信仰に自分が流れていったら救われないんです、はっきり言ってね。


だから信仰というのは別の世界にあるんじゃないんです。あっちの宗教こっちの宗教じゃないんですよね。


神様が人間の生きる道をちゃんと生まれると同時に教えてくれてるんです。これが真理の道なんです。


要するに、真の理と書くでしょ。だから真理の道を歩むことを神様は教えてるんですよ。


それを宗教でいろいろと、こっちがホント、あっちがホントってことになっちゃってるんだけど、そうじゃなくてみんな同じことを教えてるんですよ。


神様の教えだもの、みんな同じなんです。大生命の元が私たちがホントに生かされることを教えてくれてるんです。


それを人間が勝手にとらえて、キリスト教に夢中になってる人はキリスト教、仏教に夢中になってる人は仏教。ね、今いろんな宗教がありますね。


いろんな本を書いて出してる宗教団体もありますよね。学問的に真理の道を書いてる。


と、学問的に、頭でっかちになることが、なんか利口になったような気になって、とってもすばらしいような錯覚を起こすこともありますよね。


そういうところに飛び込む若い青年も多いわけですよ。そうすると、あっこれがホントなんだって思う。


真理の道を書いてるんだからホントに決まってるんですよ。で、ここがホントだ、ホントだって思っちゃうわけ。


だから、ねぇ、うまいんですよね、人を引っ張ることが。それは人を引っ張るってことでね、ホントの教えじゃないんですよ。


ここがホントなんだよ、ここがホントなんだよってのは、ホントの教えじゃないんです。


どの道にでもホントの教えがあるんです。それを掴んだ人がホントなんです、はっきり言って。わかります? 


だからね、そういう意味合いで私は皆さんを導いてるんです。


この間もテレビ見てましたらね、人間っていうのは弱いからねぇ、信じるとそういうふうになっちゃうのかなぁと思いましたけど、実にバカげたことやってるわけですよね。


その教祖がこの手からオーラが出ると、私にはすごいオーラが出るんだと言ってる。私は自分からオーラが出るって言ったことないんですよね。


ただ傍の人が握手したりすると、先生強いですね、あったかいですねって言われるから、じゃオーラが強いのかなって思いますけど。


ところがこの間テレビの番組見てたら、これ女性の霊能者なんです。


そしたらね、ハイッって言って、エーイッなんて手をあげて、そうするとバタバタバタッてみんな倒れるのよ。


それは結局、その自分のこのオーラを受けられる方は倒れるんですよっていうふうに、潜在意識的にそういう知恵を授けちゃうんだね、あれはきっと。


だから倒れた方がいいんだと思って倒れるんだね。ああいうことしてるんじゃ、もう情けないなと思っちゃう私は…。


だってそのやる姿勢もね、笑いながらエーイッてやってるんだから。そうするとササァッて倒れる人が何人かいるの。


冷静な人は倒れない。倒れない人は、あの人はまだ神様がお助けしてないんだっていうふうに取っちゃうわけ。


倒れる人の方が救われるんだっていうふうな雰囲気にしちゃうわけ。まったく情けないなと見てて思いました。


つくづく人間ってホントに弱いんだなぁって、私はそういう生き方はしたくないなっていうふうに思わせていただきました。


だけども確かに人間ってのはね、生まれると同時に真理の道というものを神様は授けてくれてる。


この魂の次元の生命体が、要するに人間が、物質の世界に生かされた時に、最後までその真理の道を一歩一歩踏みしめて歩む、そういう心構えってものが人間の本質なんです。本当の生き様なの。


その正しい生き様を正しい宗教を教える先生は、そういう自我な教えはしないと思います。


やっぱり人間は個々に神様の分け御霊を持ってると、自分は本質的に神様とのつながりがあるんだから、その真理の道を歩むことに毎日毎日専念しなさいということを本当の宗教家なら教えると思うんですよね。


ところが物質の世界だから欲しい物がいっぱいありますよね。その中で真理の道を極めるっていうのは、とってもむずかしいことですよ。


むずかしいんだけれども、その真理の道を極めることを一歩一歩毎日毎日積み重ねていくことが、死ぬ時に「あっ、これで良かったんだ」っていう生き様を残して、この肉体が亡くなったときには、私たちの親様の神様のところへ行けるわけ。


要するに霊界へ、神界へといけるわけですよね。


そういう生き様をしない人間は浮遊界にとどまっちゃうわけ。


だから当霊照会の門たたく人はね、どうか神の子であるという認識を持っていただいて、そして神の子である以上はその肉体が亡くなるまで真理の道を極めようという気持ちで三次元を生きてほしいと思うんです。


どうか宜しくお願いしますね。

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