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奇跡の体験を魂におさめる 1991年5月5日

  

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5月5日端午の節句、これは男子のお祝いの日ですね。


たぶん中国の方から渡ってきてることと思いますけれど、この日、中国では屋根に菖蒲をにつるして、魔除けにしてるんですよね。


そういう意味から5日というのは、非常に男の人の気を強くするという、そういう日でもあるんです。


そんな日に皆さん、おうちに留まらないでよくお見えになられました。


それとですね、今日はご存知のように、皆さんの霊体を高める作業。高めるとはどういうことかというと、


いつも申しあげるように、皆さんは神の分け御霊をいただいてる。要するに宇宙の大霊の一分子、一素粒子かもしれないし、科学的にはどういう表現するか知りませんけど、とにかく生命の一端の中に入ってるんです。


その生命の本体、要するに原動力といいますか、これは神という表現で皆さんにお伝えしておりますけれども、その神の存在はこの世に不可能がないんです。


私たちはこの世に不可能のない魂をいただいてるんだけれども、過去の先祖、また前世から、知らぬ間に犯せる罪とか、いろんな罪を犯してきてますんですね。悪い想念をいっぱい、私たちは背負ってきてるんです。


だから今生で、この事件が解決すれば、こっちの事件と、何事もなく平和に無事にいくということは絶体ありえないんです。しょうがないんです、これは。


人類をそういうふうにしてしまったのは、やはり私たち人類の責任なんです。ホントは私たちは神の子なんです。だからこの地上は天国のはずなんです。


それを苦しい世の中にしちゃったのは私たち。その私たちというのは、先祖を含めて私たちというんです。私たちがいるってことは、先祖があるから私たちがいるわけでしょ。


そうすると、私と先祖、関係ないわって言うの、違うんです。どんなことがあっても関係があるんです。


だから過去世の罪を1枚1枚はがして、なおかつ今日のような感応講座で、自分たちの魂を高める作業をすることによって、神の分け御霊に復活するわけです。


私たちの魂を神の分け御霊に復活させていただくと、この世に不可能がなくなるんです。どんな事件でも必ず解決していくんです。


だから、まだそこまで魂がいってないと、いろんな悩み事にとらわれて、そればかりに集中してる。その悩みから切り離せないことを自分でやってるんです。


私たちがこの世に生まれて、しなくちゃならない作業とはなんであるかというと、


神様の分け御霊をいただいてる、その原点に自分たちの魂を戻すことがこの世に生まれてきた使命だとお思いになれば、よろしいんじゃないかなと、


それで、魂を原点に戻す。要するに少しでも私たちを向上させるために、こういう感応講座があって、これも魂を高める行事なんですね。


そして浄霊祈願は先祖の悪い想念を取り除くということなんです。だから今日は大事な日なんです。


それで、今もある方が、私は何か、花と表現したそうですけど、これも私はね、その人を見ていて、ヒョッと閃くんですよ。


それで、先生から花とおっしゃっていただいて、花のことでいろいろ動いていたら、おかげさまで花のほうのお仕事がつきましたって、さっき喜んでいただきましたけどね。


そういうわけで、私が口切ったことで必ず体験させられるんですよね。それによって、だんだん信じていただけるんだろうと思うんです。


だから私のお話を聞いて、なるほど、なるほどと思うんだろうけれども、聞いているだけでは徹底的に信じる気持ちにまではなりきれないんじゃないかと、


あとはもう、私を通して奇跡の体験をいただくことによって、あっなるほどな、やっぱり我々では全然想像できない、未来のこと、関係ないことまで、先生はサッと口切るということは、やっぱりそれだけ霊体が高まってるんだなというふうに思っていただけると思うんです。


他人のことまでパッとひらめいて、そのとおりになる。そうなると、そこから相手を信じる心ができるんです。そうならないと、なかなか信じる心ができない。


どんなにいいお話をして、それ聞いてもね、信じる心が生まれないと思う。だけど、あ、先生にこう言われてこうだったっていう体験がサッとあると、皆さん、そこに信じる心ができると思います。


ですから皆さんを誘導していけるんです。そういうものは、皆さんもホントはあるんです。けれども、まだ私みたいに修行がいってませんので、そこまで、人のことまで、まして自分のことも、なかなかおわかりにならないということだと思います。


そういうふうに、私のようにわかる人間になっていただきたいなと思って、そうじゃなければ、この地上は本当に幸せな世の中にならないんです。


この素晴らしいこと、エネルギー、要するに神様がいらっしゃるんだなってこと、肉眼ではっきりとその現象を見られれば納得できるんだけど、その肉眼では答えが出ない。だけど素晴らしいっていうことですよね。


いろんなお話を、皆さん真剣に消化してると思いますけど、ただ頭で思うだけで、心の底から素晴らしいんだなと思いきれないんじゃないかなと、私は思わせていただいてるんですよ。


見えない世界のことだけにね、私サイドから思わせていただくことは、


ああやっぱりすばらしいエネルギー、要するに神様がいらっしゃるんだなってこと、その時点でわかるんだけど、少し間を置くと、また元に戻っちゃうんです。


それで、物象の世界の自分の考え方、これを重点に、どうしてもそこへ入りこんじゃうんですよ。入りいいですからね。


だけど、そこへ入っちゃうとね、結局いつになったって幸せにはなれないんです。


鶴田先生をとおして、こういう奇跡があった。こういう予言があった。なるほど見えない世界には人智では計り知れないすばらしいエネルギーがあるんだな。


そう思ったなら、そのいただいた奇跡を活かさなくちゃ。


今度は、そのあるんだなっていうことを、頭の中だけでおさめないで、この自分の肌におさめてくださいよ。


それを肌で感じますとね、私が五つの心をお教えしてますでしょう。あの行いをしなくちゃいられなくなってくるんですよね。


それを頭の中で、その時だけ感激して、時が過ぎてしまうと、その感激がうすらいでしまう。


そんな繰りかえしであったんじゃ、いつになったって霊体は高まらないんですよね。


それをその時思うだけじゃだめで、積み重ねていって、自分のものにしないと。


そうするとね、今度は自ずから性格が変わってくるんです。考え方が変わってくるの。三次元のいろんな計算の世界ってものを、平気で離れることができるんですよ。


奇跡をいただいて、それを肌で感じとるとね、今度は非常に自分に厳しくなるんです。そうすると「死ぬのは怖くない」の、あの五つの心を使わずにはいられない人間になってくる。こうならなきゃだめなんです。


そうなると皆さんね、今度は私をとおさないでも、どんどん奇跡をいただける人間になれるんですよ。


だからそういう体験を積み重ねていくには、皆さん、私をとおしてじゃないと、なかなか物質人間の考え方だけでは、たぶん神様があるんだなってわかってても、心の底からは思いきれないと思う。


何回も繰りかえして言いますよ。その体験をしたならば、頭の中で感激して、パッと忘れるんじゃなくて、体験を一ツ二ツ三ツと積み重ねていったなら、


その体験を頭の中でおさめないで、心の中に、自分の肌におさめていくと、人間はいやでも自分に厳しくなるんですよ。性格が変わってくるんです。


性格が変わらないってことは、せっかくした体験を生かしてないっていうことなの。自分の肌におさめないってことなの。心で感激したっていうけれども、ただ一時、頭の中の心で感激したっていうかなあ...そういうことだと思うんです。


だからどうか、私をとおしてそういう奇跡をいただいたなら、それをその時の感激だけでおさめないで、一つ一つ肌におさめること。要するに心を司るところの魂の次元におさめること。


そうすると皆さんが変わってくる。どういうふうに変わるかっていうと、


自ずから神心になっちゃうんです。そうしなきゃいられない人間になるんです。


だから、そういうことを目標にして、私は皆さんにこの修業を積み重ねていってもらいたい。


ただ奇跡をいただいたときだけ感激して、その繰りかえしであったんじゃ、何もならない。


自分がいつになっても変わらない。それじゃ修業じゃないんです。修行である以上は自分がいい方向に変わらなくちゃ。


自分の考え方が変わったときに初めてね、私、前と少し違ってきたわと、自分でも納得いくと思います。そうなれば、しめたもんです。


そうならない場合、それは自分のせいなの。自分が肌でおさめないから。ただ感激して、その時だけで終わらせてしまうから。


だからいつになっても救われない、そういう信仰なら無駄なんです、はっきり言ってね。


せっかく時間を使って見えるんだから、無駄な信仰はしないこと。


ホントに一歩一歩、富士山の頂上までっていうくらいに、自分を築いていくことです。


その自分を築くことは、自分のその奇跡を肌におさめること。そうすると、いやでも自分ってものが変わってくるから。


自分が変わらなければいつになってもね、幸せな不思議な奇跡の現象もいただかない。


私をとおしてその時感激するだけで、あとは線香花火みたいに終わってしまう。


仏の顔も三度ってこと、私いつも言いますけどね、もうそんなこと2、3度繰り返していたら、もう予言してあげても今度はね、先生のはずれた、なんて考え方になってくる。


そうすると、ますます悪循環になっちゃうの。そうじゃない。自分の受けとめ方が仏の顔も三度を繰り返してるから、もう神様から投げられちゃってるわけ。


だから私が一生懸命、霊的に誘導していっても、そういう人は、もうどうしようもないの、救われないのね。


だから、そういうことにならないように、せっかくなさる信仰だったら、活かさなくちゃ。そうじゃなきゃ何もならないです。


この感応講座はホントにすばらしいんだけれども、こう見てると、あの方も来ればいいのに、ある程度素質を持ってるんだから。


そしたらもっと世の中でもって抜擢される成績になっていくのに、瞬間少しは抜擢されても、その先はもういかないってことになってしまうのに。


その先いくには、自分がもう少し霊的に高まっていかなくちゃいけないのに。そういう人たちのことね、私にはよくわかるんですよ。惜しいなあと思うんです。


結局この世の中で、少しでもいい方向にいくには、要するに出世とか成功って言葉使いますけど、やっぱりそういう根性ができあがってこないとね。


霊的に高まってくると、その根性ができあがってくるんですよ。そういう根性ができあがるってことは魂が変わってきたってこと。


魂が変わらなければ、そういう根性にならなければ、何回でも同じことの繰り返しですよね。


だから、そういうご信仰だったらつまらないなと、私は思わせていただくんです。


だから「死ぬのは怖くない」の、あの五つの心が自ずから使わなければいられない人間になるように、魂の次元になるように、


そういう皆さんになってもらいたいと思って、鎮魂もおすすめし、感応講座もおすすめし、浄霊祈願もおすすめしてるんです。


どうかね、私をとおして奇跡をいただいたなら、ただ瞬間の喜びだけで終わらせないこと。肌にとどめること。


何回も何回もとどめることによって自分が変わってきますから、自分が変わらなければ幸せになれないんだと、何回でも繰り返しますよ。


そういう心をあなた方に持っていただきたいと思う。お願いいたします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

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