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物質人間の己を捨てれば、宇宙とつながる  1993年9月1日

  
  1. 神様の道しるべ            P.1/3
  2. 自分を認めないで人事をつくす     P.2/3
  3. 神の子である自分を成長させる     P.3/3

2.自分を認めないで人事をつくす   P.2/3

自分の過去を振り返ってみると、私の人生ってのはね、ずーっといろんな悩みが多かった人生ですよ。


だけど、悩みにとらわれるその状態っていうのは、結局どうしても、もの事がうまくいかないんですよ。


たとえば、こうありたい、ああありたい。そうふうに実ればいいなって、まあ思いますよね。


ところが、そういうふうに実ればいいなって思うこと自体が、もうとらわれなんだ、はっきり言うと。


だから、もし自分にひとつの目的があったなら、人事をつくして天命を待つってことあるでしょう。


そしたら、まず自分は今どういう動きをしたら一番純粋に最高に活かされる動きなのかということを冷静に考える。


主観的じゃないの。主観的だと自分防備になっちゃうんです。自分防備ってのは自分を認める姿なんですよね。自分を認めたら、これはいつになっても救われないです。


だから自分で自分を認めないで、とにかく人事を尽くす。あとはお任せ。そんな心境を徹して作ったなら、必ず神様がいい方向に運んでくれるんですよね。


ところが、とらわれるから、そっちの悪い方向に行ってしまうわけなんですよ。自分の理想通りにいかないんです。


理想通りにいかないのは、理想通りのことにとらわれてるからなんです。


理想通りのことにとらわれないで、とにかく今、自分はこうありたいんだと、だから真剣に人事を尽くしてみましょう、あとはお任せ。


そしてお任せして、もしできない場合は、自分ってものをもう一度振り返ってみるんですよ。自分がホントに真剣に無になってるかどうか。


皆さんのいい材料になると思うので、いつもこれ話しますけど、


私はね、皆さんのこともやってるし、神経をすごく使う仕事ですから、夜の睡眠っていうのが、とても取りにくい存在に置かれてるんですよ。


で、眠れない時に、眠れなくてもいいやと思っても、もうこれはとらわれてるんですね。眠りたいから眠れなくてもいいやと思うわけだから。ここのとこなんですよね。


眠れなくてもいいやって思って、じゃ眠れるかっていうと眠れないんです。


眠れなくてもいいやっていうのは、裏を返せば、眠りたい。だからすべてがそれなんですよね。


人事を尽くして天命を待ての心境に完全になりきれないんです、はっきり言ってね。


だから何か今、自分が求めてることがあるとすれば、ま、一生懸命人事を尽くしましょうと、
でもね、あとはちゃんと与えられるんだなってことは、思っちゃいけないの。


人事を尽くしたら、あとは思わないこと。あとは捨て身になることですよ。


そうすると案外道がついてくるんだね。人間はこの捨て身っていうのがとっても大事なんですよ。自分ってものをいつも捨ててかかんないと道がつかないんです。


だから、この間のテレビの番組にしても、私があれを捨て身にならなかったら、ああいう答えは出ないんですよ。


守護霊を言ってくださいって言われて、はずれたらどうしようかな、当たらなきゃ困るな。これはもう捨て身じゃないでしょう。


もう、なんていうのかな。そこに物質人間の自分ってものを少しでもいい格好に仕上げたいっていう、完全に欲が入ってるわけね。これじゃあ当たりっこないんです。


ところがその時は、そういう心境を一切なくしてね、守護霊を見てくださいって言われて、それに対して相手さんをジーッと見つめてて、


当たらなきゃ困るなとも思わない。当たればいいけどとも思わない。ここのとこです。


ただ無心にジッと見つめてるとね、スッと閃いてくるものがあるの。これが大事。そして淡々と答えてるでしょう。


あれはもう全然自分がないんですよ。ただスッとこの頭の中に閃くことだけを答えるだけなの。


自分がないってことは、これ答えたら、はずれるかな?って思う自分がないの。この心境をね、皆さん身につけるといいんですよね。


そうすると、自分の生活もピタッとハマっていくように答えをいただける自分の生活になっていく。


人生っていい事ばかりないんですよね。苦しい事といい事と絶えずこう交差してあるわけです。


いい事の時は喜ぶんですよ。悪い事の時は、何で私は運が悪いんだろうか、とかね。


信仰してる人は、私は神様から見放されたのかなあ。なんて、極端に思ったりするでしょう。


これは完全に己があるからなの。己をなくしたら神様に見放されたかってこと考える必要ないし、すべてそういうこと考える必要ないじゃない。


これがいいの悪いの考える必要ないじゃない。


悪いことがあっても、ああ私、何でこんなに悪いんだろうってことも考えない。


いい事があっても、極端にありがたい、あぁなんて嬉しいんだろうって、私、そんなに極端に思わないですよ、はっきり言うとね。


たとえばこの間の、理事長が言うように、うちの教主様は、私の旅行は天気ばかりだって言ってるけど、この間伊豆に言ったらドシャ降りだったって。


さあて今度はどうやって答えるかなと思って、ここで会った時に聞いてやろうと思って、手ぐすね引いて待ってたって言うんですよね。


それで、この間の伊豆行きはドシャ降りだったなあって。


そうなんだよねと、あっさりと。


というは、結局とらわれてないのよね。それで、とってもよかったんだよって言った。むしろ理事長の方が唖然としちゃったって。


なんだ、うちの教主は、私の旅行はいつも天気だって、雨の日はないっていばりながら、あんなドシャ降りで、鼻を折ってやろうと思ったら、


途端に、そうだったのよね。すごく素晴らしかったのよって答えになっちゃったから、唖然としたって言うんですよね。


これはね、己がないからなんです。私はそう思う。やっぱりその時その時の状態に、自然にすごく順応してるんですね。


自分の心っていうのは、自然体になることが一番素晴らしいんですよ。だから絶えず自分を自然に順応することなんです。わかるかな、言ってる意味がね。


自ずから、もうそれは自分じゃないでしょう。だから正しい答えが出てくるわけですよ。


宇宙には人智では計り知れないエネルギーがいっぱいあるんです。そうすると、その心境でいると、そういうものとのつながりがサッとできてしまうわけです。


だからね、何も言わなくても、相手がなんだかんだしなくても、言ったことが全部ハマるっていうのは、結局自分が無心だからですよ。


もし私があの時に、これはずれたら困っちゃうなとか、そんなことをいろいろ考えてたら、はずれるでしょうね。


だから、やっぱり人間は、毎日の生活の中でね、絶えず自分を捨てることです。自分があると苦しむ。自分を捨てると苦しまない。


だから、そういう心境を作るために、私は皆さんにこうやって行をしていただいてるんですよね。


いつも言うように魂が活性化されると、要するに高まってくると、宇宙の魂とつながってくるわけでしょう。宇宙の魂とつながればね、やはりそういう心ができるわけなんです。


肉体人間の自分にばかりとらわれてるから、宇宙の魂につながらない。だからいつになっても幸せになれないんですよ。


肉体人間の自分にとらわれてるから、悪いことがあれば、何で私はこんなに運が悪いんだろう、何で私ばかりこうなんだろうとかって、


結局悪いことにばかりに心を持ってくでしょう。だからいつになったって、よくなりっこないんです。


そうじゃなくてね、人事を尽くして天命を待ての、この人事ってことはとても必要なんです。そのためにはやっぱり己を捨てることです。


言葉では己を捨てるって、すごく簡単だけど、己を捨てきれるっていうのはとっても難しい。だからこそ、私は楽しいと思う。


己を捨てきれるまでの修行が、死ぬまでの間にできたら、こんなに楽しいことないんじゃないですか。


そう思いません?自分を捨てたら何もいらないんだもの。


あれが欲しいのこれが欲しいの、こうあればいいの、あああればいいのって、自分があるからですよ。自分がなくなれば、そういうこと考える必要ないじゃない。


たとえば職もそうですよ。職場の中でもっと高いところに行ければいいとか、ここのところ、何て言葉の表現をしたら、一番わかりやすいのかなと思うんだけれども、


やっぱり、さっき言ったように、人事を尽くして天命を待つ。主観的じゃなくてね。結局、自分をなくせば一番いいんですよ。一番の根本はこれなんです。


だから、いつも言う五つの心ね、あの心を身につけるってことは、己を徹底的になくしたら、あの心ができるんです。己をなくさないと、あの心ができないんです。

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