- 肉体から離れた魂だけの意識 P.1/3
- カラオケをとおして ー歌の中にスッと入るー P.2/3
- 地鎮祭でのこと P.3/3
3.地鎮祭でのこと P.3/3
それで、なすことすべてが、ちゃんと自然の理にはまるから、すべてが順調なんですよ。
だから別に計画しなくても、たとえば、地鎮祭をお願いされた時なんかでも、これはひとつの例です。いろいろと今まで例がありますけどね。
そうすると、うちの主人なんかは、うちの家内はお天気女だからって、簡単に言うんですけどね。私はありがたいなと、いつも思わせていただく、というのは、
この間、地鎮祭あった時に、行く時は曇ってました。そして、向こうへ着いて地鎮祭が始まる頃になったら、小春日和の素晴らしく暖かい日になったのね。
だから、そういうふうに自分の魂の次元が、宇宙の魂と、いつもひとつになるような、そこまでの状態ってものを持ってたなら、
何の計画をしなくても、ちゃんと神計らいで、あんな寒い日でも小春日和の天気になって、つつがなく地鎮祭を終わらせていただきました。
その前の地鎮祭の時は、西鎌倉で、うちの本部長の家に行って、ゴザを敷いて、その時は施工の人も誰も呼ばないで、私と本部長だけで地鎮祭をやりました。
その時は風がとてもひどかったんですよ。でも不思議なんですね。その風に私はとらわれないんですよ。
ゴザを敷いてお供物を並べて、じゃ、これから地鎮祭を始めるっていう時に、風がビュウビュウふいたの。
でもその心境を作ると、そういう物質的な環境ってものにとらわれないんです。これは私、ありがたいなと思うんですけどね。
そして、その風がビュウビュウふいてる中でも、地鎮祭を始めました。そして蝋燭に火をつけると、風がふいて消されちゃうわけですよ。
でも一応つけたら、あとはもう消えてもいいから、お祈りしましょうって、地鎮祭を始めました。
私は目をつむって一生懸命お祈りしてる。本部長の方は目を明いてますでしょ。
そうするとね、ワアーッと風がふいてて、すごい風なんですから、蝋燭が黒い芯のところまで見えて、パッとなって、ああ、消えちゃったんだなと思うと、
でも私がまた祝詞を挙げだすとブワーッと火が付く。それで、最後の祝詞まで火が付いた。祝詞が終わると同時に消えたんです。
そういうわけで、絶えず宇宙意識を自分の中にいれるとね、何にも計画しなくていいんです。
絶えず心境は自然、人間は自然くらい素晴らしいことないんですよね。無理することないんです。
それで自分ってものを、とにかく作っていけばいいんです。これ大事ですよね。自分ができなければ、そういう心境も味わえないわけですから。
自分ができるようになると、その心境が味わえると同時に、また、ああ風がひどいから、蝋燭は消えるな。これは自然ですよ、誰でも思いますよね。
私もそう思います。私は神様がついてるんだから、お下がりになってるんだから、蝋燭は消えないわ。とは思わない。
自然なんです。ああこんだけ風がふいてれば、蝋燭の火は消えるわ。でも一度付けたら、もうあとは付いたことにしちゃおう。
そういう考えになって、地鎮祭が始まったら、その間ズーっと火が付いてる。消えたかなと思ってると、また祝詞挙げるとき、パッと付くんです。これが、ちょっと不思議ですね。
そういうふうに、それはあくまでも、自分ってものが、神様から分け御霊をいただいた己になりきったときですよね。そういう己を作って、そして、そういう己になった時には、案外とらわれないんです。絶えず自然体なんですよ。
風がふこうが、雨が降ろうが、何があろうが、絶えず自然体でいられるんです。だからひと様とお話してても、無理もしなければ、ごくごく自然でいられるんですよね。
これが、私はホントにありがたいな、というふうに思わせていただいております。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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