- 宇宙の気の考え方 P.1/2
- 心が豊かになる贈り物 P.2/2
1.宇宙の気の考え方 P.1/2
本日はどうもご苦労様です。皆さん、鎮魂をやって、どういうふうな感じですか?
どうです?それぞれの考え、感じたこと、手をあげて言ってください。
会員 すっきりしました。
ああそう。はい・・・まだない?感じたなりでいいのよ。そのままね。
どうですか?まだ・・・何がなんだかわかんない?
会員 初めてなものですから、こう・・仕方を真似するのがいっぱいで。
たぶんそんなことだろうと思いましたから、じゃあね、ちょっとお話させていただきます。
この鎮魂はね、神様と自分の魂とが一体化する、神様と統一することなんです。たとえばいつも申し上げますように、
腹式呼吸は、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10と数えて息を吸う。10の感覚で息を吸う。
そして吐き出すのは、その倍の感覚で吐き出す。
それ、お腹からですよ。あくまでもお腹へ吸って、お腹から吐き出すということなんですね。
そして、それをおこなってる内に、だんだんと精神統一が充実してくるわけです。それで完全に統一される時間が、何秒じゃないんですね。
その人によって何百分の1秒かもしれないし、何十分の1秒かもしれません。その瞬間が統一というの。統一する時間が長いってことは絶対ありえない。
その統一とは何であるかというと、いつも申し上げますように、あなた方は神様からいただいた魂の存在なんです。
要するに、あなた方の中に神様の魂が吹き込まれてるんです。この世に生まれる前からある魂なんです。
その魂がそれぞれの肉体の中に、この物質の中に吹き込まれてるの。神様からいただいた魂を全部の人が一人残らずお持ちなんです。
その魂の発動のもとにね、この毎日の活動を営まれてる方は、自然に非常に順応して幸せな道をたどるの。
神様の営みは絶えず、それこそ私たちそのものにも、この地球上すべてのものが幸せな状態になるようにお考えになってるわけです。
ですから、たとえば雨が降るのも、雨降らなくちゃ困りますよね、水不足で。雨ばっかり降ってても困るし、そういった自然の営みはすべて、やはり自然を生かすために営まれてるの。
神様は絶えず自然を生かそうとしてるわけ。生命っていうのは、生きるってことなんですね。だから絶えず生き続けるような発動は神様がなさってるんです。
じゃ、生き続けるってことはいい現象ばかりかっていうとそうじゃない。今も言うように、雨ばっかり降って困るわ、なんてね。人間は勝手なこと言う場合もあるし、
そうかと思うと、今度は天気ばかり続くとね、ああ雨が降らないと水不足になっちゃって困るわ。雨が降ってくれればいいんだけど・・・
こういう考え方を人間はおこすんですよ。
神様からいただいた魂の発動でない考え方がそこに生まれるわけです。
この世界の、自分の姿、肉体っていう物質は神様からいただいた魂の器なんです。その神様からいただいた器のもとに考えってものをおよぼしていくんですよね。
だから雨が降らないと水不足になるから、この肉体をいやすために困ると、それで天気ばかり続くと、またそれも困ると、
要するに、すべて自分のこの肉体を通した、己の考えなの。肉体を通さないで神様からストレートにいただいた魂で、この考え方を発動したときにはね、そういう考え方は一切おこらない。
自然にね、どういうときでもありがたい。どういうことでもありがたいと受け入れる魂になっていくの。魂が清まってくるってことはね、神様に近づくことなの。
神様といったら抵抗があるのであれば、宇宙。すべての生命体っていうのは気で、この宇宙は気で成り立ってるんです。無限の気なの。
これはこの世の中で何ひとつ叶わないことはない、すばらしい偉大なる力を発揮する気なんです。
その気のつながりの魂を全部がお持ちなんですよ。だからその気の発動で生かされるようになっていけばね、人智でも及ばないようなすばらしいことが皆さんにおこるわけなんです。
そこに奇跡という言葉がでてくるわけ、無限にね。その奇跡をいただけるような人間に、これからは特にならないといけない世の中になってきてる。
だから今年に入ってから、マスコミでも非常に心を取りあげてますよね。
というのは、心は元は魂なんです。その心っていうのは、神様の心なんです。要するに宇宙の気とひとつになる心。
だから、そういう心で皆さんがいろんな考え方を、絶えずそういう心をお使いになるとね、もう本当に、何ひとつ不幸なことはないんです。何にでも、どんなことにでも感謝ができるんですよ。全部無理でなく、自然に感謝ができる。
たとえば今言ったように、雨が降らないで困るなっていう考え方をおこす前に、すぐに神様のお計らいで、何か神様にお考えがあるんだろうと、絶えず宇宙の気の考え方ってものに、スッとひらめかせていただくんです。私なんかそうなんです。
ですから、そんなにそれを困るとか、やれなんだとかって現象にとらわれて考えるってことは、おかげさまで私はこの頃、ほとんどないんです。やっぱり、そういう魂の次元になると楽ですよ、皆さん。
そうじゃなければ、私はもう来年70なんですよ。その私が講演会とか、外部のお付き合いもずいぶんあって、なおかつ鎌倉の片瀬山から、ここ広尾に来て、だから私には全然休みがないんです。
まあ普通だったら私の歳で休みがなくて、これだけ活動できるってことは考えられないと思うんですけれど、でも私はその肉体にとらわれない魂が自然と発動されるんだろうと思うんです。
ですから、あんまりそれを苦にしないんですね。ああ私両方で大変だとも思わない。
とにかく充実した毎日を生かされることが、とてもうれしいし、それが喜びなんです。大変だなあじゃないんです。
それを皆さんは、おそらくそういうおお事すると大変だなと思う気持ちのほうが先にくるんじゃないかと思います。
それはまだ神様からいただいた魂の心の発動がまだまだない状態なのね。肉体にとらわれてる心なの。絶えず肉体にとらわれてる心で考えることは、ちょっと何かし過ぎると、おお事なわけですね。
人間は特別に苦労があると、その苦労に集中して考えることができるんですよ。ところが苦労がなくなっちゃうと、どっちかっていうと、やっぱりこの肉体を通した考え方、全部自分勝手な考えばっかりするようになってくる。
そうすると、人ばっかり悪くて自分は間違ってないと、それ自我の考えなんですよ。だから絶えずおのれ中心で、おのれ中心の考えっていうのは自己防備です。
そういう考え方が絶えずひらめいてくる状態っていうのは、とても不幸ですね。不足ばっかりですものね。
人間これでいいってことはないと思いますよ。たとえば、これが欲しいな、欲しいなと思ってそれが手に入った。ああこれで私は完全に幸せだって思えるのは、ほんの一時。あとはまた何か起きてきますよ。
それは肉体の魂ってものを絶えず追っかけまわしてるから、ひとつよけりゃ、また何かを求めるんです。肉体の魂っていうのは欲ばっかりなんです。要するに自我なの。
だから結局、自分で肉体の魂に振り回されて、自分で勝手に苦労してるんです。そう思いません?
私は学問でお話してるんじゃないんです。私の長い人生の体験の中で、この人生を神様が与えてくれた修練道場と考えてる。
その神様が与えてくれた修練道場の中で、ひとつひとつの苦労の中で、なんとなくスッとつかませていただいてる、そういったことで答えを出させていただいておりますから、
それで、その答えは結局、ああこういう心情になったときに、こういうふうに幸せにつながるんだなという体験を、あらゆる部門でさせていただいてますのでね、
あなた方も、そういう魂になったら、そういう心の発動になったら、要するに神様からいただいたところの魂からくるところの心の発動になれば、絶えずすべてが喜びに変わるんです。何ひとつ不足もなくなるんですね。
それと同時に、絶えず他の幸せを願うような気持ちが、おのずから生まれてくるんですよ。だから私なんかは自分のこと、考えたことないんです。
ずいぶんハードなスケジュールだって、はたから言われるだけで、ああそうかなと、その時は思うけれども、さりとてね、自分のことをそんなに考えたことないんですよ。
絶えず全部、はたの心配、はたの苦労ですね。だから私が思うのに、自分の自我の苦労じゃないから肉体があんまり疲れないんだろうと思います。
絶えず、はたの苦労ばかりでしょう。自分を責める苦労じゃないから。絶えずはたの幸せを願っての心配だから、あんまりその心配が体に負担にならないんじゃないかと思います。
あなた方の心配っていうのは、自分中心の幸せを考えての心配だから、それでくたびれちゃうんだろうと思うんですよ。
だからそこに少し気がついていただいて、考え方を変えていくと、ま、考え方を変えていくと言いましてもね、
今言うように、自分の魂は神様からいただいてるんですから、この鎮魂で瞬間でも親神様とひとつになれる時間を設けることによって、だんだんとそういう魂になれるんです。
神様からいただいた自分の魂の発動がよみがえってくるんですね。そういう心になると、おのずから、そういう考え方になっていくんですよ。
私は自分の体験をもとにこういうお話をしてるんですね。ですから、この体験の話を、まずあなた方が生かしながら、それでなおかつ、この鎮魂をやることによって、だんだんと神様に近づくんですよ。
神様に近づくから、私がお話させていただいてることが、ああそうだ、そうだってうなずけると同時に、今度は自然と実行に入れる人間になれるんですよ。
自然とその実行に入れる魂の次元になったら、この世の中で、本当に人間関係、物質関係、肉体関係、すべてが苦痛がなくなってくるんです。私、自分でそう思います。
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