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お宝になる御礼を    1990年10月20日

  
  1. 神様のお働きとパワー        P.1/5
  2. お願いをしたら、御礼        P.2/5
  3. 神様に通るお供えは、宝物      P.3/5
  4. 一人ひとりの魂の復活を目指す    P.4/5
  5. 指導することの難しさ        P.5/5

2.お願いをしたら、御礼     P.2/5

それとですね、これはもう、よく話すことなんですけど、困ったことのお願いっていうのは、皆さんすぐ気がついてなさるんですよね。


ところがおかげさまでっていう言葉を使った時の御礼ていうのが行き届かない方がいるんですよ。


ちょっと気になるなと思いながらも、これは私の行がまだまだ足りないから、私の指導方法が、そういう面にとらわれるんだなと、私は思っているんですけど、まあこれは、私の責任だなと考えております。


たとえば、おかげさまで娘がだいぶよくなってこうなってとか、せがれがだいぶよくなってこうなったとか、報告があるんだけれども、御礼をしないで、お願い、お願いなんですよね。


娘が今少しどうとかこうとかなりますようにとか、せがれがやっとこうなりましたから、今度はこうなりますようにとか、


次から次へとお願いがエスカレートしてくんですよね。これでいいのかなあって、ちょっと心配してたんです、ちょっとここのとこね。


ホントは御礼しといた方がいい。
これ、私が言う立場じゃないんです。そのために指導者ってものが会にあるわけでしょう。


指導者の方にご注意したいんだけども、指導者の方がその辺を教えなくちゃいけないんですよ。というのは、現象的に悪い結果が出てきてからじゃ遅いんですね。


だからそういう現象が起きないうちにね、心の姿勢ということを考えて、その人の感謝心です、感謝心の物質の姿勢ですよね。物質の世界なんだから。


おかげさまで、先生、娘がだいぶよくなって、こうなってとか、せがれがおかげさまで、車の運転ができるように免許証も取れまして、勤めに出られるようになりまして、そういう報告はあっても、その報告の感謝っていうのはない。


で、また次に、娘が今少しこうなりますようにとか、せがれが今少し今度はこうなりますようにと、だんだんお願いがエスカレートしていっちゃうんですよね。


これは困ったなあって、実は思ってたんですけど、これはホントに指導者に注意したいことなんですけどね。そこの辺のところを、ちょっと注意していただかないと、ガタッとやられるんです。


そういう例が、もう現実に、おとといだったかな。やっぱり心配してたとおりだったなと思ってね、残念だなと思ったんです。


ある方が、娘がまた元に戻りまして、先生、夜の御祈願してくださいと言って、事務長に電話があったんですよね。


事務長にしてみれば、お宅は長いから、やっぱり細く長くってことが必要だから、なんて、事務長は答えてましたけど。


それは事務長は私の立場じゃないから、そのようすがわからないから、そういうふうに答えたんだろうと思うんです。


でも私がそれ聞いた時に、あ、やっぱりなって、こう思ったんですよね。


というのは、おかげさまで、娘がこうなりました。おかげさまで、せがれがこうなりましたって言うんだけど、こうなりましたという、感謝心を全然表現してないんです。


それで置いてく物は、全部お願いばっかり置いていくんですよね。だから、これはいけないなと思って、やっぱり答えが出ましたよ。


そうすると今度は、その答えが出ると、せっかくよくなってきてるのに、また元へ戻ってる形でしょう。


これをね、今度は徹底的に直してくのは、ホントに教えるほうが大変なんですよ、はっきり言うと。


そういうことにならないようにと思ってね、転ばぬ先の杖ということが昔の言葉にあるでしょう。


やっぱりそういう格言が非常に、実によくうがってるんです。そのとおりなんですね。


転んじゃったら、なお大変でしょう。転ばないうちに、事故のないうちに、やっぱりその姿勢を正してかなくちゃいけない。また教えるほうは教えていかなくちゃいけないんです。


この辺を教える立場の人には注意したいし、教わる立場の人も、ただおかげさまでで済むことじゃないんだということをよく頭に置いてなさるとよろしいと思います。

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