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そなたの心を見届けた  1988年10月16日

  
  1. こころの糧             P.1/4
  2. 六根清浄大祓が神様の教え      P.2/4
  3. そなたの心を見届けた        P.3/4
  4. 真実は平凡の中にある        P.4/4

3.そなたの心を見届けた       P.3/4

この間も言ったように、ご信仰を始めて、行が積み重なってくると、そなたの心を、もう見届けたっていう時があるんです。


で、そなたの心を見届けたっていう太鼓判を神様が押すようなところまでの行ができた人、この人は、あとその先は、そんなに行、行って意識しなくても、自ずからすべてが自分の思い通りの人生になっていく。


それと同時に自分の考え方がホントに神心になっちゃうんですよ。わざわざ神心作ろうと思わなくとも神心になれるの。


困ってる人がいれば、あの人どうしてるかなとか、絶えずそういう細かい気配りというか、それしなくちゃいられない人間になっちゃう。


そなたの心を見届けたっていうのは、そういう心になったことを見届けたって神様はおっしゃってるわけ。


だから、そういう心なのを見届けたと言われるまで行をしなくちゃ。途中で脱落したらだめなんです。何のためにこの世に生まれてきたか。


霊界も行をやってますよ。だけど神様は霊界の行だけでは足らない人を、この三次元の肉体の世界に降ろしてるんですよ。


その行をおろそかにしてたらば、また生まれてくるからいいわって、そなたの心を見届けたとまでいかなかったなら、また霊界に行って行をして、それでまだだめで、またこの世に生まれてくる。


どうですか。幸せなこの世ならいいけど、苦しい苦しいのこの世なら、また人間に生まれてくるのいいわ、なんて言えます?


だからそういう苦しい自分ではなく、神様の営みのように、自分の心も神心になって、自然に直るんです。


魂が高まるとか強まるとかっていうことは、神様に近づくことなの。神様に不可能はないんですから、皆さんも不可能のない人間になれるんですよ。


先祖からこんにちに渡るまで、人類は自分たちで不可能にしちゃってるんです。


だからどうか、せっかくやる修行ですから、遊び半分じゃなくてね、とにかく三次元の世界ですから、いろんな問題、悩みがあって、その人その人によって、高い低いがありますよ。


すごく悩みのある人っていうのは、やっぱり前世と先祖が非常に諸々の悪い想念を置いていった。


その悪い想念に負けてしまって神様の魂になれない。そういう毎日の生活をして、それで結局この世を終わってしまう。


それで終わりかっていうと、そうじゃない。霊界に行っても、やっぱりそういう苦しみをやってる。


それでまた今生へ来て、またそういう苦しみでね、いつになってもその苦しみから抜けられない。それじゃだめなんですよ。


未来はどうでもいいんだ、今現在よければいいのよっていうことをよく聞きますけど、そんなことないんですよ。


人間はまだ本当に追いこまれない時には、そんなこと言えるんです。本当に追いこまれてごらんなさいませ。絶対にそういうことは言えない現状に追いこまれますよ。


悩みで来ている人、いっぱいいるけど… たとえば、井上さん!今、井上さんが目に付いたから。


それこそあなた、息子さんが交通事故起こして逝かれた時に、どうでした?

 どうして子供じゃなくて、私が死ななかったんだろうと思いました。

神様はね、あなたのご因縁をそれ以上の悩みに追いこむためですよ。自分が死ぬ方が楽だもの。子供より自分が死ぬ方が楽。

 あの、神様の存在を知るきっかけに…

そういうことなの。その時知るきっかけを神様に作ってもらったわけ。だから神様に手を合わすきっかけができたわけだね。


だから、せっかくそこまで追いこまれてきっかけができたんだから、そこまで追いこまれたのを初心っていうけど、その心で真剣に私は行をしてもらいたい。そして、そなたの心を見届けたって神様から言われるまでやってみてください。


そうじゃないと、息子さんはそういう行をお母さんにしてもらおうと思って、ね、せっかく犠牲になって、かわいそうじゃないの。息子さんに対しても申し訳ないんだから、


そなたの心を見届けたまで、ひとつ行を貫いてみようと、今日うちへ帰ったら、息子さんの仏壇の前で、お約束してみてください。ホントですよ、これは。笑いごとじゃないよ、あなた。


 どこまでできるかどうか、わからないから、あんまり言えないんですよ。
 約束すると恐ろしくて。

何言ってるの、あなた。だって我が子にね、我が子に約束が恐ろしいの?

 いや、嘘をつくような結果になると…

そこまで考える必要ないじゃない。ただ一生懸命やろうと思えばいい。結果ばかり考えちゃだめなのよ。その時の気持ちで絶えず燃えてればいいの。


それで、もし悪い結果になってもそれは許されるの。神様はその心を認めるんだから。


結果が、もし自分の思いどおりの道が歩めなかったとしても、それはできなかったからだめじゃないのよ。その心を神は認めるのよ。


実は心なんですよ皆さん。いつも言うように、その心を神は認めるんです。


だから、こうだから、ああだから、だめだとかっていうのは、迷える子羊なんですよ。結果はどうでもいいから、とにかくそういう心を作ろうという、その努力が大事。


結果がどうなろうと、とにかくいつでもそういう心を作ろう作ろうという考え方を持つことが大事。結果は神様がちゃんとお許しが来ます。


ところがわかってて横着してる人間っていうのは、神様、全然目をかけなくなっちゃう。それで、そういう人間が、うんと大きなお灸をすえられると、


今度はそこであわてて、あ、先生って、こうなってくるの。その時はもう遅いんです。もう神様に放り投げられてしまったから救われない。


だからどうかね、せっかくやるご信仰だったら、ただ恰好だけじゃなくて、そこまで真剣に取り組んで、そして、そなたの心を見届けたって、神様が太鼓判押してくださるまで、ひとつやってみてください。

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