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私たちは大自然のひとコマ 1989年2月28日

  
  1. 歌詠みをとおして          P.1/5
  2. お背中、流しましょう        P.2/5
  3. 神様はすべての大調和を願ってる   P.3/5
  4. 山寺に光仰いで永遠の命を      P.4/5
  5. 矢が降ろうが、鉄砲が来ようが    P.5/5

5.矢が降ろうが、鉄砲が来ようが   P.5/5

私たちはいつのまにか、いろいろだまされたり、苦しんだりして、だんだんだんだん、いつのまにか穢れてきちゃったけど、なるたけ、生まれた時に、元に戻るようにして、


そのために皆さん鎮魂を励んでるし、私の話も少しは消化していただいてね、そしてそういう魂ができあがることによってね、あなた方自体が、霊界はむろんですけども、今生で幸せになるんです。


そういう魂をつくることが今生での幸せになるきっかけなんです。その魂は何であるか。


いつもいうように、まず素直になること、愛を持つこと。徹底的に信じる心を持つこと。


極端な話が、いつか話しましたね、無言の行の話を。私はおしでもなければ、つんぼでもないのに、「はい」って返事して怒られた。


ここは常識でも守らせないところなのかしら。申し訳ございませんって謝りながらそんなこと考えてるの。


これ、無言の行じゃないんですよ。ていうことは、絶えず私があるでしょ。


私はおしでもなければ、つんぼでもない。だから返事しなかったら、こんな失礼な話ってないじゃないか。完全に私がある。そうでしょ、肉体像の私なんですよ。


ところが無言の行っていうのは、この肉体ってものを意識しないところの本当の私。魂の次元ですよね、要するに心。この状態の無言の行をしなくちゃいけない。


そこにいろんな、なんていうのかな、見栄とかね、常識論とかね、人間が作った、そういうところに支配された感覚での正しさっていうのはホントの正しさじゃないんです。


とにかく無言の行とでたら無言の行をすればいい。私は常識を守るんだと、常識を守ってるのに、ここは常識も守らせないのかしらと思ったことが、もうすでに間違い。これは自我なんです。


そういうこと一切、己をそこになくすのが無言の行なんです。それをあとでわからせたいただきましたけどね。


だから、素直になりなさい。他に無限の愛を持ちなさい。っていうのはね、理屈抜きに素直になればいいの。


いろいろとね、自分ってものの色づけが入っての素直は、素直じゃないんですよ。無条件で素直になればいいんです。


愛ってこともね、こんな愛、あんな愛って考えることない。徹底的にもう愛の心を絶えずほとばしればいいんです。


この道場に来たときだけ愛の心を持って、あの人にあいさつ、この人にあいさつじゃなくってね。


人間対人間の中すべて、毎日の生活の営みの中に、絶えずそういう表現があるでしょう。


これ里の行っていいますけどね。たとえば、まず相手の立場になって考えることが愛でしょう。


そして、果たしてこの人の言ってることはホントかなあ、どうかなあって考えることは、これ信じる心じゃないでしょ。極端な話がですよ。


相手がどんなに間違ったことを言ってもね、あれ、間違いじゃないかな、こうなのかなって考えることは、己なんですよ。


そういうことも考えないで、信じる心を養えばいい。その信じる心に、大自然の宇宙の神様はちゃんと手を伸ばしてくださる。


それで、あとはやっぱり謙虚にね、自分ってものを絶えず最低に引きさげておくことですよ。そうするとね、下にいると上がよく見えますから。


絶えず謙虚で、ただし己に厳しく。やらなくちゃならないことは、やらなくちゃならないんだ。


自分に与えられたことは、自分の意識のある限りはやりましょうと、これが己に厳しいってことなんです。


これを貫いたときにね、すべてのことが叶ってくる。実ってくる。神様は心を見届けるんだから、心なんだから。


ここのところ、皆さんつかみなさいよ。心なの。心を作ること。だから己に厳しく。


とにかく自分が今進んでるこのことを、矢が降ろうが鉄砲が来ようが、でも死んじゃうんじゃないかなと思おうが、とにかくひとつのこのことに対して、やろうと思ったら貫くことが大事ですよ。


途中でだめになっちゃうんじゃないかな。途中で倒れんじゃないかな。これはもう、厳しさがないの。


倒れたっていいじゃないですか。そこまで思いきれる人間になってください。そこまで思いきれる人間になったら神様は倒しません。


私は自分で体験してるから言わせていただきます。そこまで思いきったらね、絶対倒さない神様が。


40度の熱がさがっちゃうんですよ、平熱に。過去において伏見稲荷の品川支部にいってるときにね、満願の日に40度の熱が出て、もうホントに唸ってたんだけど、ああ今日は満願だなあと思ってね。


やっぱり満願の日はなんとかして、どうしても行かなくちゃなって気持ちにさせられるんです。結局私はもう自然に己に厳しいんですよね。


ああ満願だからどうしても行かなくちゃいけない。でも主人の見てる前で、それをやると、きちがいって思われちゃうからね。


おまえ、そんな熱でなんだよ。信仰もほどほどにしろよ。なんて言われちゃうに決まってるから、寝床からそーっと抜けだして、裏から主人にわからないように、お菓子屋してるときですけどね。


外へ出まして、それで歩きだしたのはいいけど、40度ぐらいの熱が出てると、周りが真っ黄色に見えるんですね。


たった7分のところなんだけど、もうその長いこと、まったく一日中歩ってるような気持ちですよ。


それでやっとたどり着いたんだけど、その道場へあがる階段が10段ぐらいある。それを普通に歩けないんだから、もう這うようにして、やっと上がってね、


で、そこは南妙法蓮華経を拝むところですけど、これから行が始まるんで、そこへ座って合唱してね、もう頭がガンガンです。


もうとにかく周りはみんな黄色く見えちゃって、とにかく私はこれをやらなくちゃいけない。


今日満願なんだからって、もうそればっかり自分に言ってきかせてね。南妙法蓮華経、南妙法蓮華経って拝むんですよ。


で、20分休憩があって20分拝むんだけど、そして終わった途端に、もう忘れちゃったんですね、熱のこと。


それで、ちょっと見たら、周りが黄色くないんですよ。あれっと思って...すごく爽快なんですよ。


あらまあと思って、それでもうサッサと歩いて帰ってこれたんです。それで家に帰って来て何でもないから、床あげしちゃったんですよ。


それでお店へ出たら、何だおまえ、熱があるのに寝てろよ。ってこう言う。いや私もういいのよって言ったの。


いいんだって言ったって、おまえさっきまで寝てたじゃないかって、こう言うわけですよね。


で、もういいんだからって言って。なんでいいんだって、熱はそんな急に下がんないよって、こう言う。


その事情を言うとね、信じてくれないから。そうでしょう。誰だって信じやしません。


だから、もういいんだからって。無理するなよって言うんだけど、ホントによくなっちゃったの。


そういう体験をしてるんです、私は。だから皆さんね、あまりにも肉体をかばう意識が強くて、具合悪ければ、途中で倒れるんじゃないかなとか、


そっちの意識のほうが強くて、満願だから今日はどうしても何がなんでも行くってことのほうを、こっちへ置いちゃうんですよ。


途中で倒れたら大変だから、今日はいいやいいや、神様そんな無理は言わないわと、自分に都合のいい正しさの屁理屈を作ってね、それで皆さんは営んじゃうから、そういう奇跡をいただけないの。


そこまで奇跡をいただくには、そこまで踏んばらないと奇跡はいただけないんです。これは私、体験したから言うんです。


どうかね、皆さんもホントに体験してください。そうするとね、ホントにこの世の中には恐ろしいものなくなっちゃうから。ひとつがんばって、お願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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