- 歌詠みをとおして P.1/5
- お背中、流しましょう P.2/5
- 神様はすべての大調和を願ってる P.3/5
- 山寺に光仰いで永遠の命を P.4/5
- 矢が降ろうが、鉄砲が来ようが P.5/5
2.お背中、流しましょう P.2/5
あれは三畳と、六畳だったかな。あとはちょっとお店、ちっぽけなとこですけど、あったんですよ。そこで飲み屋をしたんです、私は。
それでその飲み屋をした時に来てくれるお客様の奥さんと、お風呂場で会ったんですよ。
お風呂場であったから、自分のお店に来てくれるお客さんの奥様だなと思うから、お背中流しにいったわけです。
あの、いつもお世話になります。沢村さまの奥様、お背中流させてくださいって、こう言ったの。
そしたらね、「あなたみたいな人に流してもらったら、汚らわしいわよ」って、断られちゃったの。
ああそうですか、すみませんって言って引き下がったの。それでね、またまた次、お風呂場で会ったんですよ。
お背中流しましょうって、また言ったの。「あなた、この間断ったでしょ」って、また断られて、
あ、そうですか、申し訳ございませんと、それで引き下がった。
それで、そうね、回数にして何回か覚えてませんけど、もう、また断られるかな、また断られるかなって、私は行ったんです。
なぜかっていうとね、私は自分お店に来るお客様の奥様だから、私ってものを知っていただこうと思ったの。
だからこれで断られて引き下がってたら汚らわしい女で終わってしまう。私は汚らわしくないよと言いたかったの。
で、次また、あそこにいるなと思ってね。それで手拭い持って、すみません、お背中流させてくださいって、こう言ったわけ。
そしたら、「いいの!!あんた!くどいわね」とまで言われたの。
…あなた方やれます?…どうですか。
なぜかっていうとね、必ず真実は相手に通じるんだっていうのが私の信念。私は真実ってものをとても大切にしたんです。
そう思ったから、恥を忍んで、断られるたびに、周りはみんな見てますよ。穴があったら入りたいような状況ですよ、はっきり言って。
お背中流しましょうって言うときは、泣きっ面じゃないですよ。わざわざ顔もにこやかにして、前の断られたときのその顔は無理やりこっちへ追いやって、これも修行ですね。
相手にいやらしいって感じを与えない、ホントに朗らかな感じで、そういう気持ちを自分の胸に言ってきかせて、そして本当に自然の笑いにしなくちゃいけないなって、顔が引きつってたんじゃホントの笑いじゃないしね。
ところがそこまで断られるとね、同じ笑い顔でも引きつっちゃうんです。だからその引きつらない笑い顔にするには自分の心を平成にしなくちゃいけない。
で、その時思ったのは、断られて当たり前だと、相手は私のことわかってくれてないんだから。わかっていただければ必ず今度は背中を出してくださる。
わかっていただけない状態のときは当たり前なんだと、いう気持ちになったら、とっても心が、なんだか安らかになったんです。
それで、わかってもらえないのが当り前よ、わからないから仕方ないのよって気持ちが、そこにワンランクあるから、今度はわかってもらえるかなっていうにこやかな気持ちで、相手の背中のところ向かったから、
非常に、なんていうのか、心にゆとりがあるからね、その笑いが引きつらないんですよ。で、自然な笑いができるわけです。
それで何回か行ってるうちに、とうとう背中を出したんです。すみませんね。と言って。
それで、ああよかった。やっと自分の真実が通じたなと思って、奥様きれいなお肌ですね。なんてお世辞言いながら、背中を流して、
そしたら、向こうの奥様も、うちの主人ははしごが好きでしてねえ、あっちこっち飲んだあげくに、暫さんに寄って帰ってくる。
でも最後に寄るところが、奥様のようなこんな清い方のところで過ごして帰るんで、もう私も安心です。奥様、これからもうちの主人をよろしくお願いしますって。
私をね、もういらないわよ、汚らわしいわよって言った人が、そう言ってくれましたよ。
ここのとこですよね。人間はこっちで真実にぶつかれば、いつかはわかるときがくるんですよ。
ところがこの話を出版社にしたら、「いやらしい」って言う。そんな何回も何回も裸でもって、大勢の中で、お背中流しましょうと、
結構ですよって言われても、それでもまた流しにいったって、もうそれはいやらしいよって、こういう解釈なんですね。
それを昨日、出版社のほうに、管長がその部分のことで言いに行ってきたらしいんですよ。それで、あなたも僕も同じだと、僕もそういう場面っていやらしいって思うかもしれないと、
でも最後、会長に頭下げて「うちの主人を、奥様よろしくお願いします」と、そこまでやったその根性がすばらしいんじゃないかと、
ただ道中、途中の姿勢を見ていやらしいよと、そんな考え方してるのが永井さんや僕なんだ。一般の人間はそんな考え方しかできないんだと、
ところがそこまでやり抜いた会長、もうこりゃあ神様だよ。普通の人間にできるかよ。
大勢いる中で何回も何回も何回も恥かかせられてね、最後にとうとう相手から感謝されるようなとこまで行けるかよ。この辺が違うんだよ。
その辺のところをね、この本の中にもう少し匂わせてほしいんだよ。僕もあんたと同じ感覚だろう、普通の人間だからと。
うちの会長だからそこまで自分ってものを引き下げて、そして相手に真実をわからせた。これはもう神様というほかないじゃないか。
こういうことを世の中に知ってもらえば、世の中の人間がどういう姿勢を作ったら相手に真実がわかるかと、いうことを教えることができるんじゃないか。ここがすばらしいんだよって言ったら、
言われてみればそうかなあ…そうだねえ…その格好だけを考えてたらいやらしいと取ってたけど、その行為たるや相手を反省させたんだ、相手に真実をわからせたんだ。言われてみればそうだなって、やっと納得したんだよ。今聞いてきたばっかりだから。
私も、あっそう、よかったねえと、
うん、おふくろの心境がわからないから、もう喧嘩になっちゃったんだ。あんたも僕も凡人なんだ。わかんないんだよね、僕もそう思うよと。
だけど、うちの会長のやってきた行いっていうのは、たとえばグラマン機にハンカチ振ったって、自分が助かりたいからハンカチ振ったんじゃないんだよと、
まあ、私のそのときの気持ちは、もう誰にもお別れを言う人がいないから、最後アメリカさんしかいなかったから、ま、振ったんだけれども、
その行為たるやね、相手が私を撃たなかったわけだ。そうすると相手が人を殺す行為ってものを止めたわけですよ。
殺人する行為っていうのは敵であろうが味方であろうが悪いですよね。その悪い行為を、ハンカチ振ったために、会長は止めたんだよ。
相手に悪い行為をさせなかったんだよ。これがすばらしいんだよって、その話をしたそうです。
そういう視点から会長の本を書いてくれなけりゃだめなんだよと、ただ上っ面だけ取っていやらしいだの、自分が助かりたいからハンカチ振っただの、そんな考え方でいる会長じゃないんだ。
だからすばらしいんだ、だからみんながついてくるんだよって、管長がきのう盛んに話したそうですよ。
そしたら、言われてみりゃあそうだねと、うーんなるほどねえって、やっと相手もわかって、だいぶ反省してたみたいだよ。っていうことなんですよね。
じゃあ今度は私の考えてることが、その本の中にも入ってくるかね。うーん、よかったって言って、今そういうことの話で遅くなってしまって、みなさんを待たせちゃって、ごめんなさい。
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