1.歌詠みをとおして P.1/5
昨日は品川で、今日は広尾ですね。とにかくズーッと続いてますね。
今日は高速道路が、わりに渋滞していて、だからここへ来るのに2時間かかりました。それで遅くなってしまって、皆さんが鎮魂やってる時間に着いたんです。
その車の中でいろんな話が出ましてね。それで、私がわりに歌を作るのが、別に習ったわけじゃないんですけれども、スッとひらめいてくるんですよ。
それで、そんな話から、去年は芭蕉の100年祭ですか。あったんですね。それで芭蕉物語やら、いろいろありましてね。
そこに私が、うーん、一昨々年あたりに、東北の蔵王に、実は行ってるんです。その時の運転手さんが、芭蕉の会に入ってる、とても歌が好きな運転手さん。
そういったことから、私は別にそういう歌の会に入ってませんけれど、でもやはり好きなんです。自然が好きだから、自然イコール、やはり歌で出てくるんです。
だからそんな話から、昔の人は殿様でも何でも、辞世ってものを必ず偉い人は残していきますよね。
あの辞世はどういう時に作るんだろうか、なんてね、いろいろそんな話をしながら、浅野内匠頭の辞世のことも話して、
やっぱりどうなんだろうと、ああいう辞世を必ず残していくけど、それがまあ、そういう偉い人たちの、なんていうのかな、立場の形なんでしょうねえ。
たとえば、もう死ぬってことがわかってて、そして自分は死ぬときの辞世を残す。
そうすると、その辞世をお腹を切るちょっと前っていうのに、果たしてできるかしら、とか
どうです?皆さん、おそらくそんなこと考えないでしょう。私、いろんなこと考えるんですよね。
あの、これは私の考えなんですけれども、結局もう死が決まったときに作ってるわけですよね。
ああいう歌を作るには、なんていうのか、やっぱりある程度、死ってことを、その状態は、忘れるんじゃないけれども、歌作りのほうに心がいってますよね。
歌を作るほうに心がいってるってことは、この自然の中に自分の心が行ってるんじゃないかなと、だから歌ができる。
そういう状態が、もうどうせ死ぬんだという気持ちの中に、そういう時間ってものを設けられるってことは、私やっぱりすばらしい死にざまだなと、思いましてね。
それで、そんな話から、とにかく昔の人は、すべて会話も歌でしてるんですよね。
やっぱり昔は、なんかこう、絶えず自然に親しめる、要するにゆとりのある生活があったのかなと。
ところが今の人はそうじゃないでしょう。どっちかっていうと、この生活に振り回されて、ゆとりっていうのがないんじゃないかな、そうじゃないですかね。
だから昔のほうが豊かだったんですね。こんなに科学や医学が発達してきてるのに、昔よりも今の人の方が、心がとても、なんてのかしら、さもしい状態になってるわけですよ。貧しい状態になってるわけですよ。
だからその辺で、とても矛盾を感じるんですけれども。じゃあ人間は何が本体なのかと、科学や医学がこんなに発達してきてるのに、心は貧しくなってる。ちょっとおかしいですよね。
そんなに医学、科学が発達してない状態の時のほうが、非常に心が豊かであったんじゃないか。
だから平安時代、光源氏の、あの物語にもありますよね。会話を絶えず歌で交換してる。すばらしいですよね。
ああいう歌で会話を交換してるということは、相手の心の中まで入りこまなければ歌はできませんよ。
相手の意志ってものも、ある程度わかってないと、自分の意思を相手に伝える、そういう感情ってものは、私、歌に出てこないんじゃないかと。
絶えずそういうふうに昔は相手さんの心の中にまで入りこんで自分の意思を伝えようとする。
まあ何回も繰りかえすように、結局非常に生活にゆとりがあったんだろうなって思いますね。
今の人は、この歌詠みを別にしてですよ。相手の心の中に入りこんで、お互いに話しあったり行動しあったり、できてるのかしら、どうでしょう。
やっぱり自分の考え方だけを主張して過ごしてるから、相手さんにしてみれば、そうじゃないんだよ、そうじゃないんだよって心の中で叫びたい気持ち。
たとえば今私が本を出そうとして書いてる原稿でも、とにかくわかってもらえないんですよね。
というのは、相手さんが結局、今の人ですね、現在の人。今も管長 (ご子息) と話してたんです。
管長や嫁さん、その辺あたりは、もう生活してるから、私っていうものを十何年見続けてきてるから、わかってくれてるんだろうなあと思うんです。
私と生活しない人間、それで今様の人間ね、そういう方々から見ると、私の話っていうのは、普通の人はそう考えないんだけど、やっぱり頭でっかちになってるのかなあと、
この方は慶応出てるんですけど、だからそういう解釈になっちゃうのかなと思ったりするんですけれども。
たとえば私がグラマン機にハンカチを振るところとか、それとか、これは新しい人は聞いてないと思いますけれど、私はかつて若いときに、まだ31ぐらいのときかな。主人が仕事に失敗しましてね。飲み屋をしていたことがあるんですよ。
「暫」って名前をつけて、あの歌舞伎の「暫」ね。私はあそこが好きなんです。それで「暫」って名前をつけまして。
だからお客さんも、しばらく、しばらくって言って入ってくるんですよ。ね、風流でしょ。
それでうちに来るお客さんで、会社の社長さんなんですけど、私その時は二葉町の三軒道路ってところに建売住宅を買って構えてたんです。
そこで飲み屋をしたんです。
その前に小松川のほうにすばらしいお屋敷みたいな家を持ってたんだけど、もうすっかり倒産しちゃって、主人が私が反対してもやる、またやるっていうんで、それが絶えず裏目裏目になっちゃうんですよね。
結局家屋敷を売るとこまでいっちゃって、主人は新興の日本社っていう出版社の専務だったんですけど、その頃ロマンスっていう本が出てたんですよ。今の若い人たちは知らないと思いますけど。
そのロマンスって本を北海道とかいろんな所へ発送してたんです。そのうち新興の日本社が何だか思わしくなくなってきて、もう潰れるなって思ったからね。
あの、小松川のお屋敷のときに、主人がちょっと無理して買うと、だから私は、これはあなた、そんな借金までするんじゃ、って言ったら、
でもおまえ、借金も身の内だよ。ってこういう考え方なの、うちの主人はね。
借金も身の内だって言ったって、それが返せれば身の内になるかもしれないけどね、返せなかったら困るじゃないのと思うんだけれども、うちの主人はものすごい太っ腹なんですよ、考えなしの。
それで結局失敗しましてね。でも私は失敗っていうの、なんとなくわかってたんだけど、
あなたがたは昭和の女ですよね。私は大正の初めの女なんですよ。そうすると大正の女ってのは非常に封建的に育てられてるんですよね。
だから嫁しては夫に従えっていう感覚が強いの。間違ってるんだけどなあと思いながらも、やっぱりしょうがないや、主人がああ言うんだからっていうんで従っちゃうところがあるんです。
で、結局失敗しましたよ。だからその失敗の前に、潰れる前に、
あなた、この会社潰れるんだから、今のうちならどこでも拾い手があるんだから、そっちにあなた行ったらって、
ロマンス社は相当あなたをかってるみたいだから、ロマンス社のほうへ変えたらって言ったら、
そんなことできない!って。相変わらず昔の人間ですよね。
何故かっていうと、専務っていうのは昔で言えばお城の家老職だ。家老職がお城がだめにならないうちに退散するかと、
会社が潰れたその残務整理までは絶体にやめられないんだって、自分で決めちゃってるの。
残務整理までしてたら、それからどこか勤めようとしても使ってくれる人がないわけですよ。
それで、それからというものはズーっと失業。三年間も失業でお金一銭も入らない。だから大変だったですよ。
それでその小松川の家屋敷は、主人が借金も身の内だって言って買いましたからね。その借金があるから、その家を売らなきゃ返せないでしょ。
それで家を売って返して、そのとき私いろいろ持ってたんですけどね。そんなのもみんな売っちゃって、それで二葉町の三軒道路ってところへ行ったんです。
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