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使命感   1990年9月23日

  

1.自分の使命感に集中する              P.1/5

2.幼稚園 盆暮れのあいさつのこと           P.2/5

3.小学校での問題のこと               P.3/5

4.ある大学生を弁明したときのこと          P.4/5

5.神様からいただいた神心の信念を持ち続ける     P.5/5

1.自分の使命感に集中する      P.1/5

先日、宇宙を研究してる立場の方のお考えを聞いておりましたけど、宇宙ということを徹底的に追及してみるのも、とても面白いかなと思いますね。


でも宇宙を別のことと考えるのではなくて、結局最後はひとつと、いつも私は思うんです。


だから私の場合は、皆さんに人間とは何であるかということを、まず考えてほしい。


というのは、私が天之御中主大神様からのお達しによって、指導していきなさい。おまえがそういうお役だよ。といただいていますけど。


よくよその霊能者は、私にこういうふうな神示が出て、これで私がって、まあバカにしかつめらしいことで、皆さんに話す。そういうんじゃなくてね、


私はソフトに自然にスッと感じを受けさせていただいて、それで人間というのはこの世の中に生まれてきて、それぞれの立場での使命感があるんじゃないかと思うんです。


そういう意味で、私は私の使命感というものを、最後にわからせていただいて、ホントにありがたいと思ってるんです。


人間というのは、その使命感を持ちますとね、どんなことが起きても、その使命感に集中する心を持ってるとね、必ずあらゆることがみんな浄化されてしまうんです。


ここがね、なんて言ったらいいんでしょうね。この力とでもいうか … そこに力が生まれてくると言えばいいでしょうか。


漠然と物事を考えていた時には、非常に自分が窮地なところに陥った時には、徹底的に動揺すると思うんです。


だけど使命感というものを持っていると、その大きな事件や出来事、いろんなことがあっても、その自分の使命感ってことに集中して、それによって活かされてるんだということを考えた時、


案外そんなに重大に考えなくてもいいような、そんな心境を作らせていただくんです。だからやっぱり人間というのは、その使命感が徹底的に必要じゃないかな。


ただ何となくこの世に生まれてきて、何となく生きてたんじゃ、いろんな事件が起きるたびにね、


自分一人の力では、どうにもしょうがないので、いろんな所を尋ねて、そこの先生に頼っていれば守られる、救われるというような、


結局自分に一つの目的もなく生きてるから、何か事件が起きるたびに、安心感を求めていろいろさまようんじゃないかと思う。


だけど使命感というものを持ってると、それが一つの安心感というものを持たせていただけるんです。


そういったことで、やっぱり使命感を持つってありがたいんだなと、つくづく最近思わせていただいております。


とにかく、世の中が、人類が、だんだんと追い込まれてきています。


そういうところへ来ていて、あたふたと生きていくよりも、最後まで物質、肉体、これがなくなるまで、自分の使命感で貫いたとき、


その使命感は、私は肉体にとらわれない、要するに魂の次元の心だと思うんです。


だから肉体がなくなっても、その心境というものは持ち続けていけるんじゃないかなと思うんです。


だからやっぱり使命感というのは、素晴らしいなと、思わせていただいてるんですけどね。


私は別に宇宙の研究家ではないですけど、神道の神様、天之御中主大神様がおさがりになった。というと、やっぱり生活全体を見つめて、何か中心というものが必要じゃないかなと、中心がなかったらぼやけてしまうと思うんです。


たとえば、社会生活や自分たちの身の回りを見つめても、国を見つめても、やはり必ず中心というものはあるんじゃないんですか。中心も何もないで漠然としてるということはないと思うんです。


やはり中心を意識するということは、とても大事じゃないかなと思います。漠然というよりも、中心ということを考えることはとても必要だと思うんです。


その中心ということを考えた時にね、やはりいろいろな人間の規律ですか、そこに倫理観というものも生まれてくる。中心がなかったら倫理観もなくなってしまうんじゃないかなと思う。


やっぱり人間、生きる以上は、生かされる以上は、里の行をする以上は、その倫理観というものを絶えず頭に置いていないと、正しい歩みはできないんじゃないかなと思わせていただいています。


とにかく神様の世界、要するに魂の次元の世界と、この物象の世界の倫理観というのが、ちょっと離れてるんですよね。


それで非常に神様中心に考えてると、この倫理観で歩む人というのは、過去を振り返っても、ずいぶん苦しい所に追い込まれてるんです。


でも、その人たちというのは、決してそれを苦しいと思って、世を去ったんじゃないと思いますよ。


あくまでも自分に与えられた使命感を貫いて、その使命感の元に倫理というものを築いて、そしていかれてる方々だと思います。


お釈迦様にしたってそうだし、日蓮様にしてもそうですね。やっぱり魂の次元で世の中を見つめた時には、そこに使命感というものを持った考え方で行けば、


人間としての倫理観を持って、最後まで物質にとらわれない、肉体人間の自分にとらわれない、そういう生き様ができる。

これは私の、別に勉強も何もしないところの、なんとなく感じとった生き様ですけどね、そういうことが必要じゃないかというね。


皆さんがそういう心を作るために、霊照会の門を開かせていただいて、浄霊祈願とは先祖が悪い想念を消す作業だとか、


鎮魂とは自分の魂は神様からいただいてる分け御霊であるから、神の子であることを自覚して、神の子であるところの魂の復元を考えなさいよとお話して、それをお勧めしてるわけですよね。


そういう訳で、物象の世界での生活状態は消えてく世界。だけど心を司るとこの魂、これは消えないんです。永遠不滅です。


そうすると永遠不滅である、その己というものが、一つの使命感というものを持って生き続けていくと、やっぱりそれは永遠不滅の魂の次元の生き様になっていくんじゃないかなと、思わせていただいてるんですけどね。


今言ってることが、皆さんにわかってもらっているかどうかなと思って、独りよがりで言ってる話に聞こえてしまうかなと思うんですけど。


まあそういう訳で、この世の中にはいろんな矛盾がいっぱいあるわけです。

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