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本当の幸せ感  1988年12月4日

  
  1. 本当の自分を高める -鎮魂-    P.1/6
  2. みんな不可能のない人間になれる、素晴らしいものを持っている  P.2/6
  3. 管長先生お話          P.3/6
  4. 会員 前田さんお話       P.4/6
  5. 会員 安田さんお話       P.5/6
  6. 人の幸せを願う時の心境     P.6/6

6.人の幸せを願う時の心境     P.6/6

三上さん!こちらはね、ちょっと霊的なものがあって、以前ちょっと、ある先生のところで、お弟子さんになって、人の指導をしてたんだけど、


相手がよくなるんだけど、自分はどんどん落っこちていっちゃうと、うんと悪くなっちゃうということでね、それで、私の門、叩いていただいたんですよ。


結局これはね、相手がよくなって自分はどんどん落っこっちゃった。っていう意識になるから、落っこっちゃうのよ。


三上さん、今だから言いいますよ。


悪くなってもいいじゃないですか、相手がよくなれば。そういう心情になったらどうかなあ。私はむしろそんな心情です。


極端な話が、相手の罪を背負って、相手がよくなって幸せになって、自分が大変になりゃあ、それはそれでいいんだと、いうくらいに。


そういう心になんなきゃ、人を助けられないよ、三上さん。そうでしょ。相手がどんどんよくなってんのに、俺が悪くなっちゃうんだっていうんじゃ、人助けじゃないじゃないの。


人助けっていうのは、相手をよくして、自分は悪くなって結構じゃない。これが人助けじゃないですか。そこまでの心境になっちゃうと、神様は悪くしないよ。神様が今度は放っとかないよ。


その心境に、三上さん、これから切り替えてよ。それで一生懸命ここで修行してください。ね、一緒にやりましょう。


とにかく、あなたはそういうふうにさ、人を導いた経験もあるんだから、やっぱり少しでも人を幸せにすることを考えていかなくっちゃ。


人間ってのは、お互いに人の幸せを願うこと。そのために自分がどんどん落っこったっていいじゃないの。自分の身がなくなったっていいじゃないの。


そこまで徹して考えてごらんなさい。そうすると必ず、今度は神様、放っとかないから。その心境を作れば、私は素晴らしいと思う。


ま、悟りと言ったらおこがましいけど、そこまで行くと悟りになるでしょうね。


そこまで行ったらどうかしら、今度はね。いいじゃない、落っこちて、結構じゃない。それぐらいの心境になったらどうでしょうね。


私はこの道に入ってきた時に、私のお友達が、その方も霊感があるんですよ。それで神様を祀ってて、何人かを霊感でもって導いてたわけ。


ところが、そのお友達は、高橋信次さんのところへ行って、そしたら、あんた、そんなもの祀って、そんなのは動物霊なんだ。今に動物に落ちちゃうよ。


それこそ霊界に行ったら、地獄へ落ちるって言われたって、だから私ね、すっかり神棚たたんで、今はもう一切そういうことしないのって、こう言ってたの。


鶴田さんは?って言うから、私、してますよって言ったら、


あなた、地獄へ落ちるらしいわよ、大変らしいわよって言うから、ああそう、私、地獄へ落ちる覚悟でやってるんだからって、その時は言いました。


そしたら、相手は黙っちゃいました。地獄へ落ちる覚悟でやってるって答えじゃ何も言えないもんね。それも無理じゃないの、自然なの。


その覚悟でなくちゃ、そこまで自分を捨てきれなきゃ相手を救うことできるはずないじゃないの。


人間が人を救うってこと大変ですよ。神様が救うってことはいいけども、そこにね、やはり神様の救ってくれる神心を、人間は起こさなくっちゃ。


そのためには、相手が幸せになって、自分は不幸になるんなら、それでいいじゃないかと、そこまで自分ってものを投げた時に神様は救ってくれるんだと、私は思う。


だからそういうふうに言いました。地獄に落ちるのいいじゃないのと。私はそれを人助け始めた時に、自分は正しいことやってると思っても、神様から見たら、間違ったことやってるかもしれないこともあると思う。


その時はいつでも地獄へ落とさせていただきましょうと、そのくらいの心境でね、ホントに自分を捨てて、この道に身を投じてやってるんだから、


自分は不幸でもいいじゃない、相手が幸せになってくれれば。自分の幸せは相手にあげたっていいじゃない。そしたら、もう相手は何も言わなかったですよ。


一年経ったらね、鶴田さん、まだやってるの?って、やってますよって言ったら、あなた、やっぱり偉いねぇって言うから、えっ?って言ったの。


私ね、すっかり騙されちゃったと。高橋さんのところ一生懸命行ってたんだけど、なんか、あそこもちょっとおかしいよ。言うことと、やることとが違っててね、私この頃、なんかいやになっちゃったって、こう言ってるんですよね。


だから、心を作ってないの。形だけ作ってね、相手の悪い面を見て、今度はいやになっちゃったって言ってる。


どうせ高橋信次さんを信じたんだったら、とことんいい面だけ見て信じりゃいいのに。そしたら自分も浄化されるんですよ。


ね、悪い面を見るから、あなただめなの。だから私は皆さんにも言うの。


創価学会なら創価学会入ってたっていいの。そこで自分を作るのも結構なの。


創価学会行ったけど、よかねえとかね、どこそこ行ったら、こっちの方がいいとかね、そういうこと言ってる自体が、もうすでに信仰とはずれてるの。


信仰っていうのは、自分ってものを幸せにするのは、神様が宿っていただく心を自分で作るんだよ。そうじゃないと、神様宿ってくれないの。その心さえ作れるところであればね、私は別に宗教はどこでもいい。


というのは、神様は己の中にあるんだから。その己の中にある神様が活動していただければ、どこにいてもそういう自分を作っていけばいいんだから。正しく導く方がいれば、なおいいけれどね。


だから、自分の中に神様、はっきりあるということを自覚してね、それには自分がそういう姿勢を作んなくちゃいけないんだと、いう考え方を持たないと、


だから弟子には弟子の姿勢ってのがある。教える立場は教える立場の姿勢ってのがある。


これをよくわきまえて、そして、もし自分たちが、まだ弟子の立場の時は、徹底的に弟子の姿勢を100%までに自分ってものを築いていこうと努力すること。


そうすると神様が、たとえば先生と弟子と、どっちを神様が手を差し伸べるかっていうと、先生ですよって、そうじゃないんですよ。


平等なんですよ。ただ先生っていう役柄、お弟子という役柄なんです。神様から見たら全てが平等なんです。


その役柄を弟子として、いかに完全にできてるか。先生として、いかに完全にできてるか。これで神様が手を差し伸べる。ここのとこなんですよ。


だから私は今、皆さんに教える立場だから、どういう心を作っていかなくちゃいけないかと、今言うように、とにかく自分が苦しんでも相手が幸せになってくれりゃいいなと、そのくらい自分を捨ててかからなければ、人の幸せ、願えるはずないでしょう。


おこがましいじゃない。そのくらいに考えてますよ。だからすべてがありがたくなっちゃうんですよね。ま、ひとつがんばってください。皆さん、お願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

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