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守護霊になれる人
うちの会員さんがお友達を連れて来られてね、その方は、他の霊感の先生のところに行ってるんだけども、ここで行を受けて、
おまえんとこの修行は、手が痛くなったり、足が痛くなったり、あんな大ごとのことは、うちの先生はさせないよって、こう言う。
その先生は、私にあなたの守護霊がお下がりになりましたと言って、その守護霊さんが、もう疲れたころになると、もう横になりなさいって言ってくれるんだって。
守護霊だから、やっぱり本人をいたわる気持ちがあるんだから、あんな手が辛くなったりとかするのは、守護霊さんはさせないって、それが本当なんだって、こう言ってるのね。だから信じるってのは不思議なもんだね。
私が霊的に教えられてることは、やっぱり守護霊になる方は、ある程度、生きてる時に少しでもよいことをして、人のお役にたった方とか、そしてなおかつ、とにかく守護霊って、人を守るわけだから、やっぱり神様から認められてる人じゃなきゃ、守護霊になれないわけですよ。
やっぱり人生でもってね、すごく辛い行をして、その辛い中で、負けないで、それを貫いて、あくまでも正道な道を歩んできた人、これは人を守護できるわね。
うんと苦労して、その苦労に負けないで、貫いた人ね。それだけの霊体を持ってる人だったら守護霊になれますよね。
だけど、うんと苦労して、その三次元の物質の世界に負けてしまって生きていくこともあるわけでしょ。そういうのは、やっぱり私は守護霊にはなれないと思う。同じ苦労をしてもね。
三次元の世界って、神様は我々の魂の次元を、苦しませるために授けたようなもんなんですよ、はっきり言うとね。
その苦しみの中で、果たして神様の心を持ち続けて、最後まで貫くかどうかってことを、神様は見定めてるんですよね。
だから、その辛い行の中でも横道にそれないで、あの五つの心ね、それを最後まで貫いて持ち続けていける人間であれば、こりゃあもう守護霊に、まあ神様は許していただけるでしょうね。
神様から認められなければ守護霊になれるはずないじゃないの。その辺のところで、向こうの行者さんの教え方も、先生の教え方も、ちょっとどういうふうに、ま、本人に会ってみないとわからないですけどね。
で、皆さんの場合は、修行だから、苦しいことをやってのけて、それで初めて自分の霊体が高まるんだなっていう気持ちで、鎮魂なさってるんだろうと思いますよ。そんな楽な姿勢で霊体が高まるはずないじゃないですかね。
だから結局、守護霊さんってことで、それを誘導してるんだけど、一般の人は、守護霊っていうと、弱いんですかね。どうなんでしょう。
守護霊さんっていうと、すごく自分を守ってくれる神様、その人の命令だから信じられると、いう考え方になっていくのか。その辺が、私は私で、皆さんに教える、けれども教えられる立場でもあるし、だからどう思います?
別に、それをけなしなさいって言ってるんじゃないのよ。私、ちょっとその辺に疑問を感じるんで、皆さん、その辺はどう思いますか?って聞きたいんですけどね。
どう思いますか?高田さん、どう?
初めてでね、自分の守護霊さんって言われれば、やっぱり信じちゃうと思いますよね。
やっぱりねえ、守護霊が言ってくれるんだってことでね。怖いねえ。
あの、僕なんかは先生に最初に会った時に、やっぱりこの人は本物だって思いましたから、
言われたことは、もう、信じますね。で、自分の守護霊さんがって言えば、やっぱり信じるかもしれませんよねえ。
その先生は、私にあなたの守護霊がお下がりになりましたと、そこで言うんだから。そうすると、自分の守護霊が下がった。その守護霊が言うとおりに、先生は言ってるんだと思うから、あ、ホントだと思っちゃうのかなあ。これ、とんでもないことだよね。
だから私、それ聞いてね、しかしそれを信じてる人に、違うんだよって言えば、なお反抗的になっちゃうしね。だから言わなかったけれども。
でもこの間は感応講座に来てたから、遠回しに言ってみたんですけどね。どこまでわかったかなと思っているんですけども。
でも、出版パーティーの時は、一生懸命お手伝いしてたから、やっぱり私のことも信じてるんだなと思いましたけどね。だから、この人をとおして、またいい勉強をするなと思っているんだけど。
そうすると、先生なんか、ずいぶん苦しんできて、じゃ、守護霊さんが悪いのかしらって解釈になってくんだよね。あの本を読んでみて、わかるでしょう。すごく苦しんできたんだから。
だから守護霊さんの次元が高くないから、苦しんできたのなって、なると思いますよ、大雑把に考えると。
じゃ、苦労したら、守護霊になれないんじゃないの?って言葉になるけど、でもその苦労を克服したわけでしょう。
苦労があったから、自分ってものの完成、ま、完成ってとこまでいかないかもしれませんけども、でも完成に近づいた心を持てるようになったから、人に指導ができるようになったんじゃないかなって、私は思わせていただくんですよね。
この間の出版パーティーの時だって、野村監督の最初のあいさつは、普通の儀礼的なものだったの。ところが、私があの時に長々とお話したその後、最後に野村監督が、もう一度舞台にあがったことがありましたね。
その時は、まるっきり儀礼的なあいさつの言葉じゃなかった。非常に感激したあいさつだったんですよね。だから、私のあの話を聞いて、あっと感ずるところがあったんじゃないかと思うんですよね。
だから、そこのとこですよね。どんなに苦労しても、それに打ち勝って切り抜けた人。こういった人が、やっぱり人を導けるんであるし、また守護霊にもなれるんじゃないかなって、私は思わせていただいてるんですけどね。
だけど、何回も繰り返すように、苦しいから、絶えず助けてもらいたいばっかりで、過ごしてしまうことが多いんじゃない?
私は歳だから、余計考えるのかもしれないけどね。おそらく皆さん、今現在まだ若いから、死ってこと、あんまり考えないと思うんですよ。
だけど結局、所詮人間は、この世から去っちゃうの。50年も経ったら、ここにいる人は、みんないなくなっちゃいますよね。
だったら、この世に生きてるうちに、やっぱり己を作るってこと、とても大事じゃないかなって、私は思うんです。
それで死ぬ時にね、満足にこの世を去っていける。丹波さんのあの本じゃないけど、死の凱旋門くぐる気持ちね、そんな自分を作った時、死ぬ時に初めてさわやかな気持ちで死ねるんじゃないかなと思うのね。
だから三次元は、物質を求めて苦しい中で、果たして神様の心を持ち続けて、最後まで貫くかどうかってことを、神様は見てるんですよね。
この世を去る最後の時は 「ああ、これでよかったな」という気持ちで
私ね、食べる物も1日1回につめたくらい苦しかった時があって、とにかく生活するためには、一日着物2枚縫ったこともありますよ。
それでも私、横道それなかったんですよね。振り返って考えてみると、普通だったら、そこまで物質の苦労をさせられたら、とっくに離婚してますよ。
それとか、私は3歳の時、女親に死なれて、あとは継母でしょう。そうするとね、愛がないの。自分の我が子を愛するような愛がないの。継母ってのはね。
それを二人も私は貫いたんですよ。その辺で不良少女になってますよね。それで、まあ家を飛び出して、今どういうことしてたかなと思うの。今の私がないわけよね。
でもその中で、私は不良少女にもならないでね、いろいろ、そりゃ、悩んだんですよ。もう自殺したくなるような思いもしたしね。
ホントにこの世の中が、いやになってしまうような気持ちも、ずいぶん味わいましたよね。
だけど、その時いつも考えることは、私がそういうことしたら、あとに残ってる…っていうのは、継母ですよ。あんまり優しくしてもらわない継母とか、父親に対して、迷惑かけるなあって、気持ちを持てたんですよね。
ホントにおかげさまで、ありがたいなって思うのは、その前世からの魂の次元が、やっぱり違うのかなって、今は思わせていただくんだけども、そういう絶えず愛のない生活を子どもの時、してきてますよね。
だから、幼稚園に通ってる子が、帰ってくる頃になると、お母さんがお向かえに行くのね。その後ろ姿を見てて、子どもの手を引っ張って家へ帰るでしょう。
ああいう姿を見て、私はあのくらいの時、そうだなあ、夜は押入れ入って寝てたかな、誰も布団敷いてくれる人がいないし、なんてヒョッと瞬間思い出しましたよね。
だけど、そんな苦しい思いをしたにもかかわらず、やっぱり人間としてね、いろんな辛い苦しい行をしながらも、その中で戦って、それに負けないで、神様が与えてくれた禅道の道、要するに悟りの道ですね。
それを歩んできたなればこそ、私は今、皆さんの痛みもわかる人間になれたんですよね。
もしそういう苦しいのがいやで、避けたらば、おそらく今の私はないでしょう。
だから、自分の教えてくれる人というものは、ホントに正しい教え方をする人を選ばないと、自分では神様を信仰してる、神様のおかげだと思いながらも、とんでもない間違った道を歩んでるかもしれない人もいっぱいいるわけでしょう。今のこの中にね。うちじゃないですよ、私が言うのは。
日本中、また世界中を尋ねても、霊能者がいっぱいいるけども、果たしてホントに禅道してくれてる人が何人いるかなって思うと怖いですよね。だからこんな世の中にもなったのかなと思ったりしますけどね。
私、これ、自分を売り込むために言ってんじゃないの。ホントに自分が歩んできたからこそね、私はどの先生にもかかってません、はっきり言って。しいて私が先生と呼ばせていただくのは、神様ですよね。
私は神様の道っていうのは、どんなに苦しくてもね、道を外しちゃいけないなってことが、絶えず心にあったわけです。
だから、どんなにいじめられた周りに対しても、やっぱり恨んではいけないな。絶えずそういう心を養いましたよね。
だから振り返ってみれば、そういう心が自ずからできるっていうのも、私には高い守護霊がついてたのかなって思いますけど。
どんなに辛い思いさせられても、親を、継母をね、怨む気になれませんでした。それで今があるわけですよね。
で、この間の出版パーティーね、私が長々とお話したその後、野村監督が、ぜひ私に会いたいっていうことは、何か感ずるものがあったんだと思う。
だから人間は嘘でなく、本当の真実にぶつかった時の、その表現ってものは、やっぱりどなたもホントの物を持ってるから、その琴線に触れると、この人だったらわかるだろうっていうような心境になっていただけるのかなあって、つくづく思いましたけどね。
だから皆さんにも、そういう気持ちでね、私は毎日、お話させていただいてるつもりなんです。
さりとて、今皆さんは、じゃあ先生はみんなをホントに幸せにするために、一生懸命自分の体験を活かして、皆さんの幸せを願ってるんだから、苦しまないで済むだろうって言うかもしれないけど、
ところがそういう人間っていうのは、最後まで苦しむようにできてるのね。つくづくそう思います。でも私は、ジーッと考えてみると、その苦しみに負けませんよ、はっきり言うと。
だから最後まで私の人生っていうのはねえ、もう死ぬまで一人ぼっちの人生かなって思う時、多いです。
でも、ああそうか、私には神様いたっけなって、また思いなおすことができますけどね。神ってものを絶えず心の底から信じてるから。
だからうちのお弟子さんの中にもね、この人に立派になってもらいたい、なってもらわなきゃ困るって人に、今現在、私は相当厳しいことを言ってます。
その方が後退するような雰囲気あったから、とても恐れてるから、人間、恥かいて、進歩があるんだから、どんどん恥をかきなさいって、言ったりする。
それはその方のことを思うから、もっと進歩してもらいたいなあって思うから、私は言うんです。
自分の過去、歩んできた道を振り返ってみると、そんななまやさしい人生じゃなかったからね。だからそんな甘ったるい気持ちでこの世を去ったなら、結局は霊界行ってもね、低い次元に置かれる人間になってしまうんですよ。
そう思うから、ちょっと厳しいことも言ったりなんかして、今誘導させていただいてるますけどね。
わりに、まあ、苦労のない方、自分の親御さんがいて、ちゃんと愛してくれる人がいて、いたわってくれる人がいたら、やっぱり人間ってのは、のんびりしちゃうのね。
その辺で、親御さんは自分の子供で、ホントに心からかわいいから、どうしたって子供の方は、やっぱり甘えができますよね。で、のんびりの子ができちゃうわね。
だから考え方によると、私みたいに、ホントに自分を支えてくれる者が、人間の中に誰もいないっていうのが、むしろ神を信じる心が強くなって、私は幸せなのかなというふうに、自分は自分でね、皆さんと同じように、絶えず修行してるんですよ。
だからやっぱり人間は神の子として魂をいただいてるんだから、この人類の平和ってことを考えて、人間の進歩を考えて、その魂の復元に一生懸命努力しなくちゃいけないんだなってふうに、考えさせたいただいて、皆さんにご指導するわけですよ。
私は皆さんが、死ぬ時に、ああこれでよかったなっていう気持ちを残して、この世を去ってもらいたいと思うから、そういう気持ちでご指導させていただいてるんですからね。
まあ、それぞれ悩みを持ってるけども、持ってる中で、私にすがってもいいですよっていうのは、私の愛ですよ、これはね。
まあ、皆さんよりも、そういう心を作ってきたから、パワーもそれなりに高いものをいただくようになったから、私を頼ってもいいですよ。
だけども、己にも厳しくなんなさいってことを私は言いたいんです。どうかね、頼りっぱなしじゃなくて、なおかつ自分を作ること。これがとても大事なこと。
この両方で行って、神様から及第点もらえるように、この世を去る時に、霊界に地獄、極楽があるとすれば、
神様から、おまえはこっちに行きなさい。おまえはそっちって、地獄へ行く人間か、極楽行くか、その辺で差ができちゃうから、
どうか皆さんもがんばってね、あくまでも神様に認められた、この三次元の人生をね、私は送ってもらいたいと思うの。
それが私の神様に対する孝行だなと思って、皆さんに接してるんですけどね。
だからどうか、この世を去る最後の時に、ああこれでよかったな。私はホントに悔いのない人生だったな。そういう思いを残すような死に様で、この世を去ることを理想として、ご信仰してください。お願いします。頑張ってください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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