- 自然の間に間に委ねる P.1/5
- 正しいとは知識ではなく、実行して認められる P.2/5
- 三次元の世界は、もう終局に来ている P.3/5
- すべてに通じるパワーが身につく ― 鎮魂 ― P.4/5
- 元旦祭 / 伏見稲荷 P.5/5
1.自然の間に間に委ねる P.1/5
毎回、同じような話ですけれども、いつも申し上げるように、私の話は皆さまの心の糧のお話ですから、食事と同じですね。いつも変わりないでしょう。でもこれは絶対必要なんです。
心の糧がなかったら、いつかはだんだんね、皆さん自我の強い自分になってしまうし、鎮魂したあとで、やはり心の糧になるお話を伺うことが、なお一層に鎮魂の意義がわかってくるわけです。
なんていうのかな、はっきり言いますね。私のお話を聞いてる人たちの顔をジッと眺めさせていただいてるんですよ。
そうするとね、気のない顔してる人とか、本気になって聞こうかなと思ってる顔をしてる人もいる。こう、見てるとわかるんですよね。
結局、どうしてもこの教えを消化しないで、あなた方は毎日毎日の生活の中で、やっぱりその現象にとらわれて生きてるんじゃないかなと、だから、どんないいお話をしても、結局無駄になってしまう。
鎮魂もただここへ来て、惰性でしてる。真剣な心が、そこに全然心が入ってない。とにかく恰好だけ。形だけ。心はどこかに行ってるの。
そんな鎮魂をなさってる方々がいるんじゃないかなと、私にはそういうふうに見えるんですよね。それだとホントにもったいないですよ。
せっかく今日という、今の時間は二度とないんですよ。
そしたら今の時間ってものを、いかに活かしたら、自分ってものがこの世を去る時に、悔いのない素晴らしい人生で終わらせていけるか。真剣に生きる姿勢ってものを、絶えず自分を振り返って見つめることですよね。
そんな大事な時間をあなた方はホントに無駄にしてると私は見てます。現象にとらわれるうちは、まだだめなんですよ。
この手を合わせて鎮魂の行に入ってるから、魂が高まってるから、だから悪いことはないという考え方を持つ方もいる。
また鎮魂したって、悪いこともあるんだと、思ってる方もいるでしょう。
でも人生ってね、生活してる中で、そういうふうに、悪い、いいという現象にとらわれないだけの魂の次元になれたら、ホント素晴らしい、となるんですよね。
だけど、どうしても今の時点では、そういう毎日の生活の現象にとらわれてしまう。それがここへ来て、このお話が、そうですね、瞬間8ぐらいまでは聞けるかな。
だけど一旦うちへ戻ってしまうと、0にならないまでも、1ぐらいの感覚しか頭に残ってない。
まあ、魂の次元がある程度高まってる方は、うちへ帰っても5ぐらいまでの次元を保ってる方もいると思いますね。
だから、同じ姿勢を整えたって、日数を重ねたって、その時の真剣さによって、自分がいただく密度が違ってきます。
だから、惰性でやってる人、ホントに惜しいなというような生活ぶりをしてる人、毎日の生活の中で2度とこの日がやって来ない、その大事なこの日をね、まあ明日があるじゃないかと、いう考えだろうと思うんですけども、
明日あるだろう、明日があるだろうと言ってね、今日の悔いを残さないで生きてたら、結局はいつになっても魂の進歩がないということでしょ。
確かに明日はありますよ。だけど今日という日はないんですよ。だから今日というない日を尊ばなくちゃ。
明日があるさではだめですよ。今のこの一時が、ない時間ってことを、とても大切にすることをね、まず考えてみたらどうですか。
そしたら、あなた方が毎日の生活を惰性できなくなってくる。絶えず気を配って生きるようになってくる。そういう人間になれば、しめたものです。
そうすると、何事においても自分の思いどおりの人生になっていくんですよね。そこまでの魂の気配りのできる人間になれると。
それを私はホントに身を持って実感しているので、だからこうしてあなた方に口ずっぱく申し上げるんです。
だからどうかね、せっかくやる鎮魂でしたら、魂を一歩でも二歩でも三歩でも高めることに、徹底的に専念してください。
要するに魂を高めるということは、今言うように精神統一。私のところでは鎮魂といいますけど、精神統一というのは宇宙の神様と、要するに気、宇宙の大霊、とも言えますよね。その宇宙の気と自分の気がひとつになる時間を持つこと。
すべてが生命体が気で行われてるわけ。それを信仰では神と申します。神道では宇宙神、天之御中主大神様。
天之御中主大神様は、これはもう、古い方々はご存知だけど、私の場合はね、天之御中主大神様を知らない時点で、お祀りせよという神示を、今から30年近く前にいただいた。
それで、お祀りさせていただいてから今日があるわけ。その時点ではね、まだ神道はあんまり叫ばれてない。
今ここへ来てはね、もうどの予言者でも、たぶん外国の予言者もそうだと思いますよ。この神道の、神様のお力が、これからはどうしても必要な世の中になってきてると、いうところへ来たんですね。
私が「天之御中主大神を祀れ」とう声を聞いたその時点では、まだそんなには、叫ばれていなかったです。
あなた方、失礼ですけど、自分で計算して生きる人生を作ってるでしょう。でも私はそうじゃない。私は一生懸命励む変わりに、自然の間に間に委ねてる、私の生活っていうのは。
だから、天之御中主大神様を祀れという、その神示をいただいたということも、それまでの過程に、あなた方と同じように、金銭の悩みもしましたし、人間関係の悩みもしました。とにかく一家どん底まで行ったんですから。
そういう悩みの中で、自分がホントに、この見える三次元の世界の修行の道場で、あくまでも神様からいただいた魂の次元の心を、どこまでも持ち続けていくにはね、歯を食いしばるような思いをすることもあるんですよ。
それでも私は天之御中主大神様をお祀りしろという神示をいただく前、あなた方みたいに振り回されなかったから、とらわれなかった、はっきり言って。なすべきことをやりました。
そして自分ってもの、絶えず見つめてね、絶えず自分の反省。で、いろんな学校の問題やら、あらゆる問題を、私はその反省のうちに貫きましたけど。
そんな中でもずいぶん誤解を生じて、ずいぶん村八分されたりしました。
学校の問題では、とにかく誤解されて、口を出せば自分の立場が立つけれども、口を出したら学校側に迷惑かける。
学校側から頼まれたことですからね、悪い父兄が出たんで。あの父兄に勝てる人はあなたしかいないと、だからどうかね、学校側を大事と思ったら、あなた、役員受けてくれ。と、頼まれたわけです。
それで私は、ご承知のように、もうその頃は心臓が悪かった。医者から絶対安静って言われて、どうせ絶対安静で、いつ死ぬかわからない、治らないっていうんだったら、せめて生きてる間だけでもね、少しでも人のお役にたって生きたい。という心定めをしてました。
だから心臓が弱いから、もう冬になるとね、今年は生きられるかなと、必ず思う人生だったの。それで4月頃になるとね、あ、やっと1年、生き延びたわ。今年1年また生きられるなと。
暖かくなると、わりと心臓っていうのは侵されないんです。寒い時、まして風邪でも引けば、合併症でしょ。非常に苦しいところ、追い込まれるんです。それで肺炎をおこしたらいちころですよね。
まあとにかく器官もあまり丈夫じゃないから、心臓が弱いくらいですから、とにかく今年はもうだめかな、今年はどうもだめかなっていう、毎日毎日の繰り返しを何十年間続けてきました。
コメント