- 御祈願と先祖の因縁と自分 P.1/3
- ひとりひとり、みんな神様 P.2/3
- 一番大事な心 「素直」 P.3/3
ひとりひとり、みんな神様 P.2/3
それで私、ここのところずっと出ておりまして、昨日も日本協会に、そこの副会長をしてますから、最後の締めをいつもさせていただくんですけど、
うーん、昨日もね、いいお歳をしてる先生方、なんて言ったらいいんでしょうね。
今の世の中を憂いてね、こうしたらいいの、ああしたらいいのって、いろいろと議論が出てるんですよ。
そうするとね、まあ、日本協会の会長に言わせると、自分で書いて出してる本があるんですけど、その中にその理念が書いてあるわけですね。
そういうものを配ることによって、大勢の人が読む。それで、まあ人間の心が変わると、それも全然、理がないわけじゃありません。確かにひとつの理屈かもしれませんけれども。
で、結局、お金を作らなければこの運動はできないの、こうだのと、いろんなこと言ってるわけですよね。
話を聞いてると、そういうふうに絶えず物質的に物を考えて、世の中を何とか改革しようという考え方が、とても強いんですよ。
会長は相当神道を研究してる方で、日本の天皇制ってことを、とても尊ぶ、すばらしいお方なんですよね。
来てる方々も相当研究してる人たちなんです。だけどどうしても、全部この物質の世界にとらわれた理念で物を考えてるんです。
その辺がちょっと私、その先生方、すばらしい理屈を持ってて、持論を持ってて、三次元的に考えれば、とてもすばらしいことを、それぞれおっしゃってるんですけどね。
とにかく金を集めることだとか、とにかくマスコミが悪いから、なんとか正しく報道するほうに、徹底的に導かなくちゃいけないとか、言ってる。
確かに三次元の姿勢を見てれば、そういう言葉が出ますよね。今のマスコミっていうのは、とにかく視聴率あげればいいと、これも欲なんです。
だから、いつも申し上げる三次元の考え方、全部欲なんです、はっきり言うと。
そうすると、そのテレビとかマスコミを見つめる人のほうも、やっぱり三次元の世界から抜けきらない判断でもって、物事を解決しようとしてるんですよ。
そしたら若い青年が、なんでだか知らないですけどね、暴力のことを言いだしたんです。
その彼が言ってることは、暴力を悪いことに使うんじゃなくて、マスコミがそういうところに目をつけるから、ま、要するにお芝居ですよね。
そういう形をとることによってマスコミが注目すると、何もないとマスコミは注目しないと。
だからマスコミの目を向けるためには、やっぱりそういう暴力沙汰ってことも必要だとかって、すべてが非常にこの三次元の物質の世界の考えなんですよね。そういうことを私も黙って聞いてました。
それで、最後の閉会のあいさつで、もうだんだん時間が短くなって、充分話せなくて残念だなと思いましたけど、
私が最後に締めたことは、自分たちが、人の心を改革する素晴らしい新聞だ。だからその新聞を大勢に配って、少しでも人間の心を変えるっていうことを考えてると。
もうひとつは、マスコミを揺さぶるためには、マスコミが目をつけるようなことをすることだと。
そのためには暴力を振るって、とにかく事件を起こせばマスコミが目をつけるっていうわけですよね。
そのほうが現在の状況ってものをいい方に変えることができるんだというようなことを、いろいろ言ってましたから、私は私の理念で申し上げました。
どうしてもね、我々は三次元の世界で生きてるから、その次元でもって考えていく。だからいつになっても運びがつかないんですよと。
結局、もう何回も会をやってるんです。全部いつも実らないで空論に終わってしまうんですよね。
だから、それがとても残念だなと思って、私、聞いてるんですけども、結局、私たちの魂ってこと、まず考える必要があるんじゃなかろうかということも言ったわけです。
三次元、物質的に見れば、そういう見方ができるのかもしれないけれども、私がホントにわかってもらいたいなと思うことは、ひとりびとりが全部神様なんですよとお話しました。
私たちは平等に神様の分け御霊をいただいてる。そうすると神の子なんですよね。
神の子である以上は、神様の心構え、要するに神様の心遣いってものを、我々も使えるはずなんです。
だから、よく赤ちゃんが生まれたときは、昔から言うじゃないですか、三つ子の魂百までもと。それは三歳までは神様という考え方を、昔からなんとなく表現してるわけですよね。
ところが、だんだんこの三次元の世界に浸透してくると、この物質人間の自分ってものを絶えず守ろうとする。そういう心がどうしても芽生えてくるわけ。
結局三次元は、はっきり言って欲の世界ですから、そういう心が芽生えると、絶えず己防備を考えるわけですよね。
たとえば名誉欲とか、物欲とか、もうとにかく自分中心に、少しでも幸せになろうと、物質をとおしたところの幸せになろうっていう考え方になるわけですよね。
その辺が、もうすでに間違いなんです。
私たちは神様から分け御霊をいただいてるんです。神様っていうと、なんか、別世界のように一般の人は考えるんですけど、そうじゃないんですよ。
これは宇宙その物は全部神支配なの。言い換えれば、宇宙の大霊とも言うし、なお言い換えれば、生命の根源とも言うしね。宇宙は生命体なんです。その根源なんですよ。
その生命体の根源の魂を、私たちはそれぞれ与えられてるんです。
そこに芽生えるといいんですよね。それは肉眼で見えないから、これはあくまでも心眼でなきゃ見えない。
だけど見えなくてもいいからね、まず素直に、ああ私たちはそういう宇宙の生命体の一コマであると。または神の分け御霊をいただいてるのであると。
それを徹して考えられるようになりますとね、じゃあ、その神様の心ってどんな心?って考えていくんじゃないんですか。
そうすると、私は前に出した「死ぬのは怖くない」の本にも、今度また本が出ましたけど、その中にもおり込んでございますけどね。
結局、人間って、私たちも神様なんです。だから素直な人間になることですよ。
それと、他を愛すことが自分を愛すことになるんですよね。
ところが、物質の世界っていうのは、どうしても自分中心に物を考えちゃうの。
そうじゃないんですよ。他を愛するから自分が愛されるわけ。反対のことやってるんです。
だから、まず素直になりなさいと。愛を持ちなさいっていうのは、他人を愛せと、自分じゃないんですよ。
あと、信じる心を養いなさいということ言ってるの。
信じる心を養いなさいっていうことは、じゃあ騙されても信じていいのと、いうことを言った方がいたんですよね。
そのとおりなんです。騙されてもいいから信じればいい。その裁きは、やっぱり私たちの元親様がやってくれるんです。
私たちの魂を分けてくれた元の親が、その判断をつけてくれるわけですよ。だから騙されてもいいんですよ。とにかく信じる心を養うこと。
そして己に謙虚に、自分はこの世の中で最低だってくらいに、自分てものを底辺に置けば、自分の下がないんだから、すごく楽ですよね。
自分は偉いんだと思ってると、うんと苦しいですよ。
そしてあとは、ただし己に厳しくと。皆さんをこうやって見てると、己に徹底的に厳しくやってる人も多いですけどね、
最初は厳しくやってるんだけど、だんだんそれが薄らいでいくっていう傾向が、わりに強いんです。
だから何となく私さびしいですよ。だから、やっぱり神様もさびしいと思ってるんじゃないかなと思うんです。
皆さんね、お願いする時は、私の言ってるその言葉を素直に受けとめて、そうなろうとなさるんだろうけども、
物事がだんだんだんだん実ってくるとね、その考えが薄らいで、自分中心に考えることが、どうしても強くなる。自我が強くなる。
要するに欲の世界にどうしても入っていっちゃう。自分じゃ気がつかないうちに欲の世界に入っていっちゃうんです。だから残念ですよね、はっきり言って。
その三次元、欲の世界っていうのを、よーく考えてください。いつもそれを考えてください。
三次元は欲の世界なの。三次元の世界にとらわれて自分の行いを作ろうとすれば、いつになってもホントの幸せにはなれない。
三次元をとおしたところの幸せを求めようとしたら、いつになったって本当の幸せは得られないんです。
皆さんのその魂は神様の分け御霊であると、そうすると、私たちの魂ってのいうは肉眼で見えない。心も見えないでしょ。どうですか...
見えない物が、見えないほうが本当の物なんですよ。
皆さんは、見える物のほうをホントと思ってるから、どうしても見える世界にとらわれた行動になっていく。
最初悩んでるときは夢中になって、私の言うことを素直に受けとめてね、その行動もわりに私が言うとおりに、自分に厳しくなすってるみたいだけど、
ある程度悩みが解けてくると、いつの間にか気がつかないままに、この三次元の世界にとらわれた行動になってくんです。
そうすると何にもならないんですよね。せっかくそこまで築いて、いろんな悩み事が解けてきた。
これからが本当の神の子としての魂の動きをしなくちゃいけないんだな。そういう心、持たなくちゃいけないんだなっていうところに来なさると、やっぱりまた元に戻っちゃう。
悩み事が何もなくなるから、どうしても三次元の世界にとらわれて、三次元の世界の考え方が中心になっちゃうんですね。己に厳しくならないんですよ。
こういうことがあるから、ああいうことがあるから、だから神様の日は行けない。
とにかく三次元の生活、営み、それを中心に考えてしまうようになってしまうんです。
情けないですよね、人間ってのは。私つくづく、ああなるほど、神様がお嘆きになるはずだなって、ちょっとさびしく考えますよね。
どうか皆さんね、自分たちは神様の分け御霊であるということを、まず心に留めて、真剣に取り組んでほしいんです。
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