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- 御祈願と先祖の因縁と自分 P.1/3
- ひとりひとり、みんな神様 P.2/3
- 一番大事な心 「素直」 P.3/3
御祈願と先祖の因縁と自分 P.1/3
今日は御祈願祭ですね。禊ぎで身を清めて、そして8日に大神様の魂をお迎えして、そしてこの御祈願祭。
それぞれいろいろと、悩み事いっぱいございますよね。その悩み事を神様に訴えて、少しでも今の状態が楽になりますようにと。
じゃ、その悩み事がどこからくるかというと、いつも申しあげるように、過去世の先祖の悪い因縁ですね。
子孫はいい因縁を残された場合は、先祖のおかげでということになるんだけれど、
悪い因縁を残された場合は、おかげさまでじゃなくて、先祖のためにかえって苦労する。
そうすると、自分たちは何も悪いことしてないのに、なぜ先祖の罪を背負わなくちゃなんないんだと、いう考え方に一般的にはなると思うんですよね。
自分が悪くないのに、先祖のおかせる罪を背負って苦労するって、ばかばかしいなという考え方が起きてくると思います、最初はね。
それを考えた時に、皆さんは物質的に物を考えるから、分けて考えたくなっちゃうの。
たとえば、皆さんのこのお姿、形、これを見て考える理念だと思うんです、おそらくね。だから、そういう考え方になるんですよね。
ところが先祖があるから自分があるんですよ。自分というのは、先祖と切っても切れない立場なんですよ。先祖がなければ、絶対自分がないんです。
そうすると、先祖と自分、あと子孫ですね。これはもう一貫してひとつなんです。切り離すことはできないです。
仕方がないんですよね。それをお考えになっていただくと、よろしいかと思うんです。
そういうふうに考えていくと、やはり先祖の諸々おかせる罪を、ここで気がついた時点でお詫びする。
要するに先祖って自分の過去世と考えればいいわけです。自分が過去でいろいろと罪をおかしてることを、お詫びすればいい。
御祈願っていうとお願いをするんだとお考えになるかもしれないけど、結局、過去世の因縁を切ることによってね、今現在のいろんな悩み事が切れてくるんだから、
あくまでも先祖があって己がある。己があって子孫があるという考え方を、徹してお持ちになったほうが、整然と理論がわかるはずですよね。
結局、御祈願という、願いという表現になるんでしょうけれど。
おそらくね、ここへ来てる新しい方々、一般のこの世の中にいる人たちは、何で自分が苦しまなくちゃならないんだ。それは先祖の因縁背負ってるからと。
何で先祖の因縁背負わなくちゃなんないんだ、ずいぶんばかばかしいな。という考え方を、お持ちの方々、多いと思うんですよね。
そうじゃないんですよ。どうしてもね、もう先祖と自分は切っても切れないの。自分と子孫は切っても切れないわけでしょ。
そうすると、今ここでもってね、そういう過去世の先祖の諸々の罪をお詫びしとけば、そのお詫びが叶って、今度は幸せな道につながるわけでしょう。
幸せな道につながると子孫が幸せになるわけですよね。その繰り返しなんですよ、この私たちの生命ってものは。
だから今日の御祈願祭っていうのは、やっぱりそういう心でしていただいた方が、非常に効果的…効果的っていうのは、ちょっと合わない言葉なんですけども、
まあ形の上では効果的っていう言葉を使ったほうが、皆さんに通じると思うから申し上げますけど、そういう心でもってね、祈願に入らなければ何にもならないんですよ。
やっぱり今の状態が少しでも好転するようにお願いするには、そういう心情を持って祈願に入ってください。
そうすると、先祖の諸々の罪が自分の代で消されるんですから、子孫に残さないことでしょ。子孫が苦しまないことになるんです。
そうすると今度は、子孫がいい先祖を持ったということになるわけです。
ここでもってね、先祖の悪い因縁を切れば、子孫に徳を残す皆さんになれるわけですよ。
だから、先祖と自分はひとつなんだという気持ちで、悪い因縁は自分の代で少しでもと、先祖になりかわってお詫びすること。
先祖がなければ自分がないんだという気持ちで、徹してこのお詫びに入ることが大事なの。
お詫びに入ることによって、祈願、要するに「願」が叶うわけでしょ。だから御祈願祭って名前をつけてる。
だから、ただ目をつぶってお願いしたって、これはだめなんです。そういう心を作ってお願いしなければ何もならない、はっきり言ってね。
そうしないといつになっても叶わないわけです。だから今私が言った、そういう理念で御祈願祭のときには手を合わせてください。
神様に、そういうお気持ちで祈願なされば、先祖の諸々の悪いものが切れるし、徳を積む先祖になれるわけですよね。
今度は子孫から、徳を積んだ先祖がいるんだと、あなた方はなれるわけなんですよ。
だから今日の御祈願祭っていうのは、とても大事なことをやることになるんです。どうかそういう気持ちで受けとめて、ただお願いじゃなくて、そういう心を作ってお願いしてもらいたい。
結局、そういう心でもってお願いしなければ、因縁ってものは切れません、はっきり言って。
私、たまたまね、若い人の中に、先祖の罪を何で俺が背負って苦しまなくちゃなんないんだよっていうようなことを、耳にすることがあるんですよ。
でもそれは、どうしてもね、くどくど繰り返しますけど、先祖があるから自分があるんだってこと、まず考えること、とっても大事なんです。
それを考えないと先祖の因縁を切ることがばかばかしくなってくるわけでしょう。
だから、切り離しちゃだめなんじゃなくて、切り離せないんです。
それよく頭に置きながら、御祈願に入っていただきたいと思います。
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