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仏様が納得する先祖供養 1990年3月18日

  

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これはもうずっと前にね、ちょっと教えたんですけど。


この間の8日に、あとから玉串を取りに来た方がいて、見てましたら、みんなお賽銭を入れないんですね。玉串をいただくだけなんですよ。それであわただしく帰るんです。


はっきり言いますと、お賽銭っていうのは、神様にお参りさせていただきます。よろしくお願いいたします。というお印なんですよね。


ですから、お賽銭はそういう意味なんだなと、頭に置いておくこと。

それとご供養がありますけど、ご供養といいますと、お寺へ行ってお経あげて、ありがたいなと、そういう考え方が多いんじゃないかと思うんですよね。


確かにありがたいんですよ。だけど、なぜありがたいのかっていうとお経の中身がありがたいんですよ。


皆さん、般若心経の意味がわかりますか?


日蓮宗の壽量品じゅりょうほん、十六番の自我得佛來じがとくぶつらい所經諸劫數しょうきょうしょうこつしゅ無量百千萬むりょうひゃくせんまん


ああいうの、意味がわかりますか?


わからないままあげていて、だけどお経はとてもありがたいと、こう言うんですよね。


だからお経をあげてもらえば、それでもう先祖は満足して成仏するんだ。ああよかった、よかった。これで供養が済んだ。という気持ちで、


結局自分の、なんていうのかな、気休めとでもいいますかね、それで終わっているんですね。


誰しもは亡くなるときは必ずお経をあげてもらうんですよ。どっかで行き倒れなんていうのは、どうなるかわかりませんけど、それでも無縁仏になってもお経はあがると思うんですよね。


だからはっきり言って、そのお経がそんなにありがたいものであるならば、今現在の世の中が、成仏しない霊が我々にいろいろとわざわいをもたらすはずないでしょう。


そのお経で成仏できるのであれば、こんな変な世の中にならないで済んでる。


まあ、お坊さんが、そのお経をあげるだけの心情をもっているかた、要するに霊的なかたとでもいいますかねえ、


その仏にわかるように、霊界の人にわかるように、また神様につうじるように、そういう心づかいができるお坊さんであれば、たぶん成仏するでしょう。


でもそういうこと何もわからないまま、ただ覚えたことを空読みして、その中に心が全然入らないであげてるお経がほとんどだと思います。そうするとね、そんなことでは先祖は成仏しませんわね。


私たち人間社会だってそうじゃないですか。たとえば、子どもが何かほしい物があって泣いてる。


これやるから、もう泣くんじゃないぞって言っても、子供がホントにほしい物あげれば泣きやむけども、ほしくない物を、これやるから、もう泣くんじゃないよ。なんて言われたって、子供はやっぱり泣く。


大人だって、自分がホントにありがたいなあ、ホントによかったなあと思えば、非常に気持ちが、なんていうのかな、感謝心になるけれども、


ありがたくもない物もらっても、口では、あら、そうですか、どうもすいません。て言っても、こんなの私別にほしくないんだけど、まあ儀礼的に、すいませんって言っておけばいいかな。なんて、もうこれは心じゃないですよね。


そういうわけで、本人に、ああありがたいなあと思わせることをしなければ、私たちの心も成仏しませんでしょう。


それと同じように、ご先祖様だって、ああありがたいなと、ご先祖様が思わなきゃ成仏しないんですよ。


そうすると、お経をあげてたからって、ご先祖様は、その内容の心でもってあげなければ、ただ空読みしたって、これは成仏しません。


だったら、歌謡曲が好きだった人なら、それを歌ってやるほうが、よっぽど慰めになるかもしれない。仏が求めるものを与えたほうが慰めになりますよね。


しめやかなお寺さんで埋葬されてお経をあげるんだけども、何百年、何千年経っても、こうやって世の中がだんだんだんだん苦しくなってるってことは、結局、全部が全部成仏してないっていうことですよね。


だから、その仏さんを納得させるためには、お盆さまだ、お彼岸さまだって時に供養するというしきたりになってるんだけども、そのしきたりが本当の供養にならなければ、何もならないでしょう。


ただ儀礼でやって自己満足で終わってしまう。それのくり返しで生活してるんだったら、供養も何のために供養したかってことになるんですよ。形だけ、心不在の供養ってことでしょう。


だけど形だけじゃね、先祖が納得しません。先祖が納得するようなことをやって、それで初めて成仏するんです。


そのためにはどうしてもね、霊界、神界を見据えられる霊的な人でなければ、そういうかたのお経でなければ、


そういう霊界をわかる人のお経っていうのは、その真理を頭に置きながらお経をあげますからね。だからご先祖様も納得すると思います。


たとえばご先祖様が、生前こういうことで人に迷惑かけてしまった。こういうことを神様にお願いしてるのに、そのままになってしまった。


そういったことを、霊感のある先生だから、わからせていただけるでしょう。


そして、それに対するお詫びをすれば、ああよかったなと胸が落ちつくんじゃないですか。そういう供養でなければ、本当の供養とは言えませんよね。


先祖を落ちつかせたいならば、やっぱり先祖の納得のいくことを、胸に落ちることをやってあげて、初めてそれが供養になるわけです。


ただ形だけやったって、自分たちだけ満足するだけで、先祖は相変わらず満足しませんよね。


そういう意味ではね、霊照会の供養は、私に先祖がいろいろと、こうだった、ああだったとおっしゃってくださるから、それに対しての姿勢を皆さんにお教えしますね。


だから先祖は少しずつ納得して、それで納得すれば成仏するわけです。そして成仏すれば霊界に行けるわけです。


霊界に行けない成仏っていうのは浮遊霊になるんですね。四次元のとば口にいるんですよ。とば口にいて霊界に行けないんです。それで一生懸命こっちへ悪い想念を送ってるわけ。


自分はこういうことした、ああいいうことしたってね、そういう想念を一生懸命、四次元のとば口で送ってるんですよ。


その送ってくる想念をわかるかたが、そこにいなければ、このご先祖様は納得しません。


わかって初めて、ああ、わしがこの願ってることを子孫がちゃんとやってくれてる。ああよかった。これでわしも安心して霊界に行けると言って成仏して霊界に行くんじゃないですか。


そういうことでね、仏の供養というものは、どうしても四次元を、要するに幽界から上をわかる人間がそこにいないとね、やっぱり仏は成仏しない。


そういう意味では、この霊照会の供養というのはたぶんご先祖様も納得していただけるんじゃないかな。


これでね、結局納得していただいた結果というものは必ずいい結果に、なんか出てくるんですよ。


私いつも申し上げるようにね、悪いことが起きたときは自分たちの反省なんです。


自分たちと私が言うのは、肉体人間の自分だけをさしてるんじゃないんですよ。先祖を含めて自分ということ言ってるんです。だから先祖があって自分があるんです。


自分というものは、突然変異でこの世に生まれてきたんじゃないんです。先祖があるから、今現在の私たちがあるんです。


だから先祖を含めてこの私たちということを、私はいつも申しあげるんですけどね。


だからやっぱり少しでも行を、自分が納得した線でやらないと、自分が納得した線っていうことは、先祖も納得することなんです。


どうかね、そういう線での供養が霊照会の供養なんだってことを頭に置いて、ご供養していただいたらどうでしょうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

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