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事始の日 -8日清祓い-1994年4月8日

8日清祓い
  1. 宇宙の法則にのっとって生きる ①      P.1/4
  2. 宇宙の法則にのっとって生きる ②      P.2/4
  3. 信じるということ              P.3/4
  4. 不可能が可能になる時            P.4/4

1.宇宙の法則にのっとって生きる ①     P.1/4

今日は四垂をいただく日ですけれど、その他に4月8日は仏教ではお釈迦様のお誕生日です。


8日に生まれたいうこと、これも大自然の法則に乗っとって生まれてる、真理を極めたすばらしいお方なんですね。


お釈迦様は人間像です。人間像だけど、その人間像のお釈迦様が宇宙の法則に基づいて生かされてる方なんです。キリスト様もそうです。


ただ神道の場合、日本ではそういうふうに人間像を象徴して生かされてる人っていうのは、いないんですよね。


天之御中主大神様というのは三次元の人の姿ではない。宇宙神です。


天照大神様、これは太陽神、要するに地球は太陽系でしょう。だから太陽を指して天照大神様というお名前をしてなさる。


それで日本人は朝起きたら太陽に、今日1日を無事にと願って、そういう風習が昔からあるんですよね。地球をお守りくださる神様だというふうに、私は思わせていただいております。


天之御中主大神様は宇宙神、要するに私たちの生命体の根源なんです。


その神様が自分の分け御霊をと、四垂にお下がりになっていただいて、ひと月をお守りするから皆さんにお配りしてという神示をいただきましたから、


それで毎月8日に天之御中主大神様のお下がりになってる四垂を、皆さんにお渡ししているんです。もう最高神ですよね。


それで、お釈迦様もキリスト様も人間像です。でも宇宙の法則に基づいて生かされてる方、そういう生き様をなされてる方なんです。


だからやはり、その神様の道を歩む人っていうのは神様とひとつですよね。


そういう意味で、私はこの宇宙の法則の一番の発端が、お釈迦様のお誕生日の、この8という数字から開かれてるんじゃないかなとふうに思わせていただいてるんです。


そして、7というのは最後の日。結局、生と死が裏表になってるわけでしょう。


7日が終わりで8日が始まりというのが、宇宙の法則の原理じゃないかなというふうに思わせていただいてんるです。


そうすると昭和天皇様は7日に亡くなられてますね。それで8日から平成元年になったわけです。だから1週間だけ昭和64年があったわけです。


要するにこの地球上から去られたのが7日で、8日から今度は開かれる数字なんです。


こういうふうに宇宙の法則に乗っとっての生き様をなされる方だから、真理に基づいて聖別に生かされてる方だから、やっぱり神様としてあがめても差し支えないんじゃないかなと、


お釈迦様にしても昭和天皇様にしても、偶然ということはないんです。世の中はすべてが必然なんですから。


その必然が、ちゃんとその法則に乗っとった生き様で生かされる方というのは、やはりこれは、本当にすばらしいなと思わせていただいています。


いつも申し上げるように大自然の法則、要するに宇宙神、私たちの元親ですよね。


そうすると私たちもその魂をいただいてるんですから、やっぱり自分たちも努力して、毎日の生活を大自然に乗っとっての生き様ができることを、神様はホントに望んでいるんです。


この三次元に生まれてきて死ぬまでの間に、そういう生き様ができる人間になれたら、これはもうホントにすばらしい。


こんなにありがたいことないわけです。そのための三次元ですからね。


どうしても物質にとらわれた生き様をする方がほとんどですけど、物質にとらわれると、ないと年中頭の中、「ないないない」でいっぱいになっちゃうの。


ところが物質にとらわれない生き様を、もしすることができたとすれば、このないことを、むしろ喜びに変える、これがホントの生き様なんです。


なくて困ってるのに、それをなぜ喜びに変えなくちゃいけないのっていうけど、人間というのはね、自分の心が豊かになるには、ホントに困ってる、ない、そんな時の方が豊かになれるんです。


私は物質で表現してるんですけど、今ホントに貧しくてお金がない。だから大変なのよって、お金がないことにとらわれてるうちは、これ、凡人ですね、はっきり言って。


物質の世界ですから、今お金で表現してるんですけど、お金がないないと思ってるのは、三次元にとどまった心なんです。結局それは物質にとらわれてるわけでしょう。


それじゃあ何のために三次元の修行の道場を与えられたんですか。やっぱりそのない時を活かすこと、これが悟りです。


悟りって何かというと、要するに神様の魂に復活する考え方ができることを悟りというんです。


人間は、むしろその物事で苦労してる時の方が、悟れるんですよ、ホントは。


苦労に翻弄されて振りまわされている状態というのは、もう完全に三次元の人間になってるわけです。


私たちは神様から分け御霊をいただいてるんだから、三次元で翻弄する人間じゃないんです。


三次元で翻弄されてるその姿というのは分け御霊の姿じゃないんです。神の子としての姿じゃないんですよ。


物質に振りまわされてる姿、実に情けない姿ですね。そういう状態でも、自分は神様から魂の次元をいただいてるんだなと思ったなら、私が申し上げるあの五つの心を、絶えず呼び戻してください。


素直になること、愛を持つことだったな。なおかつ信じる心だな。そして自分に謙虚に、己に厳しくと。


こういう心を自分がその物質の世界でとても苦しい中で、いつでも呼び戻せる状態を悟りというんです。


その悟りの心になっていただくことがホントの幸せなんです。その心になるために三次元もあるんです。 


この物質の世界を与えられたってことによってね、私たちの魂の次元がなおいっそうに修行させていただいてるわけなんです。


ただし、その物質にとらわれてる状態というのは、まず悟りじゃない。それは欲の人間で一生終わってしまうわけです。


欲の人間で一生終わってしまったら、こんな情けないことないですよね。


せっかくこういう欲の世界を与えられたんだから、その中で欲に翻弄されないで、あくまでもこの五つの心を、歯を食いしばってでも、きちっと身につけて真剣に自分を作っていくことです。


それが悟りの境地、悟りの道というんです。その道を歩まれている方が、霊界に行っても、やはり神様が、要するに私たちの親神様が、ちゃんと迎えてくださるわけです。


その境地に入らない人間というのは、やっぱりあの世へ行っても神様の子になってないんだから、神様の子として扱われないわけでしょう。


だから今この三次元の世界で、苦しい中でも神様の子として扱われるような自分を作ってくことですよ。


何回も言うことですけど、霊界に行く時も死の凱旋門くぐるような心境ですね、そんな自分を作っていただきたいと思う。


それが三次元を与えられたゆえんなんです。

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