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- 鎮魂 - 絶えず心新たに取り組む P.1/2
- 葉山にて - とらわれない心に P.2/2
1.鎮魂 - 絶えず心新たに取り組む P.1/2
魂の糧が私の話と思って聞いてくだされば、肉体だってお食事をしなければ保てませんし、それと同じように、心だってやはり魂の糧がなければ成長しませんしね。
先生、またあの話してる。なんていうふうに取らないで、やはり魂の糧だなという考え方で聞いてほしい。真理なんて、そんな無限にあるわけがないんです。
たとえばキリストの教えで十戒があるでしょ。そういうふうに規律が決まってるんです。それをいろいろな角度から、その真理を皆さんに表現してるわけです。
たとえば果物で表現してみたり、毎日の生活の中のことだったり、山とか河、 自然を対象にしてみたり、 いろんな形で表現をします。
だけど真理は一つなんですね。だからそんなに無限にあるわけない。どうかそういうつもりでお聞きになっていただきたい。
今、皆さんがなされたこの鎮魂ね、これは毎回繰り返すように、とても素晴らしいことをやってなさる。
その鎮魂をやって、ああ私はとても素晴らしいことやってるなっていう意識になれるだけの魂の次元になったら、これはここへ来た時よりも魂が清まってる、高まってるはずなんです。
鎮魂をやっててね、足が痛いとか、早く終わればいいなとか、自分の今の身辺のいろんな問題が気になったり、そんな状態っていうのは、完全に統一されてないってことですよね。
鎮魂して 気持ちがとても楽になったとか、すがすがしくなったとか、 ホントに爽やかだったとか、 そういう状態になれないっていうのは、 完全なる鎮魂じゃないんです。
完全なる鎮魂っていうのは、 いろんな雑事にとらわれないで、 足が痛いとかね、手がだるいとかね、 そういうことが一切なくなる状態になっていくはずです。
要するに肉体の重みを感じるうちは、まだだめ。完全に統一されてないんです。肉体の重みがなくなるとこまで行きますからね、完全統一に入れば。
こう見渡したところ、 完全統一に入れる人っていうのは、 僅かではないかと。
でもね、とにかく一生懸命、真剣におやりになっていれば、いつかは入れます。 それで入れると自信がつきます。そうすると次やるのがとても楽しくなります。
その精神統一に完全に入れない人っていうのは、とてもこの時間が苦しいです。だから、今日は鎮魂の日だ。ああ、なんでかんで行きたいなって気持ちが起きないはずですよ。
まず自分の家のいろんな問題が先に頭に来て、まあいいわ、今日は休もう。なんていう心に、たぶんなってる。それはね、鎮魂の素晴らしさってものを体験できないから。
ここで皆さん、一生懸命鎮魂やってるんだけど、鎮魂の素晴らしいところまで体験してないから、真剣に取り組む意欲が、おそらく湧いてこないんだと思う。
だからその鎮魂の意欲が湧いてくるだけ、とにかく真剣に取り組んでみたらどうですかと、私は申し上げたいんです。そうじゃないと、いつになったって、結局無駄ですよね。
でも 私、今どうしても精神的に散漫になっちゃって、完全な統一に入れないから、じゃあもうやめようかしらっていう心になったら、何のためにここへ来たかってこともわからないし、
また何のために自分たちはこれに取り組もうとしたかっていう原点の考え方を見直さないと何もならないでしょう。
あなた方それぞれに今悩みがあるはずですよ。そういったことが 、この行をやったらいい方向へ行くかなと思って なすってるんでしょう。
確かにこの行をやれば、いい方向に必ず行くんです。そして完全統一に入れたなら、これをやってればいい方向に行くんだっていう考えもなくなってくる。そういう欲心ですね、そういったものも一切払いのけられる。
とにかく自然の間に間にといいますか、神の間に間にといいますか、そんな心境が自ずからできてくるんです。
私の話を聞いた時だけは、納得するんだけれども、あとの日常生活の自分になった時に、そういう心境になれないということは、まだ完全統一ってものを本当に体験してないでしょう。
だからそれを体験してくると、そういうことにとらわれなくなるんですよね。
これやれば、自分の今の問題が解決するんだとか、やっていながら、いろんなこと考えてみたり、足が痛くなってみたり、肩が重くなってみたり、
そんな状態っていうのは、形の上では鎮魂をしてるように見えるけれども、完全なる鎮魂をしてるんじゃない。
完全なる鎮魂を、とにかく体験してほしいと思う。一度でもいいから体験するとね、その体験っていうのは、すがすがしくって、もう言葉では言い尽くせない、なんとも言えない心情になるんです。
それですごく自信ができてくる。そして次の鎮魂をやる意欲が出てくる。
鎮魂をやる意欲が出てきますとね、これ、しめたもんです。どんどん前進して、自分の魂がどんどん清まります。
その時間を何回も繰り返してるうちに、今の問題、悩みにね、あまりとらわれない心の状態なる。不思議とね、その状態が続くうちに完全に今の悩みの状態も消えていくんです。
それは、なんて言ったらいいんだろうね。いつも申し上げるように、皆さんの魂は神様からいただいた分け御霊であると、鎮魂はその親神様と自分の魂が、親子が一体になる時間でしょう。
とにかくその神様のパワーっていうのは無限なの。そしてこの世に不可能はない。そういう魂を皆さんはいただいてるんですよ。
でも先祖から前世から、諸々の人間の悪い想念ね、たとえば恨みだとか、とにかく感謝が足らないとか、不義理とか、恨みの想念だと最も悪いですね。
とにかくそういうふうなものが、全部悪い想念になって、霊界から送られてくるわけです。それによっていろんな悩み、問題が起きてる。
そういう悪い想念をこの現界に置いていったことを、先祖が霊界から気にしてるわけです。
だからそういう悪い想念を取り払うには、今言った神様と一体化する、そういう修行をするのがこの鎮魂の行なんです。
そういう修行をしていくことが、先祖が置いていった過去のいろんな悪い想念を一つ一つ消していくんです。
神様と一体化したその瞬間ってものは、ものすごいエネルギーを自分がいただく時間なんですよ。
そういう積み重ねをしてパワーを身につけるから、過去世の悪い想念は自ずから消えてくんです。
そうするとね、今度は今の自分ってもの、いろんな悩み、問題に、あまりとらわれなくなるんですよ、どういうもんですか、とらわれない己になっていく。
ただひたすら、この鎮魂の行を徹底的に真剣にやろうと、そうするとそういう心の自分になれる。
だから皆さん、せっかくお始めになった鎮魂だから、何回も繰り返すように、昔から石の上にも三年って言葉があるんですよね。
あなた方が、自分の肉体の重みもない、そして現在のいろんな諸々の悩みにとらわれない、そういう精神状態になれるように、あなた方の魂がそれだけのパワーになれるように、
どうかね、神様と一体化する、親と一体化する、そういう時間を一度、二度、三度、四度と、とにかく積み重ねて、
積み重ねるほどに心の持ち方もできるようになってくる。考え方が変わってくるんですよね。すべてにとらわれない考え方ができてくるんです。
そうするとある日突然に、自分ってものを振り返って、あれ?私あんなに悩んでたことが悩まなくなったと。
またはね、あれ、あんなに悩んでたことが、今、好転してるんだわ。とかって、好転してることにすら心が行かない。要するにホント無心ですね。
だけど瞬間、客観的に己ってものを見つめた時に、あら、今そういう状態になってるんだわということが、この修行を積み重ねていきますとね、必ずそういう時点が来るんです。
どうか真剣に取り組んでみてください。私は自分で体験してるから、嘘は言いません。絶対にその次元になります。
いつも申し上げるように、この作業はホント変化のない、誰にでもできる、子供でもできる、そうかと言って、極端な話が、上は内閣総理大臣から下は子供まで、誰でもできる修行ですよね。
誰でもできる修行だけど、その中で何人が神様の魂に近づくことができるか。形の上では誰でもできるんですよね。
だから皆さんね、こういう正しい競争はしてもいいんですよ。間違った競争はしちゃいけないけれども、正しいことに競争意欲を湧かすことはとても素晴らしいんです。
「私はホントに早く、神様からいただいた魂の発露、そういう心のあり方になろう。そのためにはとにかく徹底的に真心を持ってこの鎮魂に打ち込んでみよう」
そういう心をね、とにかくここに入って来たと同時にお持ちになってください。
この姿勢が習慣になっちゃだめですよ。習慣になると、そういう心もなくなってくる。惰性でやってはだめですよ。絶えず心新たに。
だから皆さん、神社にお参りする時にどうですか。惰性でお参りしますか。神様の前に行ったら、身が引き締まるでしょう。
その心で鎮魂しなくちゃだめなんです。惰性で鎮魂してたらだめですよ。身を引き締まる心でやらなければ。
そのためには絶えず、ここへ入ってくると同時に、そういうふうに身が引き締まる思いで、この鎮魂に取り組むことですね。
そうすると、これがそうなのかというような体験を絶対いたしますから、この体験の積み重ねが、現在のあなた方の心で煩悶してること、そういったものが自ずから拭い去られます。
自分の心も拭い去られると同時に、自分のうちの家族形成ね、また他からの人間関係ね、こういったものがすべて自ずからいい方向に行くんです。
その時にはね、自ずからいい方向に行くんだなと、それももう思わない己になれるんです。私ホントそう思います。
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