感情に支配されない自分を作る   1993年9月29日

  

1.心の中に飛び込むようなお話    P.1/7

  1. 心の中に飛び込むようなお話     P.1/7
  2. 除霊の解釈             P.2/7
  3. 意識のとらえ方           P.3/7
  4. 間違いを正す時は…         P.4/7
  5. 自分の気持ちを置き換えてみる    P.5/7
  6. 霊視は神様の声           P.6/7
  7. 本質を見つめる           P.7/7

どうも本日は、皆さまご苦労様です。


皆さんも、ご修行してなさるかもしれませんけど、私もやっぱり修行なんですよね。


皆さん、御教えを聞く立場で、簡単に御教え、なんてお思いかもしれませんけど、月に7回ですよね。これがズーッと続いてるんです。


そうすると、真理って、そう無限にあるわけじゃないんですよね。やっぱりひとつの定義があるわけですよ。


それを月に7回、皆さんの心の中に飛び込むようにお話するっていうのは、これも修行なんです。はっきり言うとね。


よく講演とかに行ってもそうですよ。


なんとなく居眠りしたくなる先生のお話と、真剣に耳を傾けて聞く先生のお話とありますでしょう。


やっぱり皆さんが耳を傾けて聞いてくれる、そういう状態にならないと、お話しても無駄なんですよね。それは私にも責任があるわけです。


聞く方が、真剣に耳をそばだててという状態にするっていうことは、私もやっぱり並大抵の心境じゃないんです。


でも過去にね、私、体験があるんですけど、前にもお話したと思います。


銀座のクラブのママが催してる会がありましてね。


そうすると、何か競争意識があるのかなって思うんですけど、それじゃいけないと思うんですけどね。


それでその方から、先生、またお話してくださいと、でも私は、やだなあ、また恥かかされるのかなって、心に思うんです。だから出たくないんですよね。


だからその時は、私ごときがお宅のような立派な会で、お話する立場の人間じゃないから、悪いけどって言うんですけど、どうしても先生、話してくださいって。


先生は日本一の方だから、とかね。次にアジア一の方だ、とかね。だんだんエスカレートして、終いには世界一の方だ、とか言って、私に呼びかけてくるんですよ。


その時にヒョッと、私の心に浮かぶのは、やはり大神様が、これはお話しなさいというご意思なのかなと思うから、それで私もね、毎回断わりきれないで引き受けてたんです。


もう一番最初の時から、意地悪が始まってるんですよ。でもそれがありがたいことには、その会があるっていう朝に、会は1時からなんですけどね。


胸騒ぎして、なんとなく予感がしてね。もしかすると、あんまり集まらないんじゃないかしらって。


要するに、はっきり言って、その方には私に恥かかせようっていう頭があるわけです。それは私なんとなく見破れるんですよね。


ですから、たぶん私がただストレートに行ったら、ホントに恥かくところだったんです。


だけど朝なんとなく感じたので、知ってる方みんなに十何人かお話したら、その方々が、


あ、僕が行きますよって、みんな来てくれたんですよね。うちの会員さんも7、8人行ってくれましたから、それでいっぱいになったんです。


ああ、やれやれよかったなと思いました。それで次もそうなんですね。その頃はそのママの銀座のクラブでやったから、40人も集まればいっぱいになるわけです。


それで3番目くらいの時に、今度は代々木八幡でやるようになってね。他の先生の時はいつも5、60人でいっぱいになるわけです。


ところがね、その時も私、予感がしたんです。


先生ぜひお願いしますと、先生のお話は毎回すばらしくて、私たち感動するんですから、とかなんとか、私を喜ばせるようなこと言ってくれるんですよ。


もう遮二無二ですよね。それで断わりきれないから受けました。


その時は、うちの理事長も一緒にお話してくれという事だったので、理事長に、いつも恥かかせられる予感が、なんとなくするんだけど、だからそのつもりで行ってよねと、こう言ったんです。


ふーん、どうして?っていうから、どうしてかわからない。やっぱり競争意識があるんでしょって言いました。


それで行ったら、いつも5、60人の部屋を借りてるのが、500人入るホールを借りてるんですよ。


それで、私の会員さんも引っ張っていけないし、ほかに何人かは来ましたけど、500人入るところに3、40人ぐらいですよ。


これはものすごく話しづらいんですね。だから私もいつも皆さんと同じように修行してるんですよ、はっきり言って。


でもその時思ったことは、大勢集まって迎えていただく。それは嬉しいですよね。


だけど、私のお話っていうのは、人間がこの世の中で正しく生きるとはどういうことかということ。これを5人でも10人でも、たとえ一人でもいい。


来てる人たちにお話すれば、それでいいんだなって思ったら、人数が少なくてもすごく気が楽になって、


ここにいる人たちが真剣に私の話を聞いてくれる、そういう自分というものを作っていかなくちゃいけないなって自分に言いきかせました。


それで、セッティングされているステージに立って、その心情で情熱でお話したら、人間が少ないとか多いとかって、もう考えなくなっちゃいましたね。


そしたら、自分では気がつかなかったんですけど、閉会の辞をされた先生が最後に、


今日はもうホントに僕もいい勉強になりました。普通はこのくらいの会場で3、40人だと、もう話す気がしなくなっちゃう。

それなのに鶴田先生は、ホントに人間にとらわれないで、会場にとらわれないで、そこにいる人たちに真剣にわかっていただこうという気持ちでお話してた。いやあ素晴らしい。

最初居眠りしてた人が、目を覚まして真剣に聞く。もう少ない人数でも、いる人たちが一斉に耳を傾けて、燃えるような眼差しで聞いていた。

僕は今まで人間が少ないと話しづらい、やりづらいなと思ってましたけど、今日の鶴田先生の姿勢を見て、

やっぱりお話する人間っていうのは、数が多いから一生懸命真剣に話ができる。数が少ないから気が抜ける。これじゃだめなんだなっていうことをわからせていただきました。


閉会の先生が皆さんの前でそういうあいさつをしましたよ。ですから、その先生はいい参考になったらしいです。


そういうわけで、ここでお話をするのが、ひと月に7日か8日あるわけです。もう5年続いてるんですよね。


そうするとね、ネタがつきちゃうんじゃないかって、確かにつきますよね。


でも不思議と、同じ話をしても、たぶん皆さん、それは感じとってると思うんですけど、その時その時で聞く次元が違ってきてるのかなって思うんです。


何回聞いても、やっぱり心が燃えるでしょう。どうですか?


その心が燃えるっていうことが大事なんです。またあの話始まったと、もう耳傾けないで、同じ話だから、どうでもいいやっていうことだと、これはだめなんですけど。


私は皆さんが幸せになることを願って、真心を持って、神様の教えをご報告させていただいてますけど、


同じ話でも、見てますと、皆さんなんだか真剣に聞いてくださってるんですよね。だからホントにありがたいなと思ってます。


ですから、神様に夜のお祈りがあるんですけど、どんなにうちへ帰るのが遅くなっても、必ずそれを全部やります。


そうすると、寝るのが2時半か3時になっちゃう時もあります。それでもね、やらないと眠れないんですよ。


で、やるとホッとして眠っちゃうんです。これは、やらなくちゃならないんだっていう責任感ですかね。


だから皆さんに言いたいことは、この責任感ね、月に7回ほど御教えする時間がありますけど、皆さん見えられて、やっぱり耳を傾けて聞いてくれる。


そういう状態にならないと、お話しても無駄になってしまうと思いますから、私も並大抵な心境じゃないんですけど、この責任感が私を支えてくれてるわけですよね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました