- 客観的に見つめる P.1/2
- 神の子としての心 P.2/2
1.客観的に見つめる P.1/2
どうもご苦労さまです。そうですね、今日はどういう話になるのかな。何も考えないで、ヒョッとここへ来るんですからね。
あの、中華航空が大変な事故でね、二百何人かな、だいぶ亡くなりましたね。
いつも私、こういう事故が起きて、そこからいろいろ人間の歩みってことも考えたりするけれども、結局すべてが、なんて言ったらいいんでしょうね。
こういう悪いことが起きるっていうことも、これもやはり人類のせいですよね、はっきり言うと。
だから1月に私が予言したとおり、3、4、5と、こう出てましたよね。この3、4、5っていうのは非常になんか悪い線が出る感じが来たから、出たんだと思うんですけれども。
もう3、4、5になってくると、何かにつけて、我々肉眼では見えないけれども、この宇宙の中の気っていうんですか、そういったものが非常に、なんて言ったらいいのか、成功につながらない、そういった流れがあるんじゃないかなっていう感じがしますよね。
それで、ずっと前にもこの話はしたと思いますけど、東亜国内航空の飛行機事故ね、あれ新婚旅行なんですよ。
新婚旅行だからホントはお祝い事でしょう。まして大安の日に行ってるわけです。
大安の日を選んで乗ったはずなのに、堕ちてしまったんですよね。
あと過去の三河島事故とか、いろいろそういう事件を振り返ってみますと、ほとんどがこれはやっぱり霊的障害なんです。
やはりそうなるべくしてなるってことが言えるんじゃないかと思うんです。
東亜国内航空の場合、大安の日を選んで結婚したにも関わらず、飛行機が堕ちてしまった。
やっぱりこれは過去世の因縁ですよね。そうするとそういう過去世の因縁が、ちょうどたまたまみんな一緒になるっていうことがあるんですよ。
いろんな事故みんなそうですよね。たとえば三河島のあの時も、事故の起きる前に降りる人と、これから事故が起きようって時に乗る人とあるわけです。
乗る人っていうのは、そういう事故が起きるような因縁を持ってるわけですよ。そうするとその事故にならない人が降りるわけです、乗ってた電車からね。
そういうふうに、宇宙の中には私たちの人智では計り知れない、その、渦というか、気というか、流れというかね、そういうものの動きがあるんじゃないかなと思うんです。
それが証拠には飛行機の事故があると、一回じゃ済まされなくて、必ず続きますよね。
たとえばガス爆発にしたって一回じゃ済まされないでしょ。必ずまた他でも起きるんですよ。
そういうことを考えると、やっぱり宇宙の仕組みの中に、そういう悪い気といい気との、何ていうのかなあ、その、集まる時のその状態ってものがあるんじゃないかなというふうに思わせていただいてるんですけどね。
そういうことから考えても、3、4、5っていうのが非常に悪い感じが来たっていうことも、考えてみれば次から次でしょう。
政財、政治、あれだけゴチョゴチョ引っかき回して、そして社会党がどうのこうの言ってて、結局羽田さんでしょう。
だけどどっちにしてもこの政治だいぶゴタゴタしてますよね。いろんな面を考えても、なんていうのか、ああよかったなというのが何ひとつないですよね。
それを考えた時に、やっぱり3、4、5っていうのが、そういう危険な月なんだなってことを、既に1月に教えられたんだなっていうのを今思わせていただいておりますけどね。
そういうことから考えて、やっぱり自分たちの行いも、そういう悪い月というのに、なるたけつながらないように努力するということも必要じゃないかなというふうに思います。
こういうふうに悪いことばかりが重なる時に、必ずちょうどまた重なってくるっていうのも、さっきの飛行機の話じゃないけどこれも因縁ですよね。
結局悪い月にやることは、まあ全部が全部とは言わないけれども、やっぱりそれなりの因縁を持ってる方々は必ずその時には裁かれますよね。
ですからそういう時は、なるたけ自分ってものをもう一度振り返って反省しなおして、自分の行いが正しいか正しくないか、そこまで見定めてね、そして歩むべきだと思わせていただいております。
それで、私なんかもここへ来るまでの何十年間にずいぶん苦労もしました、はっきり言って。
だけどその中で私が皆さんと違うところは、その苦労してる時に、何で私こんなに苦労するんだろう。神も仏もないのかしらってこと考えたことありません。私は神は絶対と思ってますから。
だけども、もうこれは毎回繰り返して言うことですけど、その苦労してる時に必ず自分を振り返ってみますよ。
冷静な自分の考えを作ってね、それで自分を客観的に見つめるってこと、とっても大事だと思うんです。
そうするとね、自分の間違ってるいろんなところが目についてくるんですよ。
ところが主観的に見てると、要するに主観的ってのは自分を認めるってことですよね。
自分を認める考え方がうんと強い場合は、どうしても自分のやってる行為ってものを間違ってないという心の方がどうしたって優先になっちゃうんです。
それをもう一歩引きさがってね、自分ってものを主観的じゃなくて客観的に見た時に、冷静に判断できるんです。
そうすると、ああ今自分がやってることは、これはちょっとこの辺がこうだな、あの辺がああだなって、その間違いがわかってくるんですよね。
ところがほとんどそういう時は、どうしても主観で見つめちゃいますよね。ですから結局は、まあ災難を被るんだと思うんですけども。
ホントにねぇ、いろんな障害が起きるけれど、人智でそうなったんじゃなくて、これみんな霊的なものですね。だから今度のこの中華航空の飛行機にしても、これ霊的障害です。
たぶん乗ってる方々っていうのは、そういう因縁を持っている、そういう事故を起こすべき方々が、ちょうど集まって乗った飛行機だと思うんですよね。
私ね、前にもずいぶんいろいろ、この仕事をやりながら皆さんをとおしていろんな体験をさせていただいておりますけど、
たとえば、もうこれは20年ぐらい前のことですけどね、ご主人がカナダに出張するんですよ。
で、その時に非常に悪い感じが来るんですよ。事故につながる感じが来るんです。それでその頃は私もまだ若かったから、どんどんお祓いに伺ってました。
そして、悪い感じが来てた時ですよね。で、お祓いに伺って、そのお祓い行く前に言いました。その方、小野寺さんていうんだけどね。
ご主人の出張、とにかくこれ、あんまりいい感じが来てないよと、そうとう神様に守られなきゃ、まずい結果になるわよと、いうことを先に言ってるんですよ。
それで向こうへ着いてから、本人はあんまり気にしてない。皆さん事件が起きないと、ほとんどの人があまり気にしないんですよね。
だけど私はそういう感じが来たので、それでお祓いに行ってあげました。そうしましたらね、お祓いが終わった時点で、小野寺さんが、ちょっと先生、席はずれます。そう言って離れたんですよ。
それで誰から電話なの?って聞いたら、
先生、実は主人からの電話なんです。主人が事故かなんか起きる感じがすると、先生おっしゃってましたけど、なんか帰りの飛行機、五日に帰るのが一日日延べになったっていう、今電話なんです。って言う。
あ、そう、じゃあお宅のご主人、免れるのね。こう出ちゃったの。
そしたらもう、ほら、これは未来でしょ。その飛行機が堕ちるか堕ちないか、まだわからない時ですよ。
私もうちに帰ってから、なーんでああいう言葉が出たのかなって。言わせられるんでしょうね、あれは全部がね。
そしたら、五日にカナダ航空だったかな、その飛行機が堕ちたんです。
だからその飛行機に乗ってたら小野寺さんのご主人はもう亡くなってるわけだもの。やっぱり免れたわけです。
それで、その行った時の飛行機で友達ができたらしいんですよ。それで、帰りもこの飛行機で一緒だねっていいながら別れた友達がいるんですって。
そのお友達はその飛行機に予定通り乗ったわけです。だからその飛行機が堕ちちゃって、やっぱり逝かれちゃったわけですよ。
小野寺さんの場合はそういうわけで、私がお祓いに行っていろいろ因縁調べして、その因縁切りもお教えしてあげて、因縁を鎮めたでしょ。
それでお祓い終わった途端に電話なんですよ。これがまたすごいタイミングですよね。これ偶然じゃないんです。全部神様のお計らいですよね。
ちょうど私がこの間伊勢神宮へお参りした時に、降りたらおまわりさんやら、いっぱい群衆がいたでしょ。
何なんだろうって思ったら、天皇陛下様がお帰りだっていうんでしょう。ちょうどそういうふうに、偶然ってことはないんですね。全部神計らいでしょう、これはね。
そして私、もう厳めしいおまわりさんたちがいっぱい立ってるんで、群衆もいっぱいいるし、何のことかなあって思って、ちょっと聞いたら、
いやあ天皇陛下が何時何分ので帰りますって、それでみんな警備に出てるんですってわけなの。ああそうですかって言ってね。
だから、そこをおまわりさんやらいろんな人がいる中を、こう、スーッと行ってね、それで一台タクシーが止まってるんですよ。
普通ならズラッと並んでるわけでしょ、タクシーってのは。ところが一台止まってるんですよ。これは、ああよかった止まっててと思って、それに乗ったんです。
そしたら運転手さんが、お客さん、運がいいですね。これでもうあそこ入れないんですよ。って言うの。あと2時間ぐらいはあそこ入れないんだって。いい時来ましたよねって。
今ちょっと遅かったら、あそこで乗れないんですよ。僕の車が最後だったんだって。その最後の車に乗ったから、道をズーっと行く時に群衆が両脇にズーっと並んでました。
所々に警備のお巡りさんが立ってて、そこを私のタクシーがスーッといったんだからね。だから裏を返せば、なんか皇室の出迎えみたいですよね。
そういうのも不思議ですよね。私は平民だけど、待遇としては皇室の待遇と同じような形を受けましたよね。
そして二見館っていう旅館に着いたらば、御殿の間っていうんだから、これまたおかしいんですよね。
で、聞いたらば、ここは昭和天皇様も大正天皇様もお泊りになったところだと。なんだか、やっぱりこの人智では計り知れないことが確かにあるんですよ、この世の中には。
そういうふうに、自分の考え方を絶えず真っすぐな道を歩むことに真理の道を歩むことに真剣に考えていったなら、必ずすべての行いが全部いい方向に進んでいくんですよね。
だけど人智で考えてる場合は、どういうもんだか必ず己の考え方を認めるんですよ。そうするとこれはね、横道の方へドンドンドンドン逸れて行くわけです。
だからこの辺をもう少しね、もう一度自分ってものを冷静に振り返って、そして客観的に自分を見つめて歩むことを考えていったならば、どの辺からかでブレーキがきくかもしれないし、それと同時に、やっぱりそういう災いを起こすような因縁があるんですよね。だからそういう因縁を消すことを考えてかなくちゃいけない。
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