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いざ本番でわかる鎮魂のパワー      1992年6月14日

鎮魂

毎回のことながら、皆さん今鎮魂をなされましたね。これが本当にすばらしい行事だということを、昨日つくづく思わせていただきました。


というのはね、昨日うちの会員の河合さんの結婚式にご招待を受けまして、ごあいさつもということで行ってきました。
今日からオーストラリアに行くんだそうですよ。


河合さんは非常にハニカミ屋さんなんですけれども、ああいう席で自分の立場をはっきり意志表示して、なおかつお嫁さんとしての姿勢ですね、控えめなそれでいてその時の表現というものがはっきりできる。


これは自分では気がつかなかったかもしれません。でもやっぱりこの鎮魂をなされてると気がつかないままに魂が高まってるんですよね。


この鎮魂を皆さんにおすすめしていることが、けっして無駄ではなかったなとつくづく思わせていただきました。

魂が高まるってことは、いつも申しあげるようにあなた方の魂は神様からいただいてる分け御霊なんです。その分け御霊を復活させなくてはいけないんですよね。


ところが今現在のあなた方は、神様の分け御霊が奥の方に潜んでいて、いろんな悪い因縁をいっぱい背負ってきているの。先祖から前世から含めてね。


だから神様からいただいたホントの魂、要するに分け御霊が奥の方に潜んでしまっている。だからいつになってもね、不幸の連続なんです。


ひとつの問題が片づけばまたひとつ。その問題片づけばまたひとつの問題。結局三次元の虜になってるわけですよね。三次元の虜って何かといえば、要するに物質です。


その物質の中から生まれてくる心遣いね、そういったことでずいぶん皆さんは不幸を招いてるんですよ。


自分ではそうなるだろうという計算のもとに考えることは、みんな三次元なんですよ。


たとえばお金を作るにしても商売するにしてもね、こうすればこの商売は盛んになるだろうといろいろ考えることは、自分では気がつかないままに全て自分に有利になるような考え方で計算してるわけ。


自分に有利な考え方で計算するということは、そうならないということなんです。反対なんですよね。


自分の商売が有利になりますようにと考えてたら絶対商売繁盛しないんです。まずお客さんの立場にならなくちゃいけない。これがね、商売繁盛する秘訣なんです。


もうね、自分の店を繁盛させましょうと、どうしたら儲かるかというふうに考えてたら、いつになってもね、繁盛の店にならないんです。


そうじゃなくて、たとえば過去に私はお菓子屋をやりました。飲み屋もやりました。それで体験したことをお話させていただくんですけどね。


来るお客さんは、子供さん、おばあちゃん、若い人、いろんな方がいますよね。その人たちにどうしたらこのお店が儲かるかなって考えのもとに相対してたら、絶対にそのお客さんは離れちゃうんです。


だから客商売で盛んになる当たるっていうことは、相手の立場になりきれる、そういうふうにならないと商売は繁盛しないんです。


そうすると、相手の立場ってそれぞれ違うんですよね。子供さんの喜ぶ立場になり、また中年の奥さんの喜ぶ立場になり、お年寄りの喜ぶ立場になる。


自分のこのお店を繁盛させましょうって考える商売したら絶対繁盛しない。しまいには潰れちゃいますよ、はっきり言って。


まず商売する人はこのお店を繁盛させましょうってことは、もうカットしちゃう。そして、どうしたらお客さんに喜んでいただけるかな。そのためには、どうしたらいいか、どういう心遣いをしたら、またあのお客さん来てくださるかなと。

たとえば、山川さんがこの間飲食店を始めたんですけど、カレーライスの店をやりなさいと言ったわけね。


ていうのは、商店街でやるんだからいろんな料理を出しますとね、大衆向きになっちゃうわけですよ。


誰にでも好まれる料理も必要かもしれないけど、出だしはね、やっぱりいつも来るお得意さん、定期的なお客さん、こういうお客さんをつかむことを考えていかなくちゃいけないんですよね。


いろんな料理を作ると、あれはおいしいけどこれはまずいってなると、もうそこで減点されてしまうでしょ。


だからカレーライス一本に絞れば、どうしたらおいしいカレーライスができるかということに集中できますよね。


そうすると私が行ってね、今日は塩加減いいわね。だけどちょっと具が足らないね。少しジャガイモ入れたらとか、辛味がちょうどよくなってきたね。
いろいろご指導してるんですよね。


まるっきりルーだけのカレーライスもありますよね。でも私はなんか味気ないような気がするんですよ。


ジャガイモやニンジンがちょっぴり入ってたり、なおかつ、お肉も入ってたり、その方が楽しめるんじゃないかなって感じがするんです。


そうしましたら、そのとおりに山川さんも真剣に考えて一生懸命なんですよ。それでこの間行きましたら、味がだいぶよくなってましてね。

「山川さん、今日のカレーすごくいいよ」
「ああそうですか」
「どう、お客さんは」
「実は固定客がつくようになりました」

一度来た人がまた来る。最初はそういう商売しなくちゃ。そういう固定客を作ることが大事だよと、固定客ができたら、今度はいろいろとバラエティーにとんで、たとえばピラフを入れてみようかとか、料理を増やしていく。

でもそうなると大衆食堂みたいになっちゃいますよね。


だからこれは私の好みかもしれないですけど、やっぱりひとつに絞って徹底的に、あそこの店行ったら、これおいしいよって、そんな商売の方が楽しいんじゃないかなって、私は思わせていただいてるんですけどね。


そういうわけで、結局何かやるにしてもね、自分が儲けようと思ったら儲からないんですよ。反対に来るお客さんを喜ばせようと、そんな考え方に切りかえてなされば、必ず商売は繁盛してくんです。


私はお菓子屋もやったし飲み屋さんもやったし古本屋さんもやったしね。いろんなことやってるからわかるんですけどね。


結局お菓子屋をやってそれが一番よくわかったんです。三軒道路で3年の間に一番売れる店になったんですよね。


売れるようになるまでにはいろいろあるんです。


たとえば目玉商品っていうのがあるでしょ。目玉商品っていうのは、損して得とれっていう品物を置くわけですよ。


そうかといって、どうやらおいしく食べられるんであれば、別にわざわざ損しなくもいいわけですよね。


その辺が知恵を使うところで、私は目玉商品にお煎餅を使ったんです。そのお煎餅が外米だったから値段が安いんですけど、食べたらおいしかったの。だからあんまり損しないんですよ。


それでね、主人がお店に出るでしょ。

「おじさん、これずいぶん安いけど、内地米?外米?」って聞かれるんですよ。

「値段と相談してください」って言ってる。


そうすると、お客さん帰っちゃうんですよね。値段が安いから外米かと思っちゃうでしょう。


私の場合は違うんですよ。

「ずいぶんこのおせんべいお安いけども、味どうかしら?内地米ですか?外米ですか?」それに対しては答えないの。


だって外米を内地米とは言えないですよね。だから、これ召し上がってみてくださいって一枚出すんですよ。そうすると、

「あら、おばさん、これおいしいわね」

「じゃ、いくらかもらうわ」って、こういうわけ。


私はそういう商売の仕方をするんですよ。別にだますわけじゃなくて、おいしければいいと思うんですよね。


私と主人は、また性格が違うから、主人がいたら怒られちゃうかな。主人はすごく潔癖症なんですね。


たとえば、学校の運動会でPTAの廉売っていうのがあるんですね。そういう時に役員がお菓子を売るんですよ。それで少し儲けた分を学校のいろんな費用にあてたりするわけです。


それで私はそんな時ね、おもだった役員さんをご招待しちゃうの。そしてね、ちょっとお茶をごちそうしたいんですけど、おいでになっていただけません?鶴屋のお菓子も味わってみてくださいって、こう言うの。


そうすると、やはりみなさん来てくれますよね。お金払うわけじゃないんだから。それで私は一番高いお菓子をご馳走しちゃうの。やっぱり高いお菓子はおいしいんですね。


「あら鶴屋さん、ずいぶんお宅のお菓子おいしいわね。高いんでしょう」って。ま、値段のことはあんまり言わないことにしましょう。おいしければいいじゃないって。


「うーん、ホントおいしい」って言ってくださるんです。


そうすると必ず、廉売は鶴屋さんにしましょうってなって、みんな注文が入るわけですよ。


でも、その月は高いお菓子をただで食べさせちゃってるから赤字になるんですね。そうすると主人に、おまえが高いお菓子をただで食べさせちゃうから、今月赤字じゃないかって怒られるんです。


だけどその赤字が結局一番売れる店にしたわけでしょう。だから商売するには、損して得取れってことをしていかなくちゃいけない。


そういうふうな、まあ、気がまわる魂の次元っていうのが、それは今あなた方がなさった鎮魂によって少しでも魂が高まってくると、絶えずいろんなことに、瞬間的に、自分っていうことより相手のことに対して気を使える人間になれるわけです。


だって神様の心っていうのは、素直になんなさい。愛を持ちなさい。信じる心を持ちなさい。謙虚に、おのれに厳しくと、みなさんにお教えしてるはずですよね。


そうすると、この鎮魂をやって魂が高まってきますとね、毎日の生活の中で必ずその動作が出てくるんです。その動作によって、自分の魂がどこの次元まで行ってるなってことをある程度わからせていただくんじゃなかろうかなと思うんです。

そういったことで、きのう河合さんの結婚式に行ってね、あの人の行動を見てて、ああやっぱりよかったなあって思いました。


私は私なりにうちの会員さんがお嫁に行くと、なんかやっぱり自分の我が子が嫁に行くような気持ちになっちゃうんですよね。だから、ああよかったなあって、つい涙が出てきました。


ちゃんとね、臆せずに、そうかといって控えめに、それで言う時にははっきりと言っていて、やっぱりああいうところは、普段鎮魂とか私の話を聞いてる成果もあったのかなと思いまして、とてもうれしかったです。


ですから、この鎮魂、座禅を組んで複式呼吸から始まりますね。三次元の姿では、何でもないような子供でもできるような、そんな形ですけど、これは完全に精神統一されたら、こんなすばらしい行事はないんですよ。


そして、そういう行事をやることによって、気がつかないうちに自分の霊体は上がってるんですよ。自分の霊体が上がってるとね、何か行いをした時にその姿勢が出るわけです。


だからきのうの河合さんの結婚式に出て、私はホントによかったなあって思わせていただきました。


それでいろんな方のあいさつがありました。そういうところへ行くのも勉強になるんですよね。


たとえば渡辺さんの結婚式の時は、新婦の代表としてあいさつしたわけですよ。で、きのうのあいさつは新郎と新婦の代表ではなくて、新郎の方に2人、新婦の方に2人で4番目、これがやっぱり4番目なんですよ。


それで食事が始まってお色直ししてから、新郎新婦のお世話になっている方々が何人か代表であいさつなさいました。


河合さんは幼稚園に20年近くお勤めしていて、そこの代表の先生を立てなくちゃいけないですよね。その先生が最初にあいさつしてました。


私ね、人のこと悪くは言いたくないけれども、せっかく長い間河合さんとやってこられて、とにかくその幼稚園の代表の方です。だからあいさつを真っ先になさった。


でもちょっと言ってはいけないことがあるわけですよ。その制限ができてないんですね。幼稚園の代表でありながら、河合さんに対してみんなの前で公開してはいけないようなことを、もう平気で公開しちゃってるんですよ。


気になってちょっとご主人の方を見ましたけど。人間っていうのは、いろいろといいところもあれば悪いところもあるのが人間ですからね。


だからそういう席上であんまり赤裸々な悪い方を表現してはいけないと思うんですよ。だけども親しいから言うんだってところで、そういうことも、まあよしとして言ってるんでしょう。


でも一般の大勢の方に聞かせるには、親しいから言うんだじゃだめなんですよね。やっぱり好感を持ってもらえるような、ああなるほど愛子さんてそういうお方、そういうお嬢さんだったのかって、感心させるようなことは言ってもいいですけどね。


そうじゃなくて、あらそんなとこもあったのって、思わせるような絶対言ってはいけないようなことも平気で言ってましたよ、その先生が。


それで私、やっぱりこの先生も鎮魂が必要だなって、そう思いました。あれ鎮魂してればね、言っていいことと悪いことぐらいのことは、たぶんわかると思うんですよ。


それがね、やっぱり霊体がそこまで高まってなくて、三次元の魂の次元での感覚だから、人を傷つけるようなことでも平気でタッと言っちゃうわけ。その辺をやっぱり制限できるのは、魂が高くなればできるんですよね。


その魂が高くなることを、今さっきやったわけです。だから、いざ本番って時に、その人の価値観っていうんですか。どこまでのレベルにいってるかっていうのは、はっきりよくわかりますよね。


でも河合さん、きのうは実に大人で、だけどしおらしくて、すばらしかったですよ。もうホントにいいお嫁さんでした。


それで今度自分のあいさつになった時に、霊照会のあり方もある程度言っておかないと、「あの河合さんが、そんなところへ行ってたの」っていうふうに思われるように、自分っていうことよりも、やっぱり河合さんが主体ですから。


だから普通の新興宗教かなんかに行ってたのかしらと思われたんじゃいけないなと思うから、まずそれのあいさつもしてね。


霊照会って、名前はいかにも新興宗教の名前ですけれども、当会は新興宗教じゃありません。言い換えれば修養道場のようなものです。要するに人づくりです。ということを、まず皆さんにお話させていただきました。


それから丹波さんもうちの会員です。実は最近、中松義郎さん、あの方とも親しくなっております。ということも言っておくと、ああそうなんだ。そういうところへ行ってたのか。というふうに、河合さんの格もあがりますよね。


私自体の神様のご神格ということも考えて、なおかつ河合さんにしても、ああそういう先生のところに行ってたのかと、いい加減な拝み屋さんのところに行ってたんじゃないんだわと思わせた方が、河合さんだっていいですものね。


だから河合さんのためも考えたり、また自分の霊照会の立場も考えたりして、いろいろと話させていただきました。


それで、一緒に行ったお弟子さんたちが言うには、ほかの方があいさつする時は、ザワザワしていたと、先生のあいさつの時は、シーンとしちゃったって言うんですよ。


だから、お世辞で言ってるんじゃないのって言ったんだけど、いや、ホントですよ。先生のあいさつの時は、みんながもうシーンとしちゃった。こう言うんですね。


ここのとこなんですね。だから今あなた方が霊照会でやってることは、決して無駄じゃないんです。


何かひとつのことがあった時には、自分の価値ってものが、そこでもって必ず表現されますから、この鎮魂だって決して無駄な行事じゃない。いざ本番って時に、ちゃんといかされる行事ですからね。


結局、魂の次元が高まってきてるということは、何か自分に事があったりした時に初めて、私、ああ不思議とよく言えたな。なんかすごく落ち着いてできたな。そういうふうな非常に後味のいい自分ってものになってるんですよね。


これはやっぱり鎮魂、なおかつ霊照会に来て私の話を聞いていただいたり、いろいろな行事をやることによって、あなた方が、いざ本番の時に、ちゃんとその成果が出るんですよ。


だからみなさんね、決して無駄じゃないですから、これからも真剣に取り組んでみてください。


絶対に何かの事があたった時に、ああよかったなっていう答えが必ず返ってきますから、どうか真剣に取り組んでみていただきたいと思います。お願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

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