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一番幸せになる道  1992年7月22日

  
  1. 伏見様のお力が非常に必要             P.1/4
  2. 頂上極めると、我慢することも苦しくなくなる    P.2/4
  3. 遠隔で霊感を送る                 P.3/4
  4. みんな同じ魂をいただいてる            P.4/4

2.頂上極めると、我慢することも苦しくなくなる    P.2/4

私って何でもそうなんですけど、やりだしたら長いんですよ。皆さんに笑われるかもしれないけど、今カラオケに凝っちゃって、これも長いでしょう。


先生、よく飽きないなと思ってるんじゃないかなと思う。そのくらい私は凝り性なの。中途半端でやめるの嫌いなんですよ。


これはね、私の持ち前で、何でもはっきり掴み取るまでやりたいから、いろんな面で我慢我慢してやってきた人間だから、


それで神様から、そなたの心を見届けたって認められて、認められたから、我がおまえに力を注ぐぞと言って、注いでくださるから、


予知能力とか霊感をいただいて、いろんなことをわからせていただく。


そして奇跡が次から次へと、自分もいただくし、他人にまで及ぼしていただくんだと思うんですよね。


神様に認めていただかなかったら、そういう能力はいただけない。


能力をいただくっていうよりも、神様にお下がりになっていただくわけですよね。私じゃないんです。


そういうふうに、本当に私の心ってそういうものを持ってる。性質的にはっきり掴み取るまで私はやりたいんです。だからホントに中途半端で終わらせたの、何一つないんです。


それで今カラオケの話が出たけど、私は詩吟もやりました。このお仕事をしながら、詩吟の道場も通いました。


そうするとね、他の普通の家庭の主婦はそれだけに心を集中できるから、1時から4時までなんですけど、たっぷり3時間やるんですよ。


私なんかは、3時半頃、やっと駆けつけてね、30分くらいしかやれないんです。それでも11年間やることによって、師範の免状いただくんです。


でも詩吟やってる時も、あ、なるほどなと思ういい修行させていただきましたよ。


最初の頃、教師が何人かいるんだけど、歌い始めると、あんた、その大観たいかんのとこが全然伸びてないよ。あんた何やってんの一体全体って、もう行くのやだなと思うくらい、徹底的に言われますからね。


そしてなおかつ、お茶を皆さんに出さなくちゃなと思って、30分しか時間がないんだけれども、お茶くみもさせていただいたりして、習う時間なんか、ホントに僅かだったんですよ。


それでその頃には、私はもう既に何人か会員さんがいて、会を持ってたわけです。だから30分しか習いに行けないわけですよ。


で、会では皆さんが、先生って言って、食べたい物を用意してくださったり、お茶を入れてくださったり、すべてが痒い所に手が届くっていうか、ホントに私のために尽くしてくださいます。


そうすると、霊照会では皆さんが、もう私の思うような気を使ってくれる。その私が詩吟を習いに行くと、


あんた、まだそんなとこわかんないの。なんて徹底的に言われて、どうもすみませんって言うんですよね。


面食らっちゃいますよ、はっきり言って。だからいい修行ができましたよ。


それでもとうとう11年間やって師範の免状を取りました。鎌倉の私の家に師範の免状が飾ってあります。


だから私は詩吟の先生にもなれるんです。

       

そういうわけで、私は何でもやりだしたことは、最後までやりたいっていうのが私の信条でしたから、


何ていうのかな、極めるって言うとおこがましいんですけど、極めるまでやらないと気が済まないんですよ。


でもその極めるまでやりたいっていう、そんな心が私にあるってことは、ホントにありがたいなと、実は思ってるんです。


やっぱり人生ってね、人間ひとつのことやりだしたら、とことん極めるってことは、とても大事だと思うんですよ。


極めることは何でもいいんですよ。絵であれ、音楽であれね。はっきり言うと霊的な世界まで行かないと、極めるとこまで行かれないんです。みんな共通してるんです。


過去のいろんな絵描きさんとか、音楽家にしても、名を成してきてる方っていうのは、みんな極めてるんですよね。


その極めてる方っていうのは、三次元の世界を超えた、要するに神様から分け御霊をいただいてる、その本質でもって絵を書いたりするから素晴らしいものができるんです。


その本質は、皆さんの奥の方に潜んでるんですよ。それを真剣に取り組んで、どんどん活性化させたら、皆さんも素晴らしい人間になれるんです。そんな素晴らしいものを、皆さん個々に持ってるんです。


よその道場に、あそこ行ってよくなろう、ここ行ってよくなろうなんて考える必要ないの。自分の中に持ってるんですよ、よくなるものを。


ただしね、私が詩吟をきわめるまでやった。なんか最後まで極めるまでやらなきゃ気が済まない。ここのとこなんですね。


結局、人間は極めるとこまで行くと、神の世界に通じるもの、要するに神様からいただいた分け御霊の信条になってくるんです。分け御霊の魂の発露の心になってくるわけです。


だから過去の歴史を尋ねても、歴史に残る大人物っていうのは、みんなそこまで行ってるんです。要するに神様からいただいてる分け御霊を復活させてるとこまで行ってるんです。


皆さんも、それ出来るんですよ。神様から分け御霊をいただいてるんです。歴史に残るいろんな聖人が、特別の人間なんじゃないんです。みんな同じ人間なんです。


ただ、同じ人間だけれども、神様からいただいた分け御霊の復活をね、そこまで努力しないの。


中途半端で、三次元の世界に物質の世界にとらわれてね、魂の世界の心使いってものを、どうしても作ろうとしない。だから結局いつになっても、そういうふうに素晴らしいものになれない。


作品を作れば素晴らしいものができるっていう人は、神様からいただいた魂の次元まで行ける人なんです。


皆さんだって、その魂の復活に真剣に努力したなら、今おやりになった鎮魂もそのひとつですよ。よく自分、こんなことできるなって思うようなことができてきますよ。


だからね、私は何十年間のいろんな里の行で体験したから、その一番大事なポイントを皆さんにおすすめしてるんです。学問じゃないの私のは。活きた勉強なんですよね。


ですから、過去のそういう聖人だって、みんな神様からいただいた魂の復活、要するに魂から出るところの心の発露、こういったものを使って真剣に取り組むから、絵描きさんは素晴らしい絵が出来たり、音楽家は素晴らしい音楽が出来たり、お茶にしたってそうですよね。


皆さんも同じ魂を持ってる。その開発をすればそこまで行けるんですよ。だから私がこうやっておすすめしてるわけ。


皆さんにないんじゃすすめられないけど、神様は平等だから、みんな一様に神様の魂をいただいてるんです。


それなのにその分け御霊の復活を考えないで、三次元の物質の欲にとらわれる方の心ばっかりでね。


あれこの人、いつの間にかだんだん悟ってきたかなと思うと、また物質が出てくるのね。自分じゃ気がつかないままに物質の世界に翻弄されてるの。本人は気がつかない。


ところが第三者に話しすると、あれ先生、誰々さんおかしいですね。ってこう言うんですよね。だからホントに自分のこと、わからない。これは不思議。


結局ね、神様からいただいた魂の復活をしていただこうと、そういう道を私は今、教えてるわけでしょう。


で、今いろいろ物質の世界でもって葛藤して、やっぱりもう私はここから脱却して、どうしても神様からいただいた魂の復活をしなくちゃいけないんだって言ってる人が、目の前に物質がぶら下がると、また物質に飛びつく。


だから人間って憐れだなあって思う。この人間も永久に神様からいただいた魂の復活は願えない心の持ち主だということですよね。


この辺に気をつけて、神様からいただいた魂の復活をするには、捨て身にならなくちゃだめなの。三次元の肉体を持ってる自分をかばう気持ちじゃ、その魂はいつになっても復活しない。


どうしても三次元の方に心が行っちゃうの。三次元に住んでるから三次元の世界を満たされる方が楽なんです。楽の道を望んじゃうんです。


それで神様が、そなたの心を見届た。とはならないで、神様が声をかけてくれない。結局、おまえはダメだということになっちゃうの。


だからこの辺でね、惜しいなあと、やっぱり物質人間だったかなって、私にすれば寂しいなと思ったりね、ま、いろいろとあります。


どうか皆さんね、私も真剣です。本当に神様いらっしゃるんですから、皆さんの魂も神様からいただいてるんですから、その復活を徹底的に願う信条になっていただきたい。


ところが物質の世界だから、目先に物質が転がってる。目先のものは欲しい。そうすると自分は助かるような錯覚を起こすんです。そこでみんな落第になっちゃう。


それは自分を不幸にする道なんですよ。物質の世界の心は入りやすいけども、それは邪道なんです。


自分を幸せにする道っていうのは、神様からいただいた魂の活性化をする方が幸せになれるんです。


神様から、そなたの心、見届けたって言われるように、おまえはダメってされないように、それは険しい道ですよ。


だけど、山だってそうでしょう。ずいぶん険しい道だけれども、頂上に上がった時はどうですか。あの気持ちですよね。頂上を極めれば、今度下りるのは楽なんですよ。


頂上に上がるまでの自分の魂の活性化ってものを真剣に取り組んでいただいたなら、いつもいつも最後まで苦しいかっていうと、そうじゃないんですよね。


自分のことを言っちゃいけないかなあと思うんですけど、でも私の体験で言わせていただくんだから、言いますけど、今の私はすごく楽なんですよ。何故かというとね、我慢することも苦しくなくなるんですよ、はっきり言って。


この辺は我慢しようって思えば我慢できるんです。


人から誤解されてもね、あれ、それ間違ってるのにと思っても、誤解されることを気にしなくなるんです。


どんなに誤解されることでも、困っちゃったなあじゃなくて、いつかは正しいことがわかる。というふうに考え方が絶えず非常にソフトに受け止められるんですよね。これがありがたいんです。


だから、前に理事長が言ってたように、うちの先生は、雨の日もありがたい、天気の日もありがたいって言う人だって、ここのとこなんです。


ていうのは、どういう状態でもね、軽く受けとめられる心になる。いいことだから軽く受けとめられる。悪いことだから大変だ。なんでしょ、普通は。


ところが、悪いことも大変じゃなくなってくるんですよ。軽く受けとめられる人間になれる。だから私が言うのは、そうなんなさいってことを言ってるんです。


そうなるまでが大変ですよ。富士山だって12合目まで上がるには大変ですよ。途中で下りようかと思うぐらいでしょう。頂上まで極めることを考えることです。


そうすると今度は下りる時、楽だから。楽だっていうのは、すべての心を身につけちゃうから。


たとえば、人から罵られても、そんなに気にならない。馬鹿にされても腹がたたない。そして誤解されてもね、いつかはわかる。すごく楽なんですよ。


そして、いろんな仕事が自分に来た時でもね、あ、それは私できないやじゃないんですよ。自分に向けられたことは何でもやってこなしましょうと、その時はもう真剣ですよ。

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