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祈りの素晴らしさ 1991年2月16日

  

今日は、この会のあとに、新橋でズイダン会という会のほうへ、それでいろいろ私の使命感を、お話しさせていただくんです。


前の会の時に、オーナーの方が、「この湾岸戦争の問題、一日も早く、いい方向に、この戦争を終わらせていただくように、一生懸命お祈りしてください」と言うから、


それはすでに、お祈りしています、真剣にと。


うちの会員さんたちにも、私のうちの場合は、何か私がひらめいて感じた時には、


「大難が小難で済みますように」という念を、自分のことばかりじゃなくて、そういうことを、必ずいつも心にとどめて、一生懸命お祈りしなさいということを、お教えしているんです。


そう言いましたら、「ああそうですか。お願いします先生。」と言って、


大丈夫よ。私も一生懸命、皆さんにもおすすめしているくらいだから、自分もそれは真剣になって毎日お祈りさせて頂いています。とお話しました。


ハッキリ言って、祈るということが、なにか、目に見えない、非常に無知な姿勢のように感じている方が多いんですよね。


この前も、会員さんの中のご主人さまが、「祈って何になるんだ」


ある会に行ったときにも、議員さんが、「祈って何になる」ということが、やっぱり出ました。


どうですか?…  
隣りにいる方の心が見えますか?
お互いに見えないでしょう? やっぱり心が目に見えないでしょう?


ところが心は絶対にあるんですよ。ないわけないんです。


今こうして、それぞれの姿をいただいてますね。これが自分の本体じゃないんですよ。


心が自分の本体なんです。
その心を司っている魂というものがあるわけです。


その魂の変動によって、要するに変わり方によって、私たちの親に、要するに神に、その心が届くわけです。私たちは、神の子なんですから。


そうすると、不可能はないんです。神様には、この世に不可能は絶対にない。


その不可能のないお力を、一生懸命あおぐんですから、祈ることによって、そこに、我々が想像できないようなことが行われる。


こんなに、祈りぐらい素晴らしいことはないですね。


それがまだ、学者とか、少し学問してる人達は、特にですね。
目に見えないことに対しての所業というものが、何もならないと、実際にこの体で行動しないと、ことが納まらない。という考え方が強いんですね。


じゃあ自分たちの体を動かして、どれだけのことが出来たんですか? 


過去を振り返っても、自分たちが心で思ったこと、あくまでも、体、要するに物質を対象にして思ったことだから、みんな欲の心でもって、一生懸命思って行動に運んでいるんです。


それで、可能になったか? ならない……。どんどん不可能の方に進んでいるんです。


今現在、ひとつも地球は平和ではなくなっちゃったの。昔の方が、よっぽど平和だった。原始時代の方が、よっぽど平和だったんです。


そして人間も、原始時代の方が、よっぽど閃きがあったんです。それは原始時代の方が、魂が神の方に近かったから。


物質にとらわれて、欲の心がどんどん成長してしまって、それからってもの、神心がだんだん、だんだん、薄くなってしまったんです。


そして、神心じゃなくて、物質心の自分を本体だと、いつのまにか錯覚をおこして、物質心で行うことが、正しいんだと思い込んでしまっている。


学問で、頭でっかちになっている人の中に、特に多いですね。


じゃあ、その物質心で動いて、何が出来るかといえば、みんな破壊になっているじゃないですか。
実りません。


それは、要するに人間の欲から出たところの心だから、破壊になるに決まっているんです。


お互いに欲ということは、己防備でしょう。欲から始まることは、己中心なんです。それで、和を保てるはずがないでしょう。だから結局、今のような、こんな世の中になってしまったんです。


これからは、そこに気がついて、科学文明は、もう終わり。


これからは精神世界をどんどん広げなければ、地球は破滅するという寸前に来ているんです。


そういうことで、私は一生懸命これからも頑張ばらせていただこうと思っております。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました

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