- どんな時も神と自分と一体 P.1/4
- 三次元の世界での自分の価値 P.2/4
- 自然の法則に乗った生き様 P.3/4
- 自分の生き様にありがたいなと思えるように P.4/4
4.自分の生き様にありがたいなと思えるように P.4/4
自分の何十年間の人生観で味わったことでホントに神ってものはいらっしゃるってことを、肉眼では計り知れない素晴らしい偉大な力があるってことを、あらゆるところで体験させていただきましたからね。
一家心中のところまで行ったこともあるし、それを救われてるのもその心境だったしね。
ズーっとその後いろいろと、普通の人だったら、もうはっきり言ってとっくに主人とも別れてるようなこともありますよね。
それでも、私はなんて言うのかなあ。神様からの、その、考え方ね。要するに人事を尽くして天命を待てってことがあるけれども、
とにかく自然体っていうかな、自然で行われてることを破ってまで自分が幸せになろう、幸せになろうって考え方は、振り返ってみるとなかったですね。
ただ正しく生きよう、人間らしく生きよう。ただそれで来たんですよ私は。それで今があるんです。だからどんな苦しい時でもね、主人が借金を作ったときも無我夢中で返しましたね。
これもね、その心に神様がちゃんと私を手伝ってくださって、そういう奇跡をどんどん与えてくださったんじゃないかと思うんです。
私の力じゃ絶対できません。
自分がもし肉体人間の感覚でいたら、物質にとらわれた生活、物質にとらわれた人生観でこんにちまで来てたら、おそらく今がないです。
もしこの世にいるとすれば、地下道で寝てるほかないわね。
ところが私はおかげさまで、どんな苦しい時でもこの肉体の苦しさってことよりも魂の次元の方を尊んで、ホントに正しい生き様をしようと思って真剣に歩んできたから、それで今があるんじゃないかなと思うんですよね。
自分が楽なこと考えれば、主人が背負った借金を返すのも一度か二度でもう離婚ですよ、普通の人はね。
でもなぜ離婚をしなかったのかっていうと、これも与えられた私の道、こう思ったんですよ。だからこの中で自分が真剣に歩めばいい。
その与えられた道の中で私は負けないよと自分に言って聞かせてね、それで私は無我夢中で歩んだんです。
結果においては、神様ちゃんと見てて、私に力を与えてくださるんですね。だからその借金も全部きれいにできちゃったの。だから私じゃないですよね。私の力じゃ絶対できません、はっきり言って。
それで、生まれて3歳の時にお母さんに死なれてからの過去をズーっと振り返ってみて、今でも目をつぶって冷静に考えていくとね、まあ物質的に考えるとずいぶん薄幸に感じるんですよ。
でも今度は物質的じゃなくて魂の次元で考えるとね、よくぞ私やってきたな、ありがたいなと、よくぞやってきたなって自慢じゃないですよ。そのあとがありがたいなって気持ちになるんですよね。だからここのところなんですよ。
その自分の生き様にありがたいなあっていう気持ちで、どんな苦しい状態でも生き延びていける人間になったら、必ず奇跡はどんどん、神様が力を貸してくれることを奇跡というんですよ。
神様が力を貸してくれるような自分を作ることですよ。それが本当の幸せを掴むことなんです。どうかね、そういう自分を作ってください。
今、鎮魂おやりになったでしょ。これもそのひとつですよね。自分を作ることが神様から親様から手を差しのべていただけるわけ。
ところが物質人間にとらわれた自分の感覚で絶えず生きていったらね、神様の手は差しのべていただけないんですよ。独りよがりで一生終わってしまうわけよ。
それで結果においては、なんか私はつまらない、私ばっかりこうでああでっていうふうになるんでしょうけど、私はそれだけの苦しい中でもね、私だけが苦しんでこうでとは思ってませんよ。
なぜできたんだろうって不思議に思います。後はありがたいなと思いますよね。だから結局、物質にとらわれてないから、そういう考え方になれるんだと思うんです。
本当の魂の次元で生かさせていただいたから、そういう考え方になれるんだろうと思うんです。だからこういう明るい顔もしていられるんだろうと思う。
この頃来なくなったね、あの、堀さんとかって人ね。ここのところ来てないけど、絶えず物質にとらわれてて、やっぱり顔に出ちゃうんですよね。
だからいつも私が申し上げますけど、鏡を見てね、自分の顔がどんな苦しい時でも豊かなほのぼのしい顔してたら、
あ、私は自分では気がつかないままに魂の次元がそれだけ神様に近づいて、神様の子として恥ずかしくないところへだんだん近づいていってるのかな、顔に出てるわって、こういうふうに思える人間になってもらいたいと思う。
鏡見て、どうも私ちょっとまだ癖があるなと思うときには、それはまだ心がそこまで行ってないの。だから絶えず鏡を見るとってことは、とっても必要ですよね。
だから私なんかはこういう人の前に出る時は、あんまり年寄りくさいと皆さんも頼りないなあ、あんなんで何だかちょっと心もとないなって思わせたら、あなた方に申し訳ないと思うからね、せいぜい若作りしてこうやってお化粧もして少しでも美しくなりましょうと思ってね、
うちに帰った時は素顔でいますけど、だけどあそこにいる加藤さんなんかは、先生お化粧しない顔が、かえって綺麗ですよ艶があって、なんて言ってくれましたけど。
でも私にしてみれば、皆さんの前に出てこうやってお話するのにね、ばかに先生も歳とったなあ、頼りないなあと思わせるだけでも、あなた方の心をホントに幸せな心に誘導できないでしょ。
それもあるから私はせいぜい歳のことは考えずに、少しでも皆さんから、あ、頼もしい先生だと思われるように自分を作っていかなくちゃいけないなと実は思っているんですよ。でもうちにいる時だけは、もうかまわないの、ホントに。
もし私が普通の家庭に入っててそれでもうこの歳になって、あと何年生きられるかな、なんて、それで毎日寝て起きて、その辺の、まあ草取りでもして、うちの中の掃除でもして、買い物行って、なんて生活だけで、もし終わったとしたら、私はもっともっとお婆さんになってると思うんですよね。だってかまわないもの全然。だから楽は楽、その方がね。
だけどそれ、私の根性としてはその生き様はできませんよね。だから私は死ぬまでやっぱりおしゃれして死ぬんじゃないかなあと思ってますけどね。
私もいろんなこと考えて、こうやっておしゃれもしてるんです、はっきり言うとね。
どうか皆さんもね、ホントの自分を作っていただきたい。それを神様はちゃんと見ていてくださる。私たちは神様の子なんだから、いわば私たちも神様なんですよ、はっきり言うと。
そこまで成りきれるようになれば、あなた方も奇跡が次から次へとね、どんな時でも起きてくるんです。これは不思議ですよね。
私はそういう体験したので、あの本も出させていただきましたけど。どうかあなた方もそんな体験を積み重ねていく一生を繰り返してください。
そして死ぬ時に、あ、これでよかったなあと、ホントにいい生き様だったな。そういう思いを残してこの世を去る自分になってほしいと思うんです。お願いしますね。よろしくどうぞ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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