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雨の日もありがたい   1992年5月17日

  
  1. 魂がいかされる生き方    P.1/3
  2. 捨て身の使命感       P.2/3
  3. 霊的な目覚め        P.3/3

1.魂がいかされる生き方    P.1/3

本日はご苦労様です。


今、浪越さんの方からお電話がありましてね。去年から新生同人会っていう会を結成していて、ぜひ私に副会長になってくれと言ってきてますし、この間は日本協会で閉会のあいさつをさせていただきましたけど。


結局、当霊照会だけじゃなくて、霊的に取り組まないいろんな会でも、非常にこれからは霊的な活動が必要なんだということを、何て言ったらいいんでしょうね、


今まで理屈ばったお話とか、とにかく現実のお話、こういったお話をする会の先生方が、非常に霊的なものを欲っしてるんですね。やっぱり今そういうところに来てるんです。


ですから、そうなるともう、日本協会も副会長、新生同人会も副会長。結局これもね、すべてが神はからいだと思うんです。


この間も日本協会というところで閉会のあいさつをしましたけど、結局その会の目的は、今の若い世代の人たちを集めて、どんどん活きた会にしたいということで試みたんですけどね。


とにかく今新しい人がどんどん育たなければだめなんだということで、今までの日本協会っていうのは、わりにお年の方ばかり来てたんですよ。


ところが今回の日本協会は若い世代の方がいっぱい見えてまして、それでお互いに討論させてたんです。


それで私の霊照会でも会員さんをお連れしたから誰かにと思って、霊照会はひとりも討論に出席しないなんて、なんだ、あの霊照会っていうのは、案外力がないんだな、何も言えないのかな。ていうふうに思われるのは神様に申し訳ないなと思ってましたから、


それで安田さんがわりにしゃべることが上手なんですよ。それで、安田さんって言ったら、いやあって言って、山川さんに頼んだんですね。それで山川さんがお出になったんです。


はっきり言いますとね、ここでの山川さんっていうのは「あの、あの、」が多すぎる。


あれ、安田さん、あなた山川さんを選んだのって思ったけど、腹の中でね、困っちゃったな、あんなに「あの、あの、」入れて話したんじゃね、ここで集まってる世代の人たちっていうのは、もっとも山川さんも東工大を出てるんですよ。


集まった人たちが、やっぱりそういうエリートなんですよね。そういう人たちの討論なんですよ。


だから山川さんが、「あの、あの」入れた話じゃ、ちょっとね。東工大出てるのに、どうしてあんなに喋ること下手なのかなあって私は思って聞いてたんですよ、ここでのあいさつはね。


ところが、やっぱりこれも神様のお計らいだと思いますね。山川さんが立って皆さんにごあいさつした時、霊照会の主旨はこういうことを、神様のご指示を仰いで副会長を通して、こういうふうな学びをしてるってことを、正々堂々とその若い討論会の人たちに負けない迫力でお話したんです。


それもすごい大きな声で、いつもの声は小さいんだけど、もう若い人に負けないぐらい大きな声でね、ただのひとつも、ひとことも、「あの、」が入らなかった。


実に負けないだけのお話が出たんですよね。ああこれもやっぱり神様のお計らいかなと、つくづく思いました。


山川さんが何とかして、この人たちに負けないだけの、僕は選ばれてこれからの霊照会のあり方を表現しなくちゃいけないんだっていう、肉眼では見えないけれども、天之御中主大神様、宇宙神ですよね。その神様がお下がりになっていただくところにいての私、あくまでも神様を主体性に、私の教えを主体性に考えてのごあいさつだったと思うんです。


だからあれだけ迫力があったお話、要するに神様がお手伝いしたんじゃないかなって思うくらい、若い人たちに全然負けないだけの迫力でお話してたんです。


だからやっぱりこの世の中にはその心になれば、普段表せない表現も力も表すことができる。というのは、自分じゃないんですね。


人間っていうのは、自分が自分がって言葉をよく使うけれども、その「自分が」というのをもうちょっと深くお考えになって、「自分が」だけではね、すばらしい人間になれないんですよ。


自分がじゃなくて、そこにアルファ、要するに偉大なる神様、私たちの親ですね。いつも申し上げるように私たちの魂の親ですよね。


魂って別のもののように考えるけれども、本当の本体は魂なんです。今こうやって肉眼で見えるこの肉体、これは私たちの本体じゃないんです。


これは神様が、この本体のお宿として私たちにお貸しくださってるんです。だからいつかはこの形はなくなっちゃう。


それこそ長生きする人は百歳まで生きるでしょうけど、だけどまあ、肉体が長く存続してることだけが生きることじゃないんですね。


やはりその肉体に宿った魂が生かされた状態。これが生きるということだと思う。


ホントに生かされた状態ってどういうことになるのと、私が「死ぬのは怖くない」の本にも書いてありますようにね、やっぱり神様の分け御霊としての心づかいができなければ、生きるってことにならないんです。


その心づかいっていうのは、要するに神様から分け御霊を私たちは平等にいただいてるんだから、皆さん全部が神の子なんです。


神の子である以上は神様が私たちの親なんです。 そうすると親様の心を私たちも受け継いでるわけですよ。


親様の心ってどんな心といったら、「死ぬのは怖くない」の本にあるように、まず素直になること。そして愛を持ちなさいと、信じる心を持ちなさいと、そして謙虚に、己に厳しくと。


こういう心がね、神様の本体の心なんです。だからそういう心を私たちもホントは養える魂を持ってるんです。


ところが何回も繰り返すように、三次元の世界で物象の世界で、人間がいつのまにか物質を通していろんな欲のしがらみができちゃったんですね。


やれ、お金が欲しい。やれ、名誉が欲しい。やれ、体が健康でありたい。みんなこれが中心なんですよ。その中でいつのまにか神様からいただいた魂の次元の心づかいを見失ってしまったの。


そういう過去から現在にわたっての現状なんです。それでここへ来て、もういよいよ末世へ来てんるです。


末世ってのは何かっていうと、日蓮様のお言葉の中にもね、三千年の末法という言葉があるんです。その末法が今なんですよね。


そうすると、キリストの東方より救い主現われるっていう言葉があるんですけど、これも今につながるんです。


ノストラダムスの予言なんかでも、みんなここへ来て全部つながってるんですよね。


ですから今ここへ来て21世紀を迎えるにあたっては、相当の覚悟で人類が自分ってものの姿勢を神様からいただいた分け御霊の心に復活しなければ、人類は滅びてしまう。そういうところへ今来てるんです。

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