皆さん、何のために神様を求めているんですか?
そう考えたことありませんか?
やっぱり救われたいから・・・なんでしょうね。
じゃ、その神様にどうしたら救われるでしょうね?今日は私から質問しますよ。
加藤さん、お願いします。
先生がいつも言ってらっしゃる五つの心を絶えず自分に言いきかせて、まあ、私などは、あまりたいしてできませんけど、神に一歩でも近づければと思って、日常生活をおくっております。
はい、その五つの心を、ちょっと言ってみてください。
愛を持つこと・・・
一番大事なのは、最初は違うんですよ。
一番大事なことですか?
素直があるでしょ。
素直な心・・・
そう、素直、次が愛・・・
愛を持つ、信じる心・・・謙虚になること、それから己に厳しく
はい、そのとおりです。皆さんホントですよ。毎日自分ってものを振り返って、この五つの心を、絶えず心の中に、頭の中に入れておいて、
そうして、人との折衝もしてなさると、トラブルも起きないし、またいろんな面で思わぬ優位な不思議な展開をしていきます。
だから今日もそんなお話が、来るときの車の中で出たんですけど、よくね、信仰を持たない人は、自分の力で人生を開拓していく、自分の力で築きあげる。そういう考え方をお持ちになって、
何かに頼ることが、とても人間として意気地がないということになってしまうんじゃないかと思うんですよ。
そうですね、学問をしてる方というのか、頭のいい方というのかな。そういった系統の方たちに多いように思います。
それだとか、この間もある会場で、私が「神」という言葉を使ったら、
鶴田先生は、神とおっしゃったけど、僕は「天」と言うと、言ってましたよね。
何で神という言葉を、そんなに言いたくないのかな。要するに頼るということが、神様を対象に考えると、
とても自分が意気地のない人間というふうに思うのと同時に、非常に低次元の人間というふうに考えるんでしょうね。
神と天と、どう違うんだろうと思うんだけど、「僕は天なんだ」こうですね。
神からいつも守られてるというのと、天からいつも守られてるというのは、同じことじゃないかと思うけれども、
その方は、天っていうほうが、なんかすっきりするんですね。神って言うと自分の心が惨めになるんですね。
だからね、そういうことを考えて、なんて言ったらいいんだろうか。長年の習慣でそうなのかしらとか、いろいろ私も考えるんですけども、
人間は神様というものを、とても抵抗に感じる人がわりに多いんですよね。
信仰してる人でも、たとえば私がテレビに出ている頃は、いろんなタレントさんを知ってますけどね。それで、
「あの、神様、信仰してるっていうことを言わないでください」と、言うんですね。
神様を信仰してることは、世間に対して、とてもみっともないというふうに取ってる方も多いんですよ。だからホントにこの辺が、私は解せないなと思います。
いつも申し上げるように、神様は私たちの親なんですよね。親のことを呼んで、なんで悪いんだろうなって思いますけれど、その方々は、神を親とは思ってないんだろうと思うんですね。
神っていうのは、異様な、なんかこう哀れな、力のない意気地のない人間が、一生懸命になって、かじりついて、縋る相手だと、こういう考え方をしてるんだろうと思うんですよ。
だから神、神っていうことは、とても嫌うんですね。いろいろな方と会って、いろいろ体験させていただきますけども、なるほどなと思います。
じゃあ人間が、人智でどれだけのことができるのと、言いたいですよね。
いろんなところへ私も顔を出してますけれども、皆さん非常に立派なことを、世界を救うだとか、おっしゃってる。地球維新だとか、いろんな名前をつけてね。
とにかく、すごくすばらしく大きいことを言ってるんですけど、でもそういう人たちって、神様は否定してる・・・まあ、否定じゃないんでしょうけど。
神様を頼る、信仰するっていうのは、とても意気地のない姿勢というふうに、考えてるんじゃないかと思うんです。
そうじゃないんですよね。私、これは、いつも自分を振り返って思うんですけども、
たとえば、いろんな奇跡が私をとおして出ますね。今日は小林さん、見えてるかな。
この間、小林さんのだんな様のお父様が脳溢血で倒れて瞳孔が開いたと、それで電話がかかってきて、
「先生、夜の御祈願をお願いします。もう瞳孔が開いたから、医者はだめだと言いますけど、なんとか御祈願をお願いできないでしょうか」と、
「じゃあ、やってみましょう」ということで、御祈願しました。
そして病院へ行ったら意識が戻ったと、電話がありましてね。それで今度は、とうとう退院できたでしょう。
そういうようなことが、いろいろと、先生お陰様でって報告されます。そうすると、私はいつも神様の前で、ホントによかったな、ありがとうございますと。
それと同時に、私ごときね、いつもホントにこの世で最低だと思ってるんです。
その私をとおして、医者でも瞳孔が開いたらだめだっていう病人が治ってしまうなんて、なんてありがたいことなんだろうな。こういう心境になると、また涙がでてくるんですけど。
そして、神様に対してホントにありがたいなと思う。そうでしょう、私に何ができるんですか。私は何もできません、はっきり言って。
本当になんの力もない。まあ一生懸命がんばることだけ。がんばったからってできるもんじゃないですよね。
でも、そういう奇跡を神様からほどこしていただいて、あちらからこちらから、先生のおかげでこうなったと、いう言葉を聞くたびにね、なんてありがたいんだろうなって、
皆さんが叶ったことに対しての感謝のあとにはね、今度は神様の前で、ありがとうございますって、自分の感謝になるんです。
だから、そこのところなんでしょうね。自分にはどれだけの力があるのかということを考えるよりも、むしろ自分はなんの力もないんだと、
ただし、自分は神の子なんだから、神の子にふさわしい自分にならなくちゃいけない。そういう心を養っていかなくちゃいけない。
そのためには己に厳しく、徹底的にいかなくちゃいけないんだ。甘えちゃだめなんだよ。そう、自分に言ってきかせますよ。これは皆さんにも言いたいんですけどね。
ですから、たとえば、私は仕事のことで幾日も幾日も出ることが多くて、昨日は広尾で、おとといは髪がだいぶ伸びて、美容院に行きまして、
その前の日はお祓い、その前の日もお祓い、その前の日は広尾と、とにかくずーっとね、休みなく続いてるんですよね。
ところが美容院に行ったときに、隣りに来たおばさんが、おばあちゃまみたいな人なんだけど、
奥さん、ずいぶん頭の毛が黒いね。私はもう歳だからねえ、どうしても毛が抜けて、しょうがないんですよ。
奥さんみたいに多いといいけど、年取ると毛がだんだん少なくなるんですよ。もっとも奥さん、まだ若いからね。
こう言われたんですよね。
おいくつですか?
私、もう68ですからね。
そうですか・・・・・もう自分の歳が言えなくなりました。
これだけハードなスケジュールをこなさせていただいているのにもかかわらず、68才の人よりも、数えてみたら、私、四つぐらい上なんですよね。
それが、そう言われたんですから、ありがたいなあって思いました。
こうやって、ずいぶんハードに一生懸命活躍してるのに、夕べ寝たのが、やっぱり1時ごろで、でも今朝早く目が覚めちゃって、5時半ぐらいだったかな。
それから、またひと寝入りしようと思ったんだけど、いろんなことが頭に入ってきて考えちゃって、眠れなくて。
それで、鎌倉山(カイロプラクティック)へ電話してみたんですよ。そしたら、先生、今誰もいませんよって言うから、
すぐ仕度して急いで外へ飛び出して、バスを待っていたら、もう一人男の人が待ってたんですよ。
そしたら目の前を、大船のほうから来たバスが通るんです。ああ、あれ江ノ島行くんだなと思って下向いてたら、バスがプップって音を鳴らしてたんですよ。
そしたら、その男の人はスッ飛んでいくんですよね。あの人なにか忘れ物したのかしら、なんて思って、こうやって曲がっていくところを見てたら、
あっそうか、大船の方から来るバスで、こっちへ曲がるのは諏訪ヶ谷廻りなんだな。そうすると、あれは鎌倉山行くんだわと思ったから、あわてて私も飛んで追っかけていってね。
そしたら、ちょうど藤沢行きのバスが来て止まったのと、その前に何かの車が止まってたことで、本当はもうスッと動いて行っちゃうはずなのが、止まって動けなかったんですね。
だから私、バスとバスの間を走っていって、もう戸が閉まってたんですけど、前へ行ってトントンとたたいたら、ガラッと開けてくれたので乗れてね。
だから、すぐそういうふうに順序よく行ってくれるわけですよね。
それで、鎌倉山の先生にカイロしてもらったのはいいけど、
いや、先生、相当疲れてますね。だけど疲れれるの、当たり前ですよ。このお歳で、これだけ動く人いないですよ。もうホント、驚きますよ。
普通は先生のお歳だったら、みんな、もううちにいて、のんびりとテレビでも見たり、
もし出かけるとすれば散歩にでも行くとか、なんか芸事を、ちょっと習うってこともあるけど、それも面倒くさくなるとかね。
よくがんばりますねえ。
そう言って驚かれましたよね。
それで、帰ってきてまだ時間があったし、福引券をだいぶもらったんだけど、行く暇がないんですよ。
それで、ああそうだなあ、皆さんが来るまでには、まだ時間があるから、じゃあ、ちょっと行ってこようかなと思って、なんか食事もちょこっと食べてと思って、
そしたら井出さんがやってきたんですよね。
井出さん、悪いんだけど、私、ちょっと藤沢行きたいんだけど。
ああ、いいですよ!
というわけで、井出さんが藤沢に行ってくれまして、それでクジ引いてきました。
とにかく、せっかくもらった券を無駄にしちゃうのはもったいない。私って、すごくもったいながりなんですね。
そういうところがあるんですよ。べつに景品が欲しくて行くわけじゃないんですけどね。
これもやっぱり、私の本の中にもあるように、皆さんにもお話したように、長い人生の中で、ずいぶんドン底生活もして、いろんな体験をしたからね。
なんて言うのかな、今あるからいいやってなれないんです。無駄をしたくないんです。
そういう心が自分の体をすごくまめにしちゃうのね。
だから整体に行ったら、その先生からはハードで驚かれて、美容院に行ったら、自分より年上の人から、あなたずいぶん毛が多くて黒々としてていいわね。なんて言われて、歳とらないんですね。だから、はっきり言って毎日が非常に楽しいです。
涙が出てくるときは、ありがたいときだけで、情けなくて涙がでるってこと、あんまりないですよね。なんか不思議と情けないと思ったこと、あんまりないです。
どんな状態に置かれても、あれ、ずいぶん間違ったこと言ってるな。ぐらいのところで、ああそうかねって、軽く受け流せるんですね。
それにとらわれて、ああ、こんなこと言われて悔しいなとか、ああだとかって、そういう気持ちになれないんです。これは、やっぱりありがたいですね。
そういう心が絶えず習慣的に身についちゃったんでしょうね。だから少々のこと言われても、悔しいなとか、人をバカにしてとか、そういう考え方になれないんです。
なんか淡々として、相手の言うことを聞いていられるんですよね。その辺が、またありがたいなと思うんです。
ひとつも自分の感情に心の中に、怒ったり、悲しくて嘆いたり、そういうことがないんですよね。
涙がでるときは、ありがたくて涙がでるんですよね。悲しくて涙がでるってこと、私は今ほとんどないですね。だから毎日がとても幸せです。
そういうふうに皆さんも、ホントになれますから。そういう心になれることを、私は皆さんに望んでるんですよね。
そういう心になれれば、自ずから幸せになれるんです。そして自ずから幸せになれば、世の中も幸せなるんだし、世の中が幸せになるってことは、平和になるんだしね。そういうふうにすべて繋がっていくんです。
それで、来年からは大変な年回りになりますのでね。もうお申込みがだいぶありますけども、
年明け早々の新年祭御祈願とか、御祈願だけじゃなく、1月にいただくもの、お守りとかすべてね、
これ、神示で出てるんです。神様が1年間お守りするだけの相当のパワーをくださる、強力なエネルギーをさげてくださる。
たぶん、こういうことがわからない方も多くいらっしゃるだろうからお話させていただきますけどね。
お正月っていうのは、そういう貴重な月なんですよね。だからお正月の祈願は、普通の毎月の祈願より、それだけパワーが強力なんです。
そういうことを考えていくと、毎月の祈願祭で、最後に読み上げる私の特別祈願は、誰も来てないのね。私の祈願の人だけ来てないんだ。
それで、何でかなと思ったら、やっぱりそれぞれ叶ってるんだろうと思うんですね、私の祈願は。叶ってるから、姿勢をくずしちゃってるんじゃないかなと思ってるんです。
姿はないんだけど、やめないで、ずーっと続いてるんです。だから、それなりの効果がでてるんですよ。
そうすると、やっぱり私が統一するときのパワーっていうのは、ちょっと違うんでしょうね。だから、なるほど、そこに気がつきましたよ。
もう強力な大神様がおさがりになってる。それで念じるから、すべてが叶ってる。だからもうここへ来ないでも続けてるわけですね。ホントに確かにパワーの違いがあるんだろうと思いますね。
そうすると、来ないと神心をこの人たちに教えられないですよ。だから、これ困ったなっていうふうに、さっきいろいろと霊視しながら、書きながら考えましたけど。
そういうわけで、来年から特にきびしい年になりますので、皆さんもいっそうに気を引きしめていただきたい。
それで、初午祭ね、今度は平成2年2月22日です。
来年からいよいよ変わる年になって、その時にですよ。平成2年でしょ。それで2月の22…不思議ですね、2、2、2と。
それで私、実は午年で、私の守護神に働きかけてるのは伏見様もあるんです。で、2っていうのは、生まれる数字なんですね。物事ってものは2ツで生まれる。1じゃ生まれない。
そして私、いつも皆さんに、お稲荷さんの数字は22日よと、お稲荷さんを一番最初にお奉りした日なのよと、皆さんによく話してますよね。
だからハマってるんですよね。全部がホントにスパッとつながって、奇跡ですよね。
ホントにこういうことはめったにないことですから、皆さんも来年の年を、もう一度よく考えて、いっそうに自分の心に訴えてみてください。
こんなに自然の営みがスパッとはまる。これは神様の営みですよ。自然の営み、要するに神の営みですよね。
人智じゃ、こうはいかないんですよ。すべてがそういうところへきてるんです。
だからどうか皆さんね、来年からは特に修行にはげんでいただきたいと、それは私、お願いするしかありません。ひとつよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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